第七首『走れ!生首バイク』
怪異によって殺された人を何度も目の前で見てきた心矢は……
あのデートから数日経ったある日のこと。俺は近所の喫茶店に来ていた。
つむぎはテーブルの上に乗って、長いストローを器用に使いジュースを啜っている。生首のつむぎが飲み物を飲みやすいように俺が特注した専用のストローだ。
喫茶店の人も周りの客も、もう最近は生首がテーブルの上で飲み物を啜る様子にすっかり慣れきっていた。
「つむぎ、大事な話がある」
俺はいつになく真剣な表情を作り、つむぎに話しかけた。つむぎもそれに気づいてジュースを啜るのを辞めてこちらを見る。氷の音だけがカランと店内に鳴り響く。
「俺、本格的に除霊師として……」
「ダメ」
全てを言い切るより前に、つむぎが答えた。
「お前だって今まで何度も見てきただろ。怪異に人が何人も殺されていくのを。この間の高橋さんだって」
「だからこそだよ!」
俺の説得を遮って、つむぎが叫んだ。その大声は店内全体に響き渡り、周囲の客がギョッとした様子でこちらを見る。それに気づいてつむぎが恥ずかしそうに顔を赤くした。
「ごめん……でも、やっぱり心矢が除霊師になるのは認められない。怪異を何度も見てきたからこそ、心矢にそんな危険なことしてほしくない」
つむぎの気持ちも痛いほど分かる。俺だって、俺がつむぎと同じ立場ならそう言っていた気がする。でも、それでも、今回ばかりは譲れない。
「俺……嫌なんだよ……。大切な人が目の前で傷ついたり、死んだりしたら、その度に心の中がグワッて黒く染まる感じがして……」
「だったら、なおさら関わらない方がいいでしょ」
つむぎが鋭くツッコむ。いつもの可愛らしいムスッとした怒り方ではない、本気の怒り方だ。だけどそれでも俺は折れない。
「……守れる力があるのに、怪異が人を傷つけていることを知っているのに、見ないフリなんかできない! そんなの耐えられない! だから!」
「そんなのどうだっていいよ!」
再び店内に大声が響き渡る。皆が一斉に叫んだ生首の姿を見る。しかし、今度は恥ずかしそうな顔はしない。その目は真剣そのものだ。
「私は心矢さえいてくれれば……、心矢が……」
さっきまであんなすごい気迫で話していたつむぎが急に黙り込んで俯いた。
「どうした?」
「心矢、大事な話があるの」
つむぎがキョロキョロと周囲の客を見る。
「ごめん、こっから先はお店出て話そう」
◇ ◆ ◇
俺達はアパートの自分の部屋に帰ってきた。床にはまだ、昨日の高橋さんの葬儀に着ていった喪服が落ちている。俺は床にあった喪服をペイッと足で除けると、そこに座り込み、目の前につむぎの生首を置いた。
「やっと二人きりになれたね……」
やっと、というのは本当はどこか別な場所で二人きりで話そうと思ったが、どこへ行くにも生首が目立って中々二人きりになれなかったからである。
「それで、話って何?」
「それは……私が死んだ日のことについて」
それは、俺の心の中に深く刻み込まれた傷。忌まわしき記憶。あの日、つむぎは死んだ。突然現れた通り魔のせいで。ぼんやりとした記憶だが、思いだしただけでも気分が重くなる。
「あの日、私は通り魔に襲われたって、あなたに言ったよね」
「……それがどうした?」
おそるおそる聞いてみる。正直、聞くのがすごく怖くなっていたが、それでも、聞かなきゃいけないような気がした。
「私を襲ったのは、通り魔じゃない。怪異なの」
「!?」
寝耳に水だ。たしかに、あの日のことはショックでぼんやりとしか覚えていない。でも、まさか、怪異なんて。
「どういうことなんだ、詳しく説明してくれ」
「………………」
つむぎが黙り込む。言い辛いのも無理はない。あの日はつむぎにとって自分が死んだ日なのだ。トラウマになるに決まっている。それでもつむぎは勇気を振り絞って口を開いた。
「あの日、私と心矢は怪異に襲われた。心矢は後ろにいる怪異の姿を見る前に頭を殴られたから記憶が曖昧になってるんだろうけど」
「そんな……それでその後どうなったんだ?」
「あなたの記憶にある通り、私は怪異から逃げようとして道路に飛び出して轢かれた。怪異は目の前で私が轢かれたのにビックリして逃げて行ったの」
信じられない。まさか俺達がジンと出会った日のずっと前に怪異に会っていたなんて。でも、今にして思えば、つむぎはまるで怪異を見たことあるようなリアクションをしていたような気もする。うろ覚えだが。
「ちなみに、何の怪異だったんだ?」
「えっ!? それは、えっと」
つむぎが急に言葉に詰まり、つむぎのアホ毛くねくね動き出す。あのくねくねはつむぎが焦っているサインだ。
「ごめん……そこまではあんまり覚えていないんだ……」
「そっか」
「でも、とにかく、あなたは怪異に一度殺されかけてるんだよ。私もそれを見た。だから!」
つむぎが必死に俺を説得しようとする。だが、俺はそれでも折れなかった。
「いや、やっぱり戦うよ」
「なんで!? 私の話聞いてたよね?」
つむぎが涙目になる。よほど俺のことを心配してくれているらしい。
