第15話 中間投票、歪んだ舞台
俺は、最後の崩れかけた石段をゆっくり踏みしめ、上層の迷宮へ足を踏み入れた。
頭上には、さらに高い階層を覆い隠す巨大な石板が、重くのしかかるように吊り下がっている。
光は薄暗く、石壁には斑模様の影がうねり、まるで怪物の手が壁を這っているように見えた。
(……まだ最上層じゃないのか?)
(クソ、また次の階段を探さなきゃならねえ。)
肩が鈍く疼く。
目を落とすと、傷口の縁から血が滲んでいた。
指先で触れると、生ぬるい感触が手のひらにまとわりつく――思った以上に深い。
処置しなけりゃ、流れ続けるだろう。
小さく息を吐き、近くの石壁に血をこすりつける。
鮮やかな紅の線が、無骨な壁に刻まれた。
(……まるでガキの落書きだな。)
(だが――これで、誰かが通ったと分かる。)
顔を上げると、迷宮の天井に吊られた巨大なビジョンが視界に入る。
コメントの弾幕が、爆ぜるように流れていた。
どうやら別の階層で、派手な戦いが始まっているらしい。観客の熱が画面越しに伝わってくる。
【間宮vs早乙女www】
【熊谷の棍かっけえ】
【血の匂いしてきたw】
【間宮の構えエロい】
【熊谷突撃www】
【CODE男はどこ?】
【早く出ろ主役w】
「CODE男」の文字が視界をかすめた瞬間、口の端がわずかに引きつる。
喉の奥にこみ上げる苦味を、無理やり飲み下した。
(……まだだ。)
(こいつら、まだ“足りねえ”と思ってる。)
(――見せてやるよ、飽きるまでな。)
そう心の中で吐き捨て、足を進めたそのとき――
耳を裂くようなAIの無機質な声が、空気を震わせる。
〈警告。下層構造の崩壊を検知。安全エリアへの移動を推奨します〉
直後、下層から地鳴りのような轟音が響き渡った。
瓦礫が崩れ、石の唸りが迷宮全体を揺らす。
粉塵が宙に舞い、視界が白くかすんだ。
(……これも“演出”かよ。)
(結局、俺たちを上へ追い立てるための――)
乾いた笑いを喉の奥で漏らす。
(だが、ちょうどいい。行き先は、最初から決まってる。)
視線を上げると、階層と階層の隙間に吊られた巨大ビジョンが、血のような赤を点滅させていた。
コメントが狂ったように流れていく。
【崩落演出キターwww】
【詰めろ!上行け!】
【下層まだ残ってる奴いるw】
【早く上来いよww】
【落ちたやつ死亡確定w】
(……他の奴らの位置を知りたいが、情報がごちゃ混ぜだ。)
脳裏をよぎる、あの冷たい無表情――詩音。
(……無事でいろよ。お前、追いついて来られるか?)
肩の鈍痛をかばいながら、深く息を吸い込む。
(考えるな。――上へ行く。それだけだ。)
崩れた回廊を一歩ずつ進みながら、制服の袖を裂き、肩に巻きつけて応急止血する。
上層への階段がすぐそこに見えた気がしたが、曲がり角を抜けると――またも行き止まり。
壁に血で印を残す。
(……面倒だな。崩落する前に、上に通じるルートを見つけないと。)
湿った灰の匂いが鼻を突き、足音だけが虚ろな迷宮に長く響く。
崩れた柱を回り込んだ瞬間――前方に、わずかな気配。
反射的に足を止め、目を上げる。
そこにいたのは、6C班の班長――井之上 純。
石壁に凭れ、まるで待ち構えていたかのように。
細めた瞳が、血に濡れた俺の姿を一瞥し、肩の赤に止まる。
「……やっぱりな、そのザマか。」
俺は答えず、呼吸を整える。
彼の顔には殺意はない。ただ、軽く漂う嘲りだけ。
「亮が言ってたよ。」
「お前とは舌戦しても意味がねぇ――全部見抜かれるからな。」
(佐久間 亮――昨日のコンビニのやつか。
なるほど、“試し”ってやつかよ。)
乾いた唇を舐め、低く問いかける。
「……で、どうするつもりだ。」
井之上は肩をすくめ、気の抜けた声で答える。
「誤解すんなよ。お前とやり合う気なんてない。
俺の罪装は、お前向きじゃねぇ。」
そう言いながら、軽く首を傾け、俺の血に視線を落とす。
「今は――撤退するだけだ。」
目を細め、視線を逸らさずに問う。
「……橘 美櫻、お前が仕掛けたんだな。」
否定はない。むしろ、愉快そうに笑った。
「まあな。役割分担ってやつだ。」
「お前らも同じだろ?」
(――最初から決まっていた。
誰が誰とぶつかり、誰が壊れて、誰が血を流し、誰が“赦される”のか。
全部、観客に見せるための――脚本。)
吐き出した息が冷たい。
「じゃあ……お前は何しにここに?」
井之上の笑みが消え、ゆっくりと身体を起こす。
両腕を抱え込み、寒気をこらえるように肩をすくめながら、ぽつりと呟いた。
「……さあな。」
その瞬間――
頭上からAIの冷酷な声が、迷宮全体に響き渡った。
〈現在、中間投票の集計を開始〉
〈個人ランキングを公開します〉
〈上位3名は次ラウンドで支援ボーナスを獲得します〉
石壁と床が一斉に青白く光り、投影が浮かび上がる。
その巨大なスクリーンに、狂気じみた弾幕が溢れ出す。
【CODE男まだ生きてるw】
【さっきのシーン神回ww】
【誰が告解送りになった?】
【ビリは誰だよww】
【泣けよww赦してやるからww】
眩しい光と数字が視界に刺さり、胸の奥が氷水で満たされる感覚。
(……投票。ランキング。
これが――やつらの“娯楽”。)
井之上も顔を上げ、ビジョンを見つめる。
瞳に宿るのは、苛立ちとも吐き気ともつかない光。
「……クソが。
俺たちを、何だと思ってやがる。」
答えない。ただ、息を深く吐き出した。
(――これが八雲の言う『理解しろ』ってやつか。)
(贖罪? 違う。
これは――SHOWだ。)
AIの無機質な声が、再び落ちてくる。
〈次のフェーズに移行します。参加者は行動を継続してください〉




