第16話 観客のための演出
井之上が低く鼻で笑った。
「……じゃあな、西園寺。」
「次に会う時は、こんな甘い顔しないぜ。」
踵を返して歩き出す。その背を目で追うだけで、止めもしない。
だが、奴はふいに立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り返った。
「そういやさ――ずっと引っかかってたんだよな。」
「『西園寺透』って名前、どこかで聞いた覚えがあるって。」
「……まさか、お坊ちゃまか?」
(……また過去を抉るつもりか。
観客にはもうバレてるネタだ。目新しさなんてない。)
表示板が即座にざわめきだす。
【西園寺家ww物資王w】
【独占=罪ww】
【もっと言えw】
井之上は、その声が聞こえているかのように口角を吊り上げ、大げさな調子で続ける。
「おいおい、そんな怖い顔すんなって。」
「ただの世間話だよ?」
「でさ、お前、何やらかしたんだ?」
「パパとママにここ放り込まれるなんて、相当派手な罪だろ?」
(……なるほど。
こいつ、『演じてる』な。観客を味方につけるために。)
(最初は戦う気ない態度で油断させて、今度は挑発か。
――罪装を先に切らせたいって腹か?)
無視するように顎をしゃくり、吐き捨てる。
「……興味ねぇなら、とっとと消えろ。」
井之上が細めた目で、長い「あ~」を落とす。
「やっぱりな。亮の言ったとおり、効かねぇか。」
肩を竦めると、踵を返した。
「でもよ……今俺を放っとくの、きっと後悔するぜ?」
そう言い残し、闇に溶けるように歩き去っていく。
掲示板は、期待を外された視聴者の声で溢れた。
【なんだよバトらねーのかw】
【肩透かしw】
【別れ話か?】
舌打ちを飲み込み、視線を落とす。
(……罪装が俺向きじゃねぇって?
こっちだって、下手にリスクは取れねぇ。)
石壁に背を預けたまま、息を整える。
頭上のスピーカーから、無機質な声が降ってきた。
〈告解進捗評価に基づき、補助アイテムの支給を許可〉
〈観客投票:贖罪への慈悲〉
頭上で、低い駆動音。
見上げると、ドローンが箱を吊り下げてゆっくり降下してきた。
眉間に皺が寄る。
(……『慈悲』ね。笑わせる。ただの演出だろ。)
コメント欄は再び炎上する。
【おお、救済w】
【優しい世界(棒)】
【もっと血を見せろw】
【CODE男かわいそうw】
【頑張れよ審判官ww】
(血も、慈悲も、全部『消費』するためのネタってわけか。)
吊り下げられた箱を外し、中身を確認する。止血剤と包帯。
視線を落とし、血に染まった肩を見やる。
(……使えるものは使う。それだけだ。)
顔を上げ、空に浮かぶAIカメラにわざと笑みを見せてやる。
「……ありがとよ。」
コメントが一斉に爆ぜた。
【あ、今のイイw】
【イケメンムーブw】
【笑ったw】【かわいいw】
(これが『贖罪SHOW』だ。
慈悲さえも演出の一部――
晒され、消費される。それだけの話だ。)
石段が足元でかすかに震えた。
亀裂が下層から這い上がるように走り抜け、まるで巨大な獣が塔を食い破っているみたいだ。
(クソ……崩れる。)
見上げる。頭上に浮かぶ巨大な石板――
(まだ距離がある……!)
息を吸い込み、肩の疼きを押し殺して駆け上がる。
頭上から、AIの冷たい広報が落ちてきた。
〈迷宮構造、崩壊進行中。最終ステージへの収束を開始します〉
〈下層崩壊まで、残り三分〉
コメント欄が一気に火を吹く。
【崩れるぞw】
【上に逃げろww】
【CODE男間に合うか?】
【ここからが本番だな】
(間に合わせるさ。これが仕組まれた“舞台”なんだろ?)
裂け目と瓦礫の隙間を縫い、最後の崩れた石段を駆け上がる。
歯を食いしばり、壁の欠け目を越えた瞬間――
閃光が視界を白く焼き、足は最上層へ踏み込んでいた。
肩に奔る鋭い痛み。
壁に片腕を突き、荒い息を吐く。
裂けた肩口から、じわりと温かい血が滲み落ちる感覚。
AIの声が、鐘のように冷ややかに響いた。
〈下層崩壊完了。最終ステージ確定〉
〈全罪人を、最上階へ収束します〉
ゆっくりと顔を上げる。
高みに浮かぶ巨大な表示板――
眩しいノイズのように、コメントが画面を埋め尽くしていた。
(ここからだ――本当の幕が上がるのは。)
観客のコメントをざっと目で追う。
(……脱落者の情報はないか。)
【あいつどこ行った】
【6C班そっち行った】
【詩音ちゃん映せw】
【下層崩壊やばw】
【誘導してんのか?】
(……上層への誘導に気づいてるか。)
しゃがみ込み、瓦礫のかけらを拾い上げる。
(最初から仕込まれた手だ。――“彼ら”に見せるだけでいい。)
その石で、壁面に大きな矢印を刻みつける。
わざと、ゆっくり、観客に見せつけるように。
「……よく見てろ。」
次の瞬間、コメント欄が水道管をぶち抜いたみたいに溢れた。
【誘導してるw】
【あれ仲間向けだろ】
【6C気づけw】
【6C班も読めよw】
【あれ罠じゃね?】
流れる文字を睨み、唇をかすかに噛む。
(フッ。やっぱり誰かが口を出す。観客は本当に“親切”だな。)
AIのカメラアイが、嗅ぎ取った獣みたいに動きを止め、俺を凝視する。
うつむいて、まだ刻んでいるフリをする。
今度の矢印は――さっきとは違う方向へ。
(これは“観客向け”の矢印だ。)
(本物の集合指示なんざ、お前らに見せるわけねぇだろ。)
手についた血を拭い、思案してる風を装う。
(掲示板で直接伝える? 目立ちすぎる。――嘘をひとつ、落としてやるだけでいい。)
コメントがまた狂ったように踊る。
【フェイク説ww】
【二重誘導かよ】
【こいつ悪い顔してるw】
【6C班気をつけろw】
【詩音ちゃんはどこだw】




