第30話 告解室にて、真実の影
あの忌々しい天幕が、擬似的な「陽光」として張られた人工照明。
眩しすぎて、目に刺さる。
罪咎コミュニティの中央広場は、今日に限ってやけに静かだった。
朝のミサはすでに終わり、信者たちは三々五々に散っていった。
残っているのは、石畳を撫でる風と、それに巻き上げられる乾いた砂塵だけ。
俺は教会の階段を上り、重厚な木の扉を押した。
中に漂っているのは、蝋燭の匂いと冷たい石壁の湿気。
誰もいない。
響くのは、冷たい残響だけ。
(今日は日曜……授業はない。
……たぶん、あいつはここだ。)
主堂を抜けて、奥の小さな祈祷室へと向かう。
扉は半分開いており、隙間から淡い蝋燭の光が漏れていた。
手をかけてゆっくり押す。
ギィィ……という軋む音。
歪んだ椅子の並ぶその奥――
一人、見慣れた男が最後列の椅子に腰かけていた。
肘を椅子の背もたれにかけ、頭を仰いで微睡んでいるような姿勢。
八雲 道彦。
俺の気配に気づいたのか、目は開かずとも、気だるげに口を開いた。
「おや? 休暇の日にわざわざ懺悔とは、殊勝なことだな、子羊ちゃん。」
無視して、扉を閉める。
その音が石壁に跳ね返って広がる。
八雲はようやく目を開けた。
口元には、どこか芝居がかった笑み。
「……おやおや、その顔。祈りに来たようには見えないな。」
ゆっくりと姿勢を正し、
まるで舞台の役者のようにポーズを取る動作。
「でも、俺がここにいるって、よく分かったね。」
数秒間、黙って彼を睨んだ。
喉が、乾いていた。
「……あの夜のことだ。」
声は思った以上にかすれていた。
「詩音……あのショーは、いったい何だったんだ?」
八雲は眉をひょいと上げ、まるで聞き取れなかったかのように首をかしげた。
そして思い出したように「あ〜」と声を上げた。
「ああ、あの夜のことか。
AIが配信を切れないほど、見事な盛り上がりだったねぇ。」
その軽すぎる調子、無駄に伸びた語尾。
明らかに俺の神経を逆撫でするためのやり口だ。
「……彼女は人間だ。
お前たちの、玩具じゃない。」
俺が低く呟くと、八雲は小さく肩をすくめるようにして、淡々と答えた。
「そう。だからこそ、『生きてる』んじゃないか。」
一瞬、息が止まった。
胸に、冷たい何かがぶつかった気がした。
それ以上、彼は何も言わない。
その一言で、全てを示しているかのように。
(……“生きてる”。)
(AIは、自ら手を汚さない。)
(血は流さない。でも、それを俺たちにやらせる。)
(審判、告解――他人の命を俺たちに委ねて、
「罪」を定義させる。そして、殺すかどうかを選ばせる。)
喉が締め付けられるように熱くなる。
吐き気のような、痛みだけが残る。
視線を逸らした。
これ以上、あいつの顔を見ていられない。
八雲は椅子の縁を指先でコツコツと叩いた。
乾いた音。
「ふふ……」
どこか冷めた、けれど楽しそうな笑み。
「塔の上で、あんなに叫んでたじゃないか。君。」
肩が一瞬、震えた。
窓の隙間から吹き込む風が、蝋燭の炎を揺らす。
壁に映った十字架の影が、伸びて、歪む。
沈黙のまま、何も答えなかった。
八雲は静かに姿勢を正し、今度は芝居がかった調子ではなく、
どこか低く、本気の声で問うてきた。
「――あの時、君はなぜ、叫んだ?」
目の奥まで見通すような視線。
喉が動く。
だけど、言葉にはならなかった。
思い浮かぶのは、あの夜の風の音。
擦り切れるほど叫び、喉が裂けた感覚。
でも――
何一つ、変えられなかったという絶望。
黙り続ける俺を見て、八雲は低く言葉を重ねる。
「変えたかったのか?」
「……それとも、壊したかったのか?」
拳が、無意識に握り締められていた。
