第二首『右手首の赤い数珠』
【前回のあらすじ】
ある日突然交通事故で死んだはずの彼女が生首になって帰ってきた。久しぶりにデートに出かけたら謎のバケモノに襲われて大ピンチ! しかしそこに除霊師を名乗る男が現れたのだった。
狩居太ジン、男はそう名乗るとゆっくりかがみ込んで、落ちていたつむぎの頬に触れた。
「ひゃっ! なんなのいきなり」
つむぎが恥ずかしそうに顔を赤らめる。かなりムカつく。彼女に触れていいのは俺だけだ。
「お、おい! 俺の彼女に触るな!」
「ん、あー、わるいわるい」
ジンはそういうと立ち上がって頭を掻いた。
「特質霊を見るのが久々でな……しかもこのアホ毛、センサータイプだ……」
ジンがつむぎのアホ毛をまじまじと見つめる。
「はぁ? 何言ってるかさっぱり分かんねーよ」
俺はそう言いながら落ちていたつむぎを拾い上げ、胸の前で抱き抱えた。
「あの、特質霊ってなんなんですか? あのバケモノのこと? ていうか除霊師って……?」
つむぎが腕の中で不思議そうに生首を傾げる。
「違う、特質霊ってのはお前みたいな身体の一部分だけが霊体化した霊のことだ。死んだ人間の中から極稀にお前みたいなのが生まれてくるんだよ」
(お前って……俺の彼女をお前呼ばわりすんなよ)
イラッとして唇を尖らせる。
「じゃああのバケモノはいったい……?」
つむぎが更に聞いてみる。
「あれは怪異だ。心の中に深い闇を抱えたまま死んだ人や動物が生まれ変わった存在で、本能のままに人間を襲う。それを除霊するのが除霊師の仕事だ」
そう言ったところで、急にジンが目を細め俺を睨んだ。
「というか、お前は知ってるんじゃないのか? 怪異が見えたんだろ?」
「はぁ? 知らねーよ」
あんなものを知っているはずが無い。急に何を言いだすんだ。
「なんだと? 普通の人間で怪異が見えるのは除霊師になるための改造手術を受けた人間だけのはず……」
「でも私のこと、みんな見えてたよ?」
「特質霊は誰でも見えるんだよ、そうじゃなくて怪異の話をしてるんだ……まさか……いや……しかし……」
ジンがボソボソと独り言を呟きはじめる。なんだか気味が悪くなってきたので、関わるのをやめてさっさと帰ろうとした。
「なぁ、もう帰ってもいいか? とにかくその怪異ってのは倒したんだろ」
そういうと、ジンが返事するより先に、つむぎが答えた。
「待って心矢」
「ん、どうかしたか?」
つむぎの顔がいつになく真剣な表情になる。
「まだ……さっきのバケモノと同じ気配がする」
彼女の言葉を聞いて、ジンの顔色が変わった。
「本当か? それはどこだ? 詳しく教えろ」
◇ ◆ ◇
「あっ! 多分そこの道を右!」
「はいよ」
「違う違う、右ってそっちじゃなくて……そう! そっちそっち!」
「はぁ……せっかくのデートが……」
つむぎに言われるがままにベビーカーを押す。
太陽はちょうど一番高いところまで来て、コンクリートの地面を熱している。その熱さが、ただでさえベビーカーを押して疲れた俺の心を更に疲弊させた。
「もう少し早く歩けないのかお前は。早く怪異を除霊しなければまた犠牲が出るかもしれないんだぞ!」
ジンが俺の横を歩きながらさっきから文句を言ってくる。文句があるなら帰って欲しい。
「うるさいなぁ、あんまりスピード出したらベビーカーの上のつむぎが落っこちるだろ」
「それはそうだが……」
ジンがムッとこちらを睨んできたので、俺もムッと睨み返す。
「はいはい二人とも喧嘩しないで」
「しかしだな……コイツが……」
「誰がコイツだって?」
ますます怒りレベルが上がっていくのを感じる。一触即発だ。次になにかを言われたら、脳内のなにかの線がプツリとキレてしまうだろう。
「遅いんだよ……この……」
その一言で脳内のなにかの線がプツリとキレた。ベビーカーを押すのをやめ、ジンを更に睨みつける。
「やんのかこら」
「望むところだ……」
両者、ものすごい形相で睨み合う。除霊師だかなんだか知らんが、とてもコイツとは気が合わない。指をポキポキと鳴らして威嚇してみる。
その瞬間、とてつもなく力強く、そして可愛い叫びが空に響いた。
「ストーップ!」
つむぎの大声に驚いて俺もジンも睨み合うのを辞めキョトンとする。
そういえば、つむぎは付き合いはじめた頃からいつも俺が喧嘩しそうになるのを止めてくれた。俺は喧嘩っ早いから、間に入ってくれるつむぎの存在がとてもありがたかった。
そのことを思い出したら、ジンに対しての怒りはスッと消えてしまった。
「はぁ……ムキになったってしょうがないな」
「そうだな……」
さっきよりほんの少しベビーカーを押すスピードを上げ、再び歩き始めた。
「あの……その綺麗な数珠って……」
つむぎがふと、ジンの右手首についた赤い数珠を見て呟いた。
「これは除霊師にとって、一番大事なもんだ」
「大事?」
つむぎがまたも首を傾げる。つむぎは生首なので、首を傾げるときはいつも首のはしっこで頭全体を支える。とても大変そうだ。
