4: 王太子
お茶会の翌日、私はまた学園をお休みすることになってしまいました。まぁ、しばらくお休みをしても特に困りはしないのですが……今、目の前にいる休むはめになった理由につい眉を顰めてしまいます。それでも最低限の礼儀はかけなくてはいけないので王室マナーにのっとった完璧な淑女の礼をしてから私はその原因をギロリと睨みつけました。
「いきなり淑女を呼び出すなんて、王室の品位を疑われましてよ。いくら幼馴染みでも限度というものがございますわ」
「まぁまぁ、そんなに怒るなよ。昨日だってハルベルトと密会してたんだろう?」
「密会ではなく健全なお茶会ですわ。少々ご相談に乗っていただいただけです。ハルベルト殿下はあなたとは違いますのよ」
確かにハルベルト殿下は私の初恋の方ですけれど、まるで下心があって不義を働いているかのように悪く言われては不愉快ですわ。私はハルベルト殿下を兄のように慕っているだけですし、ハルベルト殿下も私の事を実の妹のように可愛がって下さっているだけなんですもの。この方はわかっているくせにいつも私をこうやってからかってくるのです。
「はははは、確かにあいつは俺と違ってお上品だよ」
その方はプラチナブロンド色の長い髪を後ろでひとつ結びにし、オスカー殿下よりも透明感のあるグリーンエメラルドの瞳を細めると形のよい唇にニヤニヤと笑みを浮かべました。顔立ちはオスカー殿下にそっくりなのですが、オスカー殿下には無い腹黒いオーラをひしひしと感じてしまいますわ。そう、この方は私のもうひとりの幼馴染み……オスカー殿下とそっくりな顔をした、第一王子でありこのラース国の王太子であるアレクシス王太子殿下ですわ。
「俺ってば次代の国王陛下だよ?お前がオスカーと結婚すれば未来の義理の兄だよ?もうちょっと敬意をはらっ「シラユキ様に言いつけますわよ」ごめんなさい!」
ふざけた態度でふざけた事を言い出すアレクシス殿下でしたが、私の会心のひと言により瞬時に真顔でスライディング土下座をしながら謝罪してきます。これが次代の国王だなんて将来補佐役をなさるハルベルト殿下の苦労が目に浮かびますわね。本来ならば公爵令嬢に第一王子が頭を下げるなんてことはあってはならないことなのですが、私に限ってはいつもの事なので壁際にいる侍女も執事も気にしていません。
ちなみにシラユキ様とはこのアレクシス殿下の婚約者ですわ。艶やかな黒髪と黒曜石のような瞳、雪のように白い肌とさくらんぼのような唇を持つ絶世の美少女なのですのよ。倭国という異国の皇女なのですが、以前お会いした時にとても仲良くなり今では文通友達なのですわ。こちらの言葉をちゃんと勉強なさってるので会話もできますが、たまに間違えたりカタコトになると頬を染めて恥ずかしがる姿がとても可愛らしい淑女です。そしてこのアレクシス殿下はシラユキ様の前では鼻の下を伸ばしてデレデレになってしまうくらいべた惚れしていらっしゃいますのよ。
「アレクシス殿下がこんないたいけな公爵令嬢を虐げようとしているなんて知ったらシラユキ様はなんて思うのかしら……。確か倭国は子供を産み育てる女性を大切にされる文化でしたわよね。女性が心豊かにいられるからこそ健やかに子供が育ち、国が育つのだと教えられるのだと聞きましたわ。あぁ、それなのにアレクシス殿下は自分より身分が下の公爵令嬢にニヤニヤしながら嫌味を言うためにわざわざ学園を休ませてまで呼びつけるような暴挙を……。おかわいそうなシラユキ様、シラユキ様はこの男に騙されているのだと今すぐ教えて差し上げなくては────」
「わかった!俺が悪かった!ほんの冗談のつもりだったんだ!幼馴染みなんだから許してくれよ!「ずいぶん上からおっしゃるのね?」どうぞこの愚かな俺を踏みつけていいので許してください!」
さすがに淑女が王太子殿下を踏みつけたりしませんわ。私にそんな趣味はございません。
「わかればよろしいのよ」
まったく、いくら次代の国王としての能力に優れていても人をからかうこの癖だけはどうしようもありませんわね。ちなみに幼馴染みの私だからこそ不敬を問われずにいますが(プライベートですので)、これが他の方だったら反論するなどもってのほかと、とんでもないことになりますわ。こんな腹黒殿下に意地悪されたあげくに国外追放されるなんてたまったもんじゃありませんけれど。
ついでに言えば、もし本当に私がシラユキ様にアレクシス殿下の意地の悪さを告げ口したとしてもそんな簡単に婚約破棄なんて事態にはなりませんわ。この国と倭国の国交問題になりますし、シラユキ様はどこぞの王女と違いその重大さをよく理解なされておりますもの。なによりシラユキ様はアレクシス殿下をとても好いてらっしゃいますから。相思相愛だなんて羨ましい限りです。
ただ、もし本当にアレクシス殿下がシラユキ様を悲しませるようなことがあれば……全力で懲らしめて差し上げますけどね。それくらいシラユキ様は大切な友人ですのよ。不敬だと言われようと友情の前にそんなものな関係ありません。もちろんバレないようにやりますわ。
「それで、本題はなんですの?まさか本当にからかう為に呼び出したなんて言わないで下さいませ」
そしてさっさと顔をおあげなさい。いつまで土下座してるつもりですの?
「ん?あぁ、わかってるとは思うけど例の婚約破棄の事だ。父上からセレーネ嬢を説得してくれと泣きつかれたんだよ。俺とハルベルトは幼馴染みだから説得に応じるんじゃないかとな。だが、ハルベルトがお前の方につくと断言したので俺に任されたわけだ。……それで、なにを企んでいるんだ?ハルベルトになにか頼んでいることはわかってるんだぞ」
「企むなんて人聞きの悪い……それに、説得もなにも婚約破棄をしたがっておられるのはオスカー殿下の方ですのよ?私はその願いを叶えて差し上げようと思っているだけですわ」
やっとソファに座り直し本題を語るアレクシス殿下に向かってわざとらしくため息をついてみせました。もちろん嫌味のお返しですわ。茶番劇のせいで時間を無駄にしてしまいましたもの。それにしても国王陛下が婚約破棄の撤回を説得するように言ってくるなんて……せっかく婚約破棄に同意してあげましたのに、オスカー殿下はなにをしていらっしゃるのかしら?
「陛下は婚約破棄に反対なされてますのね」
「それはもう大反対だよ。早く説得して考え直させろってうるさいのなんの」
そう言ってアレクシス殿下が肩を竦めました。ということはお父様ったら陛下に根負けしたのですわね。まぁ、あれから屋敷に帰ってこられないのでそんな予想はしておりましたわ。ですので溜まってる領地の仕事は代わりに全部やっておきました。私はちゃんとフォローの出来る娘ですのよ。
「今までのオスカーの愚行は聞いたし、今回の浮気も確かに許せないだろうが……今までオスカーを見捨てずにいてくれたんだからもう1度だけチャンスを与えてやってくれないか。それに俺はあいつが本気で浮気したと思えないんだ。だってあいつは────ひぃっ!」
あら、私の顔を見て悲鳴をあげるなんて失礼な方ですわね?私はいつも通り微笑んでいるだけですわよ。ええ、いつも通りですわ……ちょっと目は笑っていないかもしれませんが。
「そうですわね、確かに私は今までオスカー殿下の愚行を許してきました。どんなワガママも嫌味も聞き流し、我慢しておりましたわ。でもご想像なさってください。顔を合わす度にくだらない理由で婚約破棄を宣言され続けてはすぐ撤回されるの繰り返しですのよ?私だって最初はちゃんと言いましたわ。婚約破棄とはそんな簡単に宣言していいものではありませんと。そんな馬鹿な発言をしているといつか足元をすくわれると……そしたらあの馬鹿は笑顔で『そうか!俺は馬鹿な子か!』と大喜びしてましたのよ?あの方の頭の中にはどんな品種のお花が咲いているのか私には理解不能です」
「えぇぇぇぇ……」
「それでも王命ですし、幼馴染みとしての情もありました。私がしっかり見守らなければという使命感から私にケチをつけてくるのは我慢することにしましたわ。さすがに髪色と瞳の色を変えるのは無理でしたけれど、髪型もドレスのデザインもお茶の種類も、あの方のいちゃもんに出来る限り対応してきたつもりでしたのよ。それなのに、なんなんですかあの馬鹿は?今度は浮気?しかもお相手はその辺のお金持ちの男性にすぐ声をかけると有名なあのヒルダ・ワイバン男爵令嬢だそうですわ。オスカー殿下の女性の趣味については口を出す気はありませんけれど、スタイルの素晴らしい男爵令嬢に楽しいことを教えてもらったなんて、まだ婚約者である私に堂々と言います?もし本当に運命の相手だとおっしゃるなら、ちゃんと正規の手順を踏んで私との婚約を円満に解消してからお付き合いをなさるのが最低限のマナーではないのですか?しかもお相手には私の悪口を吹き込んでいらっしゃるようですし、あんな馬鹿にこんなに馬鹿にされて、まだ我慢しろとおっしゃるなら戦争ですわ!」
ついでに言えば、あの馬鹿は「俺は女にいっぱいモテるからすごい男なんだぞ!」とその辺で自慢しまくっているそうですわ。オスカー殿下の発情期なんて知りたくもありませんが、まさに今が発情期真っ盛りみたいですわね。
「それは……なんとも……。い、いや待ってくれ!もしかしたらオスカーには何か別の考えがあってわざとそんなことを繰り返していた可能性なんかは……?!」