指が白くなるほど力が入る。
でも、何も返せなかった。
その俺を見て、八雲の目が急に冷たくなる。
「それとも……ただ、自分が“生きてる”って証明したかっただけか?」
呼吸が乱れる。
胃の奥から、なにか熱いものが逆流してくるような感覚。
八雲は軽く溜息をつく。
その音は、失望とも、納得ともつかない。
「君がどれだけ叫んでも、AIはそのシーンを『人気カット集』に編集して、アップするだけだよ。」
彼は椅子にもたれ直し、視線を横にそらした。
もはや、もう何も語るつもりはないらしい。
揺れる蝋燭の影が、壁で歪む。
まるで嘲笑っているように。
俺は彼を睨みつけるが、
胸の奥に、石でも詰められたように、呼吸が詰まる。
感情が渦を巻く。
見透かされた怒り、切り裂かれた無力感、
そして“ただの被験者”として扱われた苛立ち。
もう――ここにはいられない。
反射的に背を向け、扉を乱暴に引いた。
ギイィッと、金属と木が擦れる不快な音。
冷風が室内に吹き込むと、蝋燭の炎が激しく揺れ、今にも消えそうになる。
足音が、強すぎるくらいに響く。
俺は早足で、もはや半ばよろけながら、祈祷室を後にした。
耳に残るのは――
八雲の、あの引き伸ばすような、気怠げな笑い声。
皮肉のようであり、見送りのようでもあった。
(……クソが。)
歯を食いしばる。
手のひらの中、指先が白くなるほど握り締められていた。
(このままじゃ……)
(あの男の言葉に、染まってしまう。)
あの、淡々とした口調が、
気づけば俺の頭の中にまで入り込んでくる。
(何も聞き出せない。)
(ただ、踊らされてるだけだ。)
喉の奥が、また詰まる。
吐き気と共に込み上げる、感情の塊。
足が止まる。
――あの夜の光景が、ふと脳裏に浮かぶ。
初めてここに連れてこられた、あの夜。
背中には焼き印のような痛み。
罪印がまだ血を滲ませていた頃。
白い長衣を着た連中に連れられて、
俺は教会の礼拝堂へと押し込まれた。
ちょうど、あの時の詩音のように。
――処刑される者のような無表情。
AIが壇上で読み上げた「俺の罪」。
あの合成音声は今でも耳に残っている。
――『感化と贖罪のため、ここへ送致。』
その後、俺たち新入りの罪人は小祈祷室へ連れて行かれ、
ルールを説明された。
AIに従うこと、SHOWに参加すること、
そして――「告解」すること。
その時の俺は、なにも聞こえていなかった。
ただ、うつむいて床を見つめていた。
やがて、係員が一人ずつを連れ出していく。
俺の番が来た時、糸の切れた人形のように立ち上がり、
よろよろと出口へ向かった――
その時、扉の傍に立っていた男がいた。
その顔は、当時の俺には見えていなかった。
誰だか、気にも留めなかった。
ただ、その場の照明が冷たくて眩しいと感じたことだけ覚えている。
……その男は、俺の耳元で、低くこう囁いた。
――「ここで生き残りたいなら、他人の“罪”を覚えておけ。」
あの時は、意味が分からなかった。
理解したくもなかった。
ただ、吐き気がしていた。
でも今、思い出した。
――あれは、八雲だった。
(あの頃……俺はまだ、あの忌まわしい罪装を使ったことすらなかったのに。)
(あいつはもう、知っていた。発動の条件も、流れも――全部。)
背筋が冷たくなる。
氷水をかけられたように。
唇を舐める。
乾いて裂けそうだったが、声は出なかった。
(あいつは……俺に何を“期待”している?)
(俺に、何を“させよう”としてる?)
目を閉じて、無理やり思考を断ち切る。
喉元に絡みつく言葉の残骸を払い落とす。
足音が再び、石の廊下に響く。
速く。もっと速く。
何も考えるな――。




