義勇さんの憂鬱
駅の改札を出ると、蒸し暑い空気がまとわりつくように肌に張り付いた。満員電車で押しつぶされ、汗ばんだ背中が気持ち悪い。はぁ、とため息をつきながら歩き出す。スマートフォンに目をやると、通知がひとつ。SNSの職場グループだ。
『ねぇねぇ、明日のランチどうする?』
『いつものお店行く?』
『いいですねー!』
楽しそうなやり取り。私はスクロールするだけで、スタンプ一つ送ることはしない。だって、私が参加したら、空気が凍り付くから。
オフィスでは、みんなが私を「義勇さん」と呼ぶ。初めて言われたとき、「義勇さん?」と聞き返したら、「だって、みんなに嫌われてるのにその自覚がないんだもん」と笑われた。本当は、嫌われている自覚は十二分にある。だからこそ、迷惑をかけないように、話しかけられない限り雑談には参加しない。そう決めているのに、「仕事だけしてて鼻につく」と言われる。
帰り道、コンビニに寄ってアイスを買う。ふとガラスに映った自分を見て、また憂鬱になる。母親に「アンタはブスなんだから、顔で勝負するのは諦めなさい」と言われた言葉が蘇る。小学生の私にはひどく残酷な言葉だった。でも、大人になった今、それが真実だと突きつけられる日々だ。
家に帰ると、無機質な部屋に一人。買ってきたアイスをスプーンでつつきながら、ぼんやりと考える。私は、どうして嫌われるんだろう。挨拶もするし、報連相も欠かさない。仕事だって真面目にやっているつもりだ。
きっと、普通に雑談して、みんなと楽しくやればいいのかもしれない。そう頭ではわかっている。でも、怖いのだ。もし、私が話しかけて、嫌な顔をされたら?もし、「あいつ、馴れ馴れしい」と陰で言われたら?そんな想像ばかりして、一歩が踏み出せない。
スマホを机に置き、ため息をつく。もうすぐ、この部署に来て9年になる。このまま、ずっと一人でいるのだろうか。
「水柱の意味は?」とグループチャットで聞かれたあの日、私の心はとうに沈んでいる。でも、沈んだままではいけない。
翌日、私はいつもより少しだけ早く出社した。誰とも目が合わないうちに、自分のデスクにつく。今日も一日、何事もなく終わりますように、と願いながらパソコンを立ち上げた。
昼休憩になり、みんなが楽しそうにランチに出かけていく。その背中を眺めながら、私は一人でお弁当を開けた。静かに咀嚼する私を、誰も見向きもしない。それが、今の私にとっての安息なのだ。
でも、いつか。いつか、私も輪の中に入って、心から笑ってみたい。そう願いながら、私は今日も、黙々と仕事をこなす。誰もいない場所で、たった一人で戦い続ける「水柱」として。