第23話 供獻の道、終わりを待つ者
詩音を連れて、灰色の廊下を歩く。
壁には蛍光の紙が貼られ、AIの無機質な文字が墓碑のように並んでいた。
「――夜間貢献タスク一覧」
立ち止まり、上を指さす。
詩音は首をかしげながら、冷えきった黒文字を見つめた。
【枷堂 詩音 - 清掃・消毒班】
唇を引き結び、その名前を指す。
「……今日のお前の仕事だ」
詩音はゆっくりと頷いた。
表情は変わらないが、瞳が一瞬だけ揺れた。
「……まだ時間あるな」
俺は溜息をつき、自販機の方へ視線をやった。
「先に、飯だな」
配給機の前は無人だった。
手のひらを感応パネルに押し当てる。
白く光った画面には、【無料配給残り 1 / 2】の文字。
――ガコン。
プラスチックのパックが一つ、無感情に吐き出された。
【西園寺 透 今日の無料配給:完了】
手に取った瞬間、金属臭が鼻を刺す。
顔をしかめた。
「……これ、相変わらず最悪」
横を見ると、詩音が機械をじっと見つめている。
「……どうした?」
首を横に振る。だが目線は外さない。
(まさか……)
「手、置いてみろ。一日二回まで無料配給だ。
それ以上はポイントが要る」
詩音はわずかに戸惑い、ようやく手をかざす。
ポンッと、同じパックが吐き出される。
それを受け取って、しばらく無言で眺めていた。
「……これ、ここで……もらえるの?」
言葉が曖昧だった。信じきれないような声。
「そうだ」
俺は頷きながら、詩音の手元を見た。
(……こいつ、前はどこにいた?
正規市民じゃなかったのか?)
表情では何も言わないくせに、目だけがすべて語っている。
AIが人間に最低限の栄養を与えないなんてことはない。
だが――
この子は、まるでそれを初めて見るような顔をした。
パックを開けて一口吸う。
喉に冷たい粘度が流れ、思わず吐き出しそうになる。
詩音も眉をしかめながら、ゆっくり吸った。
「……詩音」
眉を寄せ、少し低めに聞く。
「普段、何食ってた?」
返事はすぐに返ってこなかった。
視線を落とし、パックを指先でなぞる。
「……拾い物」
風に飛ばされそうな声だった。
「誰かが捨てたやつ……たまに、取り合いになる」
さらに小さな声で補足した。
(……栄養が行き渡るシステムのはずだろ)
(どこで、どうやって、こいつは“漏れた”んだ?)
視線を鋭くして詩音を見る。
自然と声に圧がかかる。
「じゃあ、都市ではどうしてた」
「……行ったことない」
その言葉に、動きが止まった。
「都市に……出たことない」
淡々とした声。だが、喉に詰まったような言い方だった。
言葉が、出なかった。
(……こいつの育ち方は、“俺たち”とはまるで違う)
(AIが用意した「完璧な型」に、最初からはめられてなかった)
(八雲は知ってるな……特別管理枠ってことか)
スピーカーが突然「ジッ」と音を立てる。
頭の中が、瞬時に切り替わった。
〈罪人の皆さん、夜間供献の時間です。指定エリアへ移動してください〉
◆
詩音を連れて、割り当てられた貢献エリアへ向かう。
予想外だったのは、そこが今日の「1vs1 審判SHOW」の会場だということ。
熊谷の出番がある、あのリング。
詩音が列に入るのを見届けて、背を向けようとした時。
袖口を、また小さな指が掴んだ。
(……またか)
(俺はお前の保育士じゃねぇんだぞ)
そう言いかけて、黙った。
表情一つ変わらないはずの顔が、なぜか妙に目についた。
(興味がない、なんて言えないな)
(……どうやって生き延びてきたんだ。どこで、何をして)
(AIに、何を“罪”とされた)
彼女は言った。
「……帰り方がわからない」
一瞬、言葉の意味が飲み込めなかった。
苦笑が漏れた。
喉が焼けるように痛むのに、どうしようもなく笑ってしまった。
詩音は不思議そうに首をかしげた。
その目は、救いを待っているのではない。
終わりを、待っている目だった。
「……分かったよ」
頭を軽く撫でながら言った。
「待っててやる。
一緒に、戻ろう」
(……もうちょい、見ててやるか)
(気づけば、またこうして……残ってる)
そのとき、聞き覚えのある声が背後から飛んできた。
「……透? 休暇じゃなかったっけ? 見学~?」
橘 美櫻。
こちらに近づいてくる。
詩音を見つけて、目を丸くした。
「あ、枷堂ちゃん! 今日ここ配属なんだ? ラッキーじゃん」
まるで偶然出会ったクラスメイトみたいなテンション。
「私もだよー。今日は治療班。
でもここの空気、ちょっとピリピリしてない?
1vs1だともう少しゆるいかと思ってた」
(……おしゃべり女め)
(言わなくていいことまで、全部ぶちまけやがる)
何も言わず、美櫻と詩音の間に視線を走らせる。
詩音は一歩も動かず、列にまっすぐ立ったまま。
まるで何も聞こえていないように。
「……じゃ、また後でね」
声が喉の奥で詰まった。最後の一音が出たかどうか、自分でも分からなかった。
詩音はほんの少し、頷いた。
美櫻は気にせず、またいつものテンションで去っていく。
ヒールの音がコツコツと響く。
この道のすべてが、最初から決められていたように。




