第17話 崩壊の舞台、そして血と告解
AIの冷たいアナウンスが、絶妙なタイミングで響く。
〈残り時間、10分。〉
(……決断の時だ。)
足を速め、別の通路に身を滑り込ませる。
前方、やっと間宮の姿が見えた。
崩れた壁の陰にもたれ、火のついていない煙草をくわえたまま、険しい目で俺を睨む。
「遅いじゃん、西園寺。」
「……悪い。」
声を低くし、簡潔に作戦を告げる。
「ここで待機。俺があいつらを引きつける。合図したら、横から回り込め。」
間宮は答えず、煙草を噛みしめたまま、影に消える。
俺は深く息を吸い、足を踏み出す。
前方の濃い煙の奥から、足音と声が迫ってきた。
「やっぱりこっちだろ?」
──佐久間 亮の声。
(来た。)
拳を握りしめた、その瞬間──
耳元に、押し殺した声が落ちてきた。間宮だ。
「……悪いね、西園寺。あたし、抜けるわ。」
一瞬、思考が止まる。心臓を鷲掴みにされたみたいに沈み込む。
「間宮、何言って──」
声は低いのに、そこに混じる震えは強情で、鋭かった。
「あんたの指示なんか、もう聞きたくない。あたしら、駒扱いでしょ? 死ぬのはごめんだわ。」
次の瞬間、間宮の影は迷いなく別の分岐へと消えた。反応する間もなく。
「……間宮!」
追いかけようと身を翻した、その刹那──
ドン、と鈍い破裂音。視界が白煙に呑まれた。
濃煙が一気に押し寄せ、目の前が白に塗り潰される。
咳き込みながら、耳を裂くように響く声。
「おやおや? 仲間、もう逃げちゃったの?」
佐久間 亮。
鼻と口を押さえるが、煙が肺を焼く。
(……煙幕か。視界を奪う気か……クソッ)
背を壁に預ける。だが、そこはすでに行き止まりだ。
熱と煙で空気が粘つき、肺が焼ける。
そのとき、別の冷たい声が霧を裂くように響いた。
「正義を執行する。告解を受けろ。」
井之上純。
煙の中で、巨大な金属の輪郭が光を弾く。
(盾……罪装ってわけか。)
咳き込みながら、声を絞り出す。
「こ……ッ、」
だが煙が喉を裂き、呼吸ごと奪っていく。
「ゴホッ……けほッ、ゴホッ……!」
涙で視界がぼやける。
佐久間の声が耳元にまとわりつく。
「言葉が出ないと、罪装使えないんだよな? “審判官”さん。」
「それがお前の弱点だ。」
奥歯を噛み砕きそうなほど力を込めるが、咳しか出ない。
膝が砕け、地に落ちる。
鉄錆の味が喉を満たし、血を吐いた。
(……ここまで計算済みってか。クソ……)
コメント欄が雪崩のように爆発する。
【どうしたw】
【言えないww】
【コード封印w】
【ザマァw】
【負け確定w】
片手を上げ、制止のジェスチャーを必死に作る。
井之上の低く冷たい声が響く。
「終わりだ。」
霧がわずかに裂け、血と涙が顎から滴り落ちる。
「……くそ、クソッ……」
佐久間が一歩踏み出し、にやりと笑う気配。
「じゃあ、観客に見せよっか? “CODE男、土下座の瞬間”ってやつ――」
そのとき、俺は顔を上げた。
視線を霧の奥に投げる。
銀光が、ゆらりと差し込む。
佐久間の足が止まる。
「……は?」
銀閃。
詩音が、無音で霧を裂いて現れた。
大剣の軌跡が、濃霧を一刀両断する。
コメントが炸裂する。
【キタ――!】
【詩音ちゃんw】
【これが助太刀】
【やっぱ第三班推せるわ】
顎を拭い、血と涙を拭う。
濁った空気を肺いっぱいに吸い込み、呟く。
(……来たな、詩音。)
痺れた指を握り直す。
(ここが舞台だ。
観客に――見せてやるよ、欲しがってるモノを。)
井之上は反応が早かった。
大盾を振り上げ、詩音の斬撃を正面で受け止める。
金属音が爆ぜ、火花が霧を照らす。
だが次の瞬間、背後からもう一閃。
間宮が、無音で現れた。
一突きで背を貫き、続けざまに肋骨を断つ。
あまりに滑らかで、稽古済みの芝居のように。
「――ッ!」
井之上の背から、鮮血が噴き出す。
振り返った顔は、絶望に引き裂かれていた。
間宮は、煙草を指に挟んだまま立っていた。
目に温度はなく、ただ冷たい光だけを湛えて。
深く煙を吸い込み、井之上の顔を射抜くように吐きつける。
「……邪魔。」
白煙が顔面を覆い、井之上は咳と血を吐きながら崩れ落ちた。
(……その一撃、借りとくぜ、間宮。相手は違うがな。)
佐久間が舌打ちし、怒声を吐く。
「クソッ!」
口から濃煙を噴き出し、視界を覆おうとする――
が、煙が巻き上がった刹那、鉄棍が霧を裂いた。
ゴンッ!
鈍い音と共に、佐久間の顔面が歪む。
熊谷だ。
鉄棍を握るその腕から、血が滴っていた。
俺は、ゆっくり立ち上がる。
口元を拭い、呼吸を整える。
霧が晴れる。
そこに残ったのは、血と石屑に塗れた舞台。
間宮が煙を吐き、熊谷が鉄棍を振るい、詩音は無言で刃を構える。
銀の刀身に、紅が映える。
俺は胸の奥の痛みを押し殺し、顔を上げた。
カメラアイを真っ直ぐに睨みつける。
「……3W班、全員揃った。」
声は枯れていたが、確かに響き渡った。
迷宮に、AIの無機質な沈黙と、観客の狂騒がこだまする。
コメントが火山のように噴き上がる。
【血www】
【やべえ】
【最高の回だわw】
【詩音ちゃん最強】
【CODE男もええ顔してるw】
【これが贖罪SHOWw】
(……血と告解。
すべて、奴らの娯楽だ。)
視線を落とすと、血で濡れた床が、舞台の赤い絨毯みたいに広がっていた。
肩はまだ焼けるように痛む。
指先は震えが止まらない。
もう一度、顔を上げる。
冷酷なカメラアイを、睨み潰す勢いで見据えた。
(……これが欲しいんだろ?
AI様、観客様――たっぷり“演じてやる”よ。)




