僕の足場
ワイは35歳になった。手取り15万、年収200万。コンビニ弁当を温め、独りきりの部屋で、ネットの海を漂う。彼女はいない。いや、できたことすらない。35年間、僕の人生には、誰かの温もりを感じる瞬間がなかった。
中学時代の同級生、いじめっ子たちの話が耳に入ったのは、つい最近のことだ。母親が同窓会の話を伝手で聞いてきたのだ。「○○くん、今はペンキ屋さんの三代目でね。もう結婚して、子供もいるんだって。フードコートで家族仲良くご飯食べてるの見たって言ってたわよ」。もう一人はIT企業で成功したらしい。三人目は、プロアスリートになったと。ニュースで何度か見た顔だった。
「ワイくん、謝りたいって言ってたわよ」
耳を疑った。謝罪?今さら?
僕の人生を、その後の人間関係を、精神を、ぐちゃぐちゃにした張本人が、何を謝るんだ。
謝って、何になる?
あいつらが過去を清算して、いい大人として生きるための、踏み台にされるだけだ。
「謝られても、許せない」と言えるだろうか?
多分、言えない。
「もう昔のことだから」と、笑って許すフリをするしかない。
そうして、また僕は、彼らの「良い人」という評判の、土台にされる。
僕の足場は、彼らの上にしかなかった。
彼らが踏みつけ、踏みしめた地面の上で、僕は35年間、立ち尽くしている。
そして彼らは、僕という足場を使って、高く飛んでいった。
彼らが幸せに生きているという事実は、僕にとっての拷問だった。
「いじめっ子が落ちぶれる」という物語は、ただの幻想だった。
現実では、積極的に他人を傷つけるエネルギーを持った人間が、社会で成功していく。
僕はそのエネルギーを持たず、ただただ、耐えることしかできなかった。
なぜ、彼らは僕をいじめたのか。
ストレス解消手段。大人になって、そう理解した。
僕は、彼らの成功への糧だった。
「お前が育てたようなもん」
ネットの匿名掲示板に書かれたその言葉が、頭から離れない。
育てたのは、彼らの「悪」の部分だ。
そしてその悪は、彼らを強くし、高く飛翔させた。
僕は今日も、部屋で一人、パソコンの画面を見つめる。
不摂生な生活と、鬱でボロボロになった身体。
あと何年、この人生が続くのか。
外は雨が降っている。
雨音が、僕の孤独を慰めてくれる。
彼らが僕を傷つけ、そこから高く飛んでいく。
その事実は、この先もずっと、僕を地面に縛り付けるだろう。
雨は止まない。
僕の足場は、いつまでたっても、あの日のままだ。




