第13話 幻光の檻
いつ意識を失ったのか、覚えていない。
気がついた時には、巨大な石造りの廃墟に立っていた。
頭上には、重苦しい石板が幾重にも重なり、そこからは上層迷宮の底面が見える。
さらに、その中央には――観客席の象徴ともいえる巨大なスクリーン。
この層構造は、互いの舞台を「見えるように」設計されている。
視線を向けるたび、スクリーンのコメントが止めどなく流れ落ち、終わりのない滝のようだ。
――《審判SHOW》は、何の予告もなく、幕を開けた。
俺は静かに吐息を洩らす。
耳元で、AIの冷ややかなアナウンスが始まった。まるでゲームのナビゲーターのように。
《多層迷宮の審判ショー》
ルール:5 vs 5 団体迷宮戦
制限時間内でポイントを奪い合え。
【基本規則】
・両チーム、5 vs 4
・廃墟化した多層迷宮にランダム配置
・時間制限 60分
・敵を「告解不能」にするとポイント加算
・生存人数ボーナス
・個人パフォーマンス評価
・告解不能時は強制的に告解室送り
〈この審判SHOWは、公正かつ「可視化された」贖罪の舞台である。血を流し、罪を晒し、観客に赦しを請え〉
(――公正、ね。笑わせる)
(実際は、誰が先に動いて、誰を黙らせるか……それだけのゲームだ)
だが、八雲は言った。
「単純な殺し合いじゃない」と。
(……八雲。お前、俺たちに何を見せたい?)
壁に埋め込まれたAIの「目」を見上げる。
赤い光が瞬き、冷たい瞳孔のようにこちらを射抜いていた。
俺は軽く手を振る――わざとらしく。
その瞬間、スクリーンのコメント欄が爆発した。
【CODE男!?】【笑ったぞwww】
【余裕ぶってんな】【こいつ絶対狙ってやってる】
賛否入り乱れる。
俺は細めた目で、そのスクリーンを見据える。
(……使える)
指を唇に当て、「シー」のジェスチャーをする。
再びコメントが荒れる。
【なに暗号送ってんのw】【観客煽りの天才】
【こいつバズるぞ】【意味深すぎw】
――どれだけ伝わるかは分からない。だが、試すしかない。
俺は足元の瓦礫を拾い、壁に簡単な矢印を刻む。
敵に向けたものじゃない。同じ班の奴らに――もし、これを見つけたなら。
視線を上げると、スクリーンにはまだ情報が流れていた。
【6班のやつ、X層で発見】
【3班の詩音、あっちにいる】
【もうすぐ鉢合わせw】
(……完全に公開実況だな)
(観客の「お節介」で動線が決まる――まるで人形劇だ) 崩れた石畳を踏みしめ、俺は黙々と進む。
上層に上がろうとしたが、通路は完全に開かれていない。
分厚い石壁に阻まれ、細い裂け目を探して身を滑り込ませる。
湿った土と埃の匂い。遠くで誰かの足音が反響していた。
(……あいつら、まだ彷徨ってるか)
崩落した階段を登り、角を曲がる――
そこで、視界に影が差した。
壁にもたれ、舞台女優みたいな笑みを浮かべる女。
長い睫毛の奥の瞳に、毒を隠している。
「……あら」
彼女は手の甲を頬に当て、甘ったるく微笑んだ。
「こんなところで会うなんて――運命ね」
俺は視線を上げ、スクリーンを一瞥する。
【CODE男キター】【女、完全にアイドル枠w】
【仲良くバトれw】【修羅場の匂い】
(……観客は今日も下衆いな)
息をひとつ吐き、俺は冷たく言った。
「……6C班。橘 美櫻」
「ふふ、でもそんな呼び方、堅苦しいわよね?」
顎を少し上げ、目だけが鋭く光る。
「――ねぇ、副会長さん?」
視線を細める。
スクリーンは狂喜乱舞していた。
【同級生対決www】【まさかの元カノ枠!?】
【もっと暴露しろ】【性格悪そうで草】
(……こういうのが一番ウケる)
「覚えててくれて光栄」
唇に笑みを刻むが、瞳は凍りついている。
俺も逸らさない。
「覚えてるさ」
声を低く、わざと刺すように。
「――お前が告白して、俺に断られた時の顔」
弾幕が弾ける。
【wwwww】【フラれ女逆襲劇w】
【やっぱドロドロ展開きた】【神回確定】
橘 美櫻の頬が朱に染まり、笑みが崩れた。
「……言うなよ、クソッ……!」
声が震える――だが次の瞬間、その瞳に決意の光。
唇がゆっくりと開き、詩のような言葉が流れ出す。
「……奪いたいの、全部私のものにしたいの。愛なんて要らないのに」
AIの無機質な声が重なる。
〈告解詩句認証完了。罪装起動――橘 美櫻、罪装:幻惑光投射〉
同時に、美櫻は甘美な笑みを浮かべる――だが、その奥で光るのは刃だ。
「逃がさないよ」
指先から迸る眩い光。
それは瞬時に散り、宙を漂う無数の光片となって瓦礫を染める。
壁、石柱、舞い上がる塵。
全てが彼女のキャンバスとなり、歪んだ幻を描き出す。
――視界一面に「橘 美櫻」が増殖した。
左から、右から、背後から。
甘やかな笑声が幾重にも重なり、空間を侵す。
まるで、鏡の迷宮に迷い込んだかのようだ。
眉をひそめ、姿勢を低くして呼吸を整える。
(……幻惑光投射。視覚と認知を狂わせる系統か)
(つまり、ここは――俺に「告解」させる舞台)
虚像たちが一斉に口を開く。
「さあ、告解しろよ」
「観客は待ってるぜ」
「演じろよ、得意だろ?」
弾幕が狂ったように踊る。
【www】【演劇始まった】【もっとやれ】
【学生時代のネタ掘れ】【地獄のカップル劇場w】
俺は深く息を吸い、過去の光景を掘り起こす。
――あの頃、彼女は校内でそこそこ有名な地下アイドルだった。
話術が巧みで、いつも自分を中心に話題を回す。
俺は副会長として、度々その場を整え、秩序を保つ役割だった。
――人前に立たされる「役」を演じる者同士。
あの日、放課後の裏廊下。
スカートの裾を指でいじりながら、彼女は言った。
『……好き、です。付き合ってください』
だが――俺は分かっていた。
その瞳が見ているのは「俺」じゃない。
征服のスリルと、物語の主人公になった気分。
だから、俺は拒絶した。
『……お前が好きなのは、この状況だろ』
その時の顔。
粉々に砕けた笑顔と、噛み殺した憎悪。
――そして今、再びその瞳が、幻光の奥から俺を射抜いている。
「告解しろよ、西園寺」
「ほら、舞台は整った」
「嘘も本音も、ぜんぶさらけ出せ」
光束が唸り、俺の横を裂いた。
石柱が砕け、粉塵が舞う。
かすめた光が肩の布を焦がし、皮膚に焼ける痛みを残す。
息が荒くなりながら、俺は低く呟く。
「……俺は――お前と戦うつもりはない」
(――舞台の上では、きらめいていた)
(だが、幕が下りれば、平然と笑い、平然と裏切る)
(本気で愛したことなど、一度もない)
(このSHOWも同じだ。――全部、演技だ)
(だが……もしお前に、ほんの欠片でも魂が残ってるなら――)
(俺を恨め。俺を殺せ。本気で、な)




