普通の人生
僕には、「普通」になりたいという、漠然とした夢があった。
それは、まるで呪いのような夢だった。
子供の頃、父と母に連れられて行ったドライブ。古びた軽自動車の窓から、僕はきらびやかな新築の家を眺めていた。
「お父さんもいつか、あんな家を建てるんだ」
父はそう言ったが、彼の表情に自信はなかった。
母は、いつも同じ服を着ていた。僕に新しい服を買ってくれるためだと、後になって知った。
「お金持ちじゃなくていいから、お父さんやお母さんみたいに、結婚して子供を二人くらい産んで、車と家を買う。そんな普通の人生を送りたいなぁ」
あの頃、僕の思う「普通」は、手の届く場所にあったはずだった。
大人になり、社会に出て、僕は初めて知った。
父と母がどれほど頑張っていたのかを。
奨学金という名の借金を背負い、毎月の給料は、家賃と食費とローンの返済で消えていく。
子供の頃に憧れた「普通の人生」は、僕にとって、まるで手が届かない高嶺の花だった。
仕事も辞められない。結婚も躊躇する。ましてや、子供なんて。
SNSを開くと、同級生たちがキラキラした生活をアップしている。
広々としたリビング、最新のスマートフォン、高級ブランドのバッグ。
「こんなの嘘だ。みんな、無理してるんだ」
そう言い聞かせながらも、僕は焦燥感に駆られていた。
僕の人生には、選択肢が多すぎる。そして、どの選択肢を選んでも、幸せな未来は見えなかった。
ある日、父が定年退職した。
お祝いに二人で飲みに行った帰り道、父は酔っぱらった顔で僕に言った。
「タカシ、お前は立派だ。俺には、お前の気持ちがよく分かる」
僕は何も言えなかった。
父は、僕の苦悩を理解してくれている。だが、同時に、僕の人生が自分と同じ道、あるいはそれ以下の道を進んでいることを示唆していた。
父は、自分の子供を貧しい環境に置いてしまったことを、ずっと後悔しているようだった。
帰宅し、自分の部屋で一人、僕は静かに涙を流した。
誰が悪いのだろう。
貧乏な親に生まれたこと?
それとも、こんなにも生きづらい時代に生まれたこと?
いや、違う。
僕が、自分に甘えているだけなのだ。
「普通」という言葉に囚われ、行動できずにいる。
「僕の遺伝子を継いだ子供なんて、ロクな人間にならない」
そんな言い訳をして、何もしようとしない。
それは、まるで子供の頃の、何もできなかった自分と同じだ。
鏡に映る自分を見る。
情けない顔。逃げ腰の姿勢。
僕は、「普通の人生」を諦めなければならないのかもしれない。
でも、諦める前に、やれることはあるはずだ。
僕は、「普通」ではないかもしれない。でも、それなら、僕だけの人生を、僕だけの幸せを、この手で掴んでみせる。
「普通の人生」は、もう呪いではない。
それは、僕がこれから歩む、新しい道標なのだ。