「だからこそ、その話を聞いて、余計にそう思った。だってあの日つむぎが死んだのは、俺に守る力が無かったからってことじゃないか。あの日の俺が除霊師の力を持ってたら、俺が強かったら、つむぎは死ななかった」
「それは……! ……でも」
つむぎの目から涙が溢れ出す。
「ごめんつむぎ。でも俺はどうしても戦いたい。戦って、俺の手で大切な人を守りたいんだ」
つむぎがそれを聞いてますます悲しそうにすすり泣く。
「違うよ……違うんだよ……心矢……」
俺がつむぎを本気で泣かせたのは、今日が初めてだった。その辛そうな表情が俺の胸も締めつける。
――そのとき、つむぎのアホ毛が再びピンと立った。
「これは!」
つむぎが思わず反応する。
「怪異が出たのか!?」
「……」
そう聞いても、つむぎは何も答えない。
「頼む! 教えてくれ!」
「嫌だ! 教えたら戦いに行っちゃうもん」
こうなったときのつむぎは頑固だ。中々口を利いてくれない。
「仕方ない! 出るぞ! つむぎ!」
「えっ!?」
俺はつむぎを素早く抱きかかえて、部屋を飛び出した。
アパートの目の前の道で、俺達は言い争っていた。怪異の場所をどうしても喋ってくれないのだ。
「やめて! 私が言わなきゃ見つかるわけないでしょ!」
「それでも探す! こうしてる間にも誰かが殺されているかもしれないんだ!」
「私は絶対に教えないからね!」
「頼む! 話してくれよ!」
俺とつむぎが口論していると、後ろからスマホを持った女子高生の2人組が走ってきた。
「ねぇ! さっきの黒いお尻の付いたバス見た!?」
「ヤバいよね! まだあっちにいるかな?」
「早く写真撮ろうよ! マジで映えること間違いなしだよ!」
そのまま女子高生は、喧嘩していた俺達二人には見向きもせず走り去っていった。
「黒い尻のついたバス……? 怪異か?」
「ち、違うでしょ! 大体怪異なら普通の人間には見えないはずだよ」
「いや、見えるぜ。特質怪異ならな」
何やら聞き覚えのある声がして振り返ると、真上にバケロンがプカプカ浮かんでいた。
「お前、また……。てか、特質怪異ってなんだ?」
「特質怪異……|。ま、簡単にいえば特質霊の怪異バージョンだな。だから普通の人間にも見える。特質霊のつむぎが見えるのと同じようにな。バケロンフォンの中にデータがあったはずだぞ」
バケロンフォンはつむぎの所有物だ。俺がつむぎの方を見るとつむぎがプイッと目を逸らした。意地でも戦わせたくないらしい。
「とにかく、あの女子高生が行った方に俺達も行ってみよう」
◇ ◆ ◇
走ってきてみると、道路の脇でさっきの女子高生2人がうずくまって倒れているのに気がついたら。しゃがみこんで訳を聞いてみる。
「大丈夫か!?」
「何があったの?」
「うっ、尻付いたバスが急にうちらの方向かってきて」
「轢き逃げとか、マジさいあく……」
なんとか一命は取り留めているが、すごく痛そうだ。
「どっちに言ったんだ? そのバスは」
女子高生の一人が力無く遠くの方を指差した。
「まだそう遠くへ行ってないはずバケ! 救急車はオイラがもう呼んだから、お前らは早く怪異を追いかけるバケ!」
今の一瞬でいつのまに救急車を呼んだんだ。このオバケ、意外にも仕事が早い。
「追いかけるっていったって、どうやって……」
「バケロンフォンのバイクアプリを使うバケ!」
バイクアプリ、聞いたこともないアプリだ。ポケットからバケロンフォンを取り出して画面を確認してみる。すると確かに、右下にバイクの描かれたアイコンがある。
「そのアプリ私も使ったこと無いや……」
つむぎも不思議そうにスマホの画面を覗き込んでいた。俺はおそるおそるそのアイコンを押してみた。
すると、なんということだろう。スマホが空中に浮かび上がるとぐんぐん巨大化し、みるみるうちに変形しバイクの形になっていくではないか。
「なんだこれ!? どうなってんだ!?」
完全にバイクの形になったスマホは俺達の目の前にドシンと着地した。
俺は右腕に数珠を付けて除霊師の姿に変身した。
「ヘルメットと叫ぶバケ!」
「ヘルメット!」
バケロンに言われた通りそう叫ぶと、俺の頭とつむぎの頭にヘルメットが装着された。どちらもフルフェイスタイプで、柄は同じだが俺が赤色、つむぎが青色の色違いになっている。お揃いっぽくてなんだかそれが少し嬉しかった。
「えっ、私も乗るの?」
「乗らないと駄目だバケ! そのバイクは特質霊の持つ特殊な脳波の力で動くんだバケ。前の台座に生首を置くんだバケ!」
前の台座……なるほど、確かにバイクをよく見ると正面に生首を置くための台座が付いている。俺はその台座につむぎをしっかりと固定した。
「ちょ、ちょっと怖いんだけど」
つむぎには申し訳ないが、今は迷っている時間は無い。俺はバイクに乗り込むと、かすかな記憶を頼りにバイクのエンジンをかける。昔免許を取ったはいいものの、それ以来ほとんどバイクになんて乗っていない。運転方法もかなりうろ覚えで、正直不安だ。
しかし、それでも今、走り出さなければならなかった。アクセルをいっぱいに踏み込むと、バイクが動き出した。
俺は自分を奮い立たせるように叫んだ。
「走れ! 生首バイク!」