第20話 この地獄に慣れるな
鐘の音が鳴った。
悪夢から引きずり出すみたいな、無慈悲な音。
金属ベッドが軋み、誰かの寝返り、誰かの咳。
湿った空気が肺に張り付いて、夜の残り香が抜けきらない。
ゆっくりと体を起こす。
傷が引き攣って、包帯がじんわり濡れた。
(……痛ぇ)
喉が焼けたみたいにひりつく。
叫びすぎたせいで、声が出ない。
上のベッドから間宮が顔を出す。
半分寝ぼけた目で、すでに口にはタバコ。
「……昨夜、ちゃんと戻ってきたんだ。八雲に“食われ”なくてよかったじゃん」
返事しようとしたが、喉から出たのは潰れた獣みたいな音だけ。
間宮は眉を動かし、俺を一瞥してからベッドを下りた。
しわくちゃの服を軽く直して、そのまま群れに紛れてドアへ向かう。
(全部、なかったことにするみたいに)
深呼吸。
喉の奥に残る血の味を、飲み込む。
詩音が廊下で立っていた。
表情は、まるで石像。
(昨夜のあれだけの血と告解でも、何も残らなかったのかよ)
熊谷が近づいてくる。
腕は包帯でガチガチに固定され、足取りは重いが、真っすぐだ。
俺の肩の包帯を見て、眉をひそめた。
「……朝の礼拝終わったら、医療室行けよ」
「……ああ」
声というより、かすれた空気。
熊谷が小さく鼻を鳴らす。
何か言いたそうだったが、結局何も言わず、不器用な顔を向けるだけだった。
(……こういうとき、いつも熊谷は気にかける)
(だから嫌いになれねぇ)
顎をしゃくって、先に行けと合図する。
熊谷は肩をすくめて歩き出し、詩音も何も言わずについて行った。
まるで、何も起きなかった朝みたいに。
最後に俺も、満員の寮部屋を出る。
薄暗い廊下に足を踏み出した。
◆
教会の中は、冷たい光が木のベンチを斜めに照らしていた。
空気には乳香と蝋の匂い。そこに湿気が混ざる。
背をつけたベンチは冷たく、体の熱を奪っていく。
周囲の囚人たちが次々と座り始める。
祈る者、無表情で俯く者。
スピーカーから、AIの音声が流れ出した。
今日の「感化儀式」。
〈AI:贖罪プログラムを開始。第3収容群、起立〉
(……起きて、働いて、帰って、寝る。)
(――完璧なパターン)
脳裏に、八雲のあの言葉が浮かぶ。
(あいつも、このシステムをクソだと思ってんのか?)
(……それとも、全部計算のうちか)
AIの音声が流れ続ける。
「悔い改め」「服従」「赦し」――繰り返される言葉。
ゆっくりと目を開けた。
そこには、首を垂れた後頭部たちと、冷たいライト。
死人の眼みたいな光。
視線が、刺さる。
いつの間にか、いくつもの目がこちらを見ていた。
斜め後ろから。
ベンチの隙間から。
フードの奥から。
慌てて目を逸らす者。
妙な光を宿す者。
怯え。
疑い。
そして、少しばかりの――羨望。
(……見たいなら、勝手に見ろ)
動く気にもならねぇ。
声も、喉も、使う気にならなかった。
ただ、座っていた。
聞いてるふりをして。
◆
医療室は、静かだった。
冷気が耳を刺す。
消毒液の匂いが鼻を焼く。
ドアを開けた瞬間、天井のライトが二度点滅。
壁のモニターがパチンと音を立てて点いた。
〈AI:3W班 西園寺透、6C班 橘美櫻。医療室使用中。観客の皆さま、コメントをどうぞ〉
橘 美櫻と、目が合う。
(ここでもかよ……俺はただ、傷を処理しに来ただけだ)
ナース服に着替えていた。
襟元までピシッと整い、髪は一筋も乱れていない。
胸には「6C班」と刻まれたタグ。
【おっケンカ相手と医務室w】
【早くくっつけw】
【お前らさっきの血見せろや】
【罪人同士お似合いww】
【看護プレイww】
モニターに浮かぶコメント。
血に飢えたクラゲみたいに、画面を這い回る。
美櫻が肩をピクリと動かす。
唇を噛んで、無理やり作った笑顔。
職業スマイルってやつ。
「……そんな顔しないでよ」
声は低く、抑えられていた。
辺りを見回し、小さく続ける。
「6C班、まだ誰も戻ってなくて……急にここに配置されただけ」
(誰も聞いてねぇよ)
喉が潰れたまま、答える気力も無い。
でも、ついモニターを見てしまう。
【無言ww】
【返事しろよw】
【いいぞもっとやれw】
【さっさと脱げww】
息を吸い込むだけで、喉が裂ける。
それでも無理やり、声を絞り出す。
「……あ、あ……」
【声死んでるww】
【CODE男終了のお知らせ】
(……うるせぇ)
美櫻が眉を上げた。
喉から肩へ、目線が動く。
鼻で笑い、言った。
「喋れないんだ」
数秒、黙って見つめ――
唇の端が、にやりと上がる。
「……そっちの方が都合いいかもね」
冗談みたいな声。
でもどこか、心底ホッとしてる感じだった。
言い返さず、ただ黙って薬棚へ歩いた。
包帯を取る。
服に張り付いた血が、引き剥がされて目の前が真っ白になる。
【痛がる顔もっとw】
【こいつらプロww】
【でも黙ってやってんの草】
【コントか?】
(……この地獄に慣れるな。俺)