「これは除霊師の身体の能力をアップさせ、除霊の力を与えてくれる。これがなきゃ戦うのはおろか、あの鎌を振るうことさえできないだろうな」
逆にいえば、あの数珠さえあれば俺でも戦えるのだろうか。そんなこと思ったが、なんだか怒られそうな気がして言うのをやめた。
「着いた! ここだよ!」
ベビーカーを止め目の前を見ると、そこには大きな寂れた倉庫があった。
俺たちはおそるおそる倉庫の中へ足を踏み入れた。中は薄暗く、人の気配もない。埃を被ったコンテナや段ボールがあちらこちらに放置されているだけの倉庫。
「この暗さ……いかにも怪異が巣にしそうな場所だ」
「でも見当たらないぞ? どの辺か分からないのか?」
「これ以上は……流石に……」
さっきまでピンと立っていたつむぎのアホ毛がうなだれるようにヘナッと倒れる。
「ひゃっ! ちべた!」
驚いたのと同時に、再びつむぎのアホ毛がピンと立った。どうやらこのアホ毛は怪異に反応するだけじゃなく、つむぎの感情とも連動するようだ。
「どうした?」
「今なんか頭に冷たいものが」
「頭……まさか!」
ジンがハッとして上を見る。俺とつむぎも一緒に天井を見上げる。
真上にいたのは、巨大なヤモリのような怪異だった。口からヨダレをだらだらとたれ流し、ギョロっとした目は赤く充血している。
「除霊開始だ、アカツキノカマ!」
ジンはそう叫ぶと手のひらをヤモリに向ける。空中に魔法陣が浮かび上がり、そこからあの鎌が落ちてきた。
「あれ、あの長い呪文言わないのか……」
さっきは鎌を出すのに長ったらしい呪文を唱えていたのに。
「しーっ、今じゃないよ心矢」
「緊急時だから短縮版だ。それよりお前らは早く下がっていろ」
言われるがままに、つむぎの乗っていたベビーカーを押して近くにあったコンテナの裏に隠れた。
その間にヤモリの怪異が口をカッと大きく開く。
「まずい、くるぞ!」
すると次の瞬間、ヤモリの怪異の口から複数のミサイルが発射された。
「なんだあれ!?」
ミサイルはジンめがけてものすごいスピードで飛んでくる。ジンは咄嗟に鎌のトリガーを二回押した。
「デスサイ手裏剣!」
ジンが鎌を振るうと、刃から手裏剣状のエネルギーの塊が複数放出され、飛んできたミサイルを全て撃ち落とした。
すると今度は、ヤモリの怪異が長い舌を伸ばしてきた。よくみると舌はまるで金属の針のように硬質化して尖っている。
ジンはそれをひらりと躱す。怪異の長い舌が地面に突き刺さった。舌が地面から抜けなくなって慌てた様子だ。
「ジン、今だ!」
俺は思わず叫んだ。
「言われなくても分かっている!」
ジンが応えるように鎌を振り上げ、怪異の舌を切り落とそうとした。
ーーそのときだった。ものすごいスピードで、何者かがジンの横っ腹に蹴りを喰らわせた。
喰らったジンの身体は吹っ飛び、寂れた倉庫の壁に叩きつけられる。持っていた鎌と手首につけていた赤い数珠は、その拍子にジンから離れ、俺の目の前に落ちた。
それと同時にジンの着ていた羽織が消滅した。
「今のはなんだ!?」
さっきまでジンのいた場所を見ると、そこにいたのは、俺と同じくらいの背たけの、二本足で直立する黒いレッサーパンダの怪異だった。
「二体いたのか……」
「ごめん、そこまでは感じ取れなくて……」
つむぎのアホ毛がさっきより更にうなだれる。
「つむぎのせいじゃねーよ、けど……」
(ジンがさっき言っていた言葉の通りなら、赤い数珠が外れた今のジンは……)
ジンが痛みのあまり動けなくなっている隙に、レッサーパンダの怪異がヤモリの怪異の舌を掴む。そして力いっぱい持ち上げ、地面から引っこ抜いた。
咄嗟に口から声が漏れた。
「逃げろ、ジン!」
「くっ、ダメだ……から……だが……」
「ジン!!!」
――その刹那、ヤモリの怪異の舌が進む方向を変えながら高速で伸びていき、ジンの腹部を突き刺した。
ヤモリの怪異は自分の舌を、ジンが刺さった状態のまま、ジンごと口の中へ戻した。
「うそでしょ……」
「なんでだよ……」
ショックで腰が抜けその場に膝をついてしまう。
上を見上げると、ヤモリの怪異の口からムシャムシャという音が聞こえる。その口から赤い液体が滴っているのが見える。
さっきまで確かにそこにいたはずの男が怪異の口の中で粉々になるのを感じた。
俺の目の前でまた人が死んだ。あの日と、つむぎが死んだ日と同じように。
「まさか……!」
ハッとしてヤモリの怪異の視線を追った。その先にあったのはつむぎの乗ったベビーカーだ。
「グルルルルル……」
レッサーパンダの怪異もヤモリの怪異と同様に、つむぎの方を睨み喉を鳴らしている。
(嫌だ……また、つむぎが……)
逃げようにも、あのレッサーパンダの怪異のスピードではすぐに追いつかれる。そうなったら最後……殺される。どうすればいいんだ。
(嫌だ……嫌だ……考えろ……考えろ……)
そのとき、床に落ちた赤い数珠が俺の目に留まった。
「心矢何してるの!? はやく