第5話 血に濡れた笑い
刹那、横合いから鋭い光が走った。
金属音と共に火花が散る。
痩せた影が地面を踏みしめ、双刀で斬撃を受け止めていた。
口に咥えた煙草の火が、かすかに揺れる。
「ったく……野田の野郎、忘れてんだろ」
「あんたの罪装がどんだけ厄介かをな」
「……間宮」
間宮は煙を吐き、細めた目で俺を見る。
「礼はいらない。あんたが死んだら、こっちも困る」
双刀に力を込め、詩音を押し返す。
詩音は滑るように後退。呼吸は乱れず、即座に構え直す。
重い足音。
熊谷が歩み寄る。
剃り上げた頭がギラリと光り、その体はまるで壁。
「おう、新人、やるじゃねえか」
「……ホンモノの怪物だな」
熊谷は指を噛み、血をにじませ、それを頬に塗りつけた。
「――罪装起動」
鈍い音と共に、長い黒鉄の棍棒が現れる。
(あいつ、言わなくても発動できるくせに……
あえて言ったな。俺を煽ってんのか)
周囲を一瞥。
無口な霧島は場外で微動だにせず、ただ見ている。
(……観戦かよ)
詩音がわずかに前傾する。
呼吸が浅くなる。
肩甲骨が開き、足が静かに滑る。
(来る)
「間宮、左から!」
「熊谷、下段、右だ!」
二人が即座に反応。
間宮の双刀が刃を弾き、熊谷の棍棒が下から突き上げる。
詩音は腰をひねり、軌道をずらす。
力を流すと同時に、刃の腹で棍棒を受け止めた。
火花が弾け、金属音が訓練場に響く。
(……強え。無駄がねえ)
視線を間宮に寄越さぬまま、詩音は後脚で床を蹴った。
上体が沈み、肘の角度がわずかに変わる。
斜め下へのフェイント――
「熊谷、上段警戒!」
「間宮、右へ回れ!」
二人が息を殺し、同時に詰める。
刀と棍が同時に襲いかかる。
詩音は無言で下がる。足音すらない。
目だけが冷たい光を帯びる。
その双眸が細まり、肩が落ち、手の位置が変わった。
呼吸が深くなる。
(……構えが変わった)
(殺しにくる――)
大剣が頭上に掲げられる。
銀の光が脈動し、圧力が空間を支配した。
詩音の気配が一変。
剣の角度、足の位置――それは横薙ぎだ。
(間に合わねぇ――!)
「伏せろ!!」
大剣が横に走る。
空気が裂け、鋭い破裂音が耳を突く。
銀の斬撃波が一直線に走り抜けた。
コンクリート壁、支柱、器具――すべてが一刀で断たれる。
地面に身を投げ出す。
耳元をかすめる冷気。氷の刃に頬を撫でられたような寒気。
耳膜が悲鳴を上げる。
(……イカれてやがる)
耳鳴りの中、顔を上げる。
見えたのは――赤。
野田と霧島の立っていた場所が、血で染まる。
身体は上下に割れ、ゆっくりと倒れていく。
血が床に広がり、粘つく音を立てる。
目が離せない。
鉄錆の匂い、ぬるい現実。
間宮の唇が震え、煙草が床に落ちた。
「……冗談だろ、こんなの……」
双眼が充血し、詩音を睨む。
熊谷が片膝をつき、拳を握りしめる。
「テメェ、新人……何なんだよ」
非常灯が点滅し、警報が場内に響く。
〈AI音声:訓練場に異常を検知。事故処理モードを起動。関係者は待機してください〉
(待機?ハッ、どう『処理』する気だ)
熊谷が立ち上がり、野田と霧島の遺体に歩み寄る。
見た瞬間、顔が歪んだ。
「……もう無理だ。助からねえ」
俺もゆっくり立ち上がり、詩音を見る。
大剣は消えていた。
血が頬に飛び散っても、何も感じていない顔。
間宮は双刀を収め、煙草を拾い、震える指で口にくわえた。
深く吸い、煙を吐き出す。
そして、手を上げて俺を制す。
「……待て。まだ何も言うな。少し冷静にならせろ」
うなずく。
視線を詩音に戻す。
「……おい。自制って言葉、知ってるか? 俺ら全員殺す気か」
詩音がゆっくり顔を向ける。
無表情のまま、氷の瞳で俺を見る。
「……でも。……笑ってた」
頭が真っ白になった。
「……は?」
「さっき、斬った時。お前、笑ってた」
呆然とする。
鉄錆の匂いが喉に刺さる。
視線を逸らすと、床一面に広がる血が見えた。
野田と霧島の血が混ざり、ゆっくり流れる。
(俺が……笑ってた?
こんな時に? ここで?
この場所が俺を狂わせた?
それとも――もとから、こういう人間?)
口元が震える。
歪み、痙攣し――笑った。
快楽じゃない。
吐き気みたいな、痛みみたいな笑い。
(滑稽だ。この世界は。
狂った奴しか生き残れねえ。
狂った奴しか笑えねえ)
「……クソ、バカげてやがる」
声が震えた。
「お前……」
笑いが溢れる。
胸の奥から、泡みたいに。
この場所に来て初めて、心の底から笑った。
間宮が煙を吐き、白けた目で俺を見る。
「……ハッ。あんたもそんな顔できるんだな。
観客、喜ぶだろうよ」
息を整え、無理やり笑みを飲み込む。
そして詩音を見た。
幼い輪郭の顔。
血で染まっても、何も知らない子供みたい。
(何なんだ……お前。純粋か、化け物か)
分からないまま、手が動いた。
詩音の頭に触れる。
柔らかな髪。
その瞬間、彼女の体がわずかに震えた。
だが、拒まなかった。
ただ、静かに俺を見ていた。
(この事故、終わらねえ。AIが放置するわけねえ)
(詩音……お前は何を隠してる。
先に告解室に送られるのは――俺か、お前か)