アレクシス殿下は真っ青になって絶句しかけていましたが、まるで閃いたとばかりにオスカー殿下の擁護に回られました。アレクシス殿下も弟には甘いようですわね。ですが私だってちゃんとその可能性も冷静になって考えました。そしてだからこそのこの決断なのです。
「もちろん、それについても予想は出来ています。ですが、もし“そちら”の方が正しかったのならば私の決意は尚更強固になるだけですわ」
だって本当にそうだとしたら、ただの浮気よりも許せない案件なのですから。
「セレーネ嬢はオスカーが何か企んでいるとわかっているのか?!」
「ええ。確かな証拠はまだありませんが、これまでのオスカー殿下の態度を見ていれば一目瞭然でしたもの。私も最初は信じられませんでしたが……オスカー殿下の脳内がお花畑でないのなら、それしか考えられません」
「そ、それは一体……?」
アレクシス殿下はご自分からオスカー殿下に何か考えがあるとおっしゃったのに、その内容までは思いつかなかったようですわね。助けを求めるように私を見てきますが味方になるかどうかもわからない方にわざわざ教えて差し上げるつもりはございませんわ。
私は再びにっこりと微笑んで見せました。アレクシス殿下の顔色がさらに悪くなりましたが知ったことではないですわね。
「それはご自分で考えて下さいませ。それとやっぱり脳内がお花畑だった場合でも、いくら馬鹿な子ほど可愛いと言っても限度がありますのよ。我慢するのも限界なのです。アレクシス殿下には、私と全面戦争なさる覚悟がおありでして?」
静まり返る部屋でゴクリと誰かが息を飲んだ音が響きます。侍女や執事たちの間にもピリピリとした空気が流れていますわね。
「い、いや……。だからといってそんな戦争なんて……」
「私はただ、私の邪魔をしないで欲しいだけです。私はもうオスカー殿下に愛想がつきました。ですから、全てを終わらせたいだけなのですわ」
私は微笑みを浮かべたまま少しだけ首を傾げてて静かに唇を動かしました。
「私、本気になったら怖いんですのよ?」と。
そのまま立ち上がると完璧な淑女の礼をし、その場を立ち去りました。私の侍女のアンナだけは平然としてますが、アレクシス殿下の侍女と執事たちが倒れそうな顔をしてましたのであまり長居するのはかわいそうですものね。
王太子の部屋を後にし、誰の目もないことを確認するとアンナが口を開きます。
「お嬢様、王太子殿下はお嬢様の味方について下さるのでしょうか?」
「どうかしら。今の感じだとしばらくは中立の立場に徹されるかもしれませんわね。まぁ、邪魔さえしないでいてくれたらいいわ。アンナ、例の件は決して気付かれないようにしてちょうだいね」
「畏まりました」
淡々と告げるアンナの返答に、私が「頼むわ」と今度こそ柔らかい笑みを見せると、アンナが満足気に頷いたのでした。
***
セレーネたちが立ち去ると、一気に下がっていた部屋の温度が少しだけ戻った気がしたと、アレクシスはいつの間にか止めていた息を吐いた。末弟の婚約者であるセレーネには昔から底知れぬ何かを感じてはいたが、一度決意すると絶対に自分の意思を貫くその有り様は見習いたいところではある。……あるのだが、あの幼馴染みはやっぱり怒らせると怖いのだと実感した。だがラース国にとってセレーネは“重要人物”である。父である国王はこれまでは第三王子の婚約者だからと安心していたのだ。だがセレーネが本当にオスカーと婚約破棄をして、もしも他所の国に行こうなどと考えたら……このラース国のダメージは計り知れないだろう。だからこそ自分に説得するように言ってきたのだろうが、いくら王太子が何か言ったとしてもあの幼馴染みが今更権力に屈するはずもない。
「説得なんて最初から出来るわけがないんだよなぁ……」
アレクシスは「あー、もう!」と自身の髪の毛をぐしゃりと掻き乱した。
それにしても、思わずオスカーが何か企んでいるかのような発言をしてしまったがあれはあの場を誤魔化すためでしかなかった。まさか本当に企んでいるかもしれないなんて……。そしてそれが余計にあのセレーネの怒りを買っているとなればもう自分には止められないだろう。あのオスカーが浮気したっていうだけでも信じられないのに、昔から何度も婚約破棄宣言や撤回を繰り返していたなんてどれだけ馬鹿なんだ。と、アレクシスは深いため息をついたのだった。