ザリガニの理屈
男は、自分の部屋でパソコンの画面を睨みつけていた。モニターに映るのは、いじめに関するネット掲示板の書き込み。
「いじめは集団の輪を乱す弱いザリガニを追い出す生産的な行為」
その言葉が、男の心を鷲掴みにした。
ああ、そうか。僕がザリガニだったんだ。
昔、クラスで飼っていたザリガニのことを思い出す。脱皮に失敗して、殻がボロボロになった一匹のザリガニ。他のザリガニは、そのボロボロになった個体を執拗に攻撃した。足をもぎ、ハサミをへし折り、最後には共食いを始めた。
僕はそれを見て、「可哀想」だと思った。しかし、教師は言った。「これも自然の摂理なんだよ」と。
僕もまた、人間社会という水槽の中の、脱皮に失敗したザリガニだった。
いじめは、僕という異物を排除するための、集団の健全な営みだったのだ。
そう考えると、今まで抱えていた憎しみや悲しみが、少しだけ軽くなった気がした。
いじめていた彼らは、悪意があったわけじゃない。ただ、集団を強くするために、僕という弱者を排除しようとしただけなのだ。
彼らが今、幸せな家庭を築いているのも、当然のことだ。彼らは、社会にとって必要な人間だった。だから、社会は彼らを受け入れ、祝福した。
「いじめはダメ」という言葉は、人間が作り上げた、弱い者への建前だった。
本当は、みんな心の奥底では知っているのだ。いじめが持つ、集団を強化する力を。
しかし、それを公言すれば自分が標的になるかもしれない。だから、「かわいそう」「因果応報」といった言葉で、自分を守っているに過ぎない。
男は、キーボードに指を置いた。
いじめは、善でも悪でもない。ただの自然現象だ。
そして、自然現象に、怒りや悲しみを向けても仕方がない。
そう自分に言い聞かせ、男はスレッドに書き込もうとした。
その瞬間、部屋のドアがノックされた。
「タカシ、ご飯よ」
母の声だ。
男はハッとして、画面から目を離した。
母は、いつも僕に優しかった。
僕がいじめられていることを知った時、誰よりも悲しみ、僕を抱きしめてくれた。
彼女は、僕という脱皮に失敗したザリガニを、最後まで見捨てなかった。
もし、この世界がザリガニの水槽ならば、母はどういう存在なのだろう。
集団の利益に反してまで、僕という弱いザリガニを守ろうとした母。
それは、自然の摂理に逆らう行為ではないか。
男は、キーボードから手を離した。
もし、いじめが自然現象だとしても、それに抗おうとする人間が、確かに存在した。
そして、その行為を、僕は知っている。
それならば、僕もまた、その力になりたいと、心の底から思った。
男は、立ち上がってドアを開け、母の待つ食卓へと向かった。
ザリガニの理屈は、確かにこの世界の一面を言い当てている。
だが、それだけではない。
僕には、それを否定する、たった一つの温かい真実がある。
それを信じて、僕は生きていく。