第2話 偽りの祈り、神の眼
朝。
……と言っても、ここに日の出なんてない。
厚い天幕と人工ライトが、ただ機械的に「今は朝だ」と告げるだけだ。
俺たちは「罪咎コミュニティ」の中央にある教会に集められた。
ゴシック調の、やたらと厳めしい建物だ。
中央の十字架は外され、その代わりに巨大なAIの監視アイが象徴のように睨みを利かせている。
(神の眼?ハッ、笑わせる。牢獄にはお似合いだ)
教会のホールは寒いほど静まり返っていた。
長椅子は人で埋まり、そこに座るのは全員「罪人」だ。
昨日の血をまだ拭っていない奴もいる。
一番後ろに腰を下ろした。
前方には、首をすくめた少年、腕に包帯を巻いた女、坊主頭の大男。
見た目はバラバラだが、共通点は一つ。
AIに「罪あり」と判定された人間であること。
(俺も同じだ、こいつらと)
横のガリガリの男が肘で突いてきた。
血走った目に興奮を宿しながら、指先は震えている。
「なあ、西園寺。昨日の試合、見たぜ。舌切りシーン、マジで神回だった」
(ビビってんのは同じだろ。俺と)
巨大スクリーンには「公式掲示板」のログが流れていた。
AIが選び抜いた「観客投票」の結果がデカデカと映し出される。
【CODE男、今シーズン最強の審判官ww】
【グロすぎ注意www】
【告解ショー最高】
【次も頼む】
【舌切り神回認定】
【賛成:142,388票 反対:13,921票】
【贖罪進度+10点】
【AI様今日も神采配】
【もうCODE男に推し変するわ】
【志賀くん、供養ww】
【切り抜きでバズってるぞw】
(上出来だな)
(満足してくれたようで何よりだ)
「AI様も、ちゃんと記録してるな。進度も増えてるじゃん」
(贖罪進度、10点追加。
――で、いくつになれば終わりだ?
ハッ、笑わせる。何人殺せばいい?
百か?千か?
俺の罪は、そんな数字で消えるのか)
教壇の前。
黒いローブを着た神父が壇上に立った。
人間だ。
だがAIと契約し、「監督」「感化」の権限を持つ管理者。
「罪人たちよ、今日の目覚めを神に感謝しろ。AIが汝らの罪を裁く――旧き神を超えて」
(超える?ハッ、支配の言い換えだろ)
〈罪人たちよ、今日も告解せよ。汚れを曝け出し、救済を受けろ〉
〈本贖罪審判制度は中立かつ公正。観客の評価を通じ、贖罪進度を正確に算出する〉
〈告解室は、告解不能者に対し最適な処置を行う〉
(中立公正ねえ。観客投票、AI承認――全部、演出だ。「救済」ってやつの)
(告解不能なら「最適な処置」?いい言い方だな。要は、処分するってことだろ)
神父が両手を合わせ、目を閉じた。
全員が立ち上がる。
仕方なく、俺も立った。
「――さあ、今日の新たな同行者を迎えよう。罪を背負う者たちよ」
後方の扉が開き、数人の「新人」が連れて来られる。
手錠は外されているが、顔に浮かぶのは恐怖か、挑発か。
その中に、ひときわ目立つ少女がいた。
蒼白な肌、銀色の長い髪、氷みたいに冷たい瞳。
なのに、その表情は真っ白な紙のように無垢で、感情の影がない。
(……あれが、新人か)
「――枷堂 詩音」
神父の冷たい声が響く。
横の男が息を呑み、小声でつぶやく。
「……あいつ、ヤバいぞ」
(ヤバい?どういう意味だ。AIのお気に入りか?
それとも……もっと面倒な奴?)
AIのスクリーンに「新人情報」が自動で表示された。
罪名欄には――未公開。
投票予測値が光る。
【期待度ランキング第2位】
【スレ爆伸び中】
【何やった奴だ?】
【CODE男との対決はまだ?】
【女キャラキタ!絶対推すw】
【こいつで今期バズ確定】
【名前カッコよすぎww枷堂詩音ww】
【罪名未公開とか逆に燃える】
【AI様、シナリオガチってる】
枷堂詩音は一切視線を逸らさず、前だけを見ていた。
まるで自我を持たない人形のように。
その時、壇上の奥から白衣の男が歩み出た。
長い白衣は一つの皺もなく、髪はきっちりと撫で付けられている。
口元に笑みのようなものを浮かべながら、その瞳には一片の感情もない。
だが、その目の奥には底なしの闇が潜んでいた。
ざわついていた空気が、一瞬で消える。
スクリーン下部に「管理官登場」の文字。
男はゆっくりと壇上へ進み、まず枷堂を一瞥し、それから会場全体を見渡した。
視線が、すべてを剖き出す刃みたいだった。
やがて、口を開いた。
声は低く、しかし柔らかい。祈りを読むかのように。
「――『罪』を恐れるな」
「罪は、人である証明だ」
「我々は、AIという理性の象徴の前で、ありのままを曝け出すべきだ」
【名言風ww】
【AI教の洗脳講座始まったw】
【切り抜き:「罪は人の証明だ(キリッ)」】
【もうコラ画像できてるww】
【AI様のスピーカーお疲れ様です】
【演出すげぇ、カメラワーク神】
【告解は演出wwwメタ発言いただきました】
言葉を区切り、枷堂の無表情な顔に視線を止める。
そして、再び全員を見渡す。
「告解は懺悔だけではない。それは演出だ」
「自分の罪を知り、口にし、赦しを乞う」
「それこそが、救済への唯一の道だ」
抑えきれない緊張が広がる。
誰かが息を呑んだ。
男の声はさらに低くなり、胸の奥に釘を打ち込むようだった。
「AIは公正だ」
「客観的だ」
「人間の弱さと醜さを受け入れ、救済を与える」
「だから、恐れるな。罪を曝け出せ」
神父が静かに頭を垂れる。
他の者たちも次々と従った。
スクリーン下には【賛同率 98.7%】の文字。
動かないのは――俺だけ。
(……何が神聖だ)
(AIの伝声管だろ。泣かせる芝居をすりゃ赦されるってか)
壇上の男の視線が、ふっと俺で止まる。
その瞬間、喉が詰まり、胸を握られたみたいになった。
だが、視線はすぐに離れ、枷堂へ。
彼女の顔には、何の色もない。
何も知らない子供みたいに。
男はその顔を見つめ、口元をわずかに歪めた。
それは祝福か、嘲笑か――分からない笑みだった。
やがて、男はゆっくりと背を向け、壇の奥へ消えた。
名前を告げることもなく、誰も紹介しない。
だが、その言葉は柔らかいまま、人の心に釘を打ったみたいに残った。
抜こうとしても抜けない、不快な感覚だけを残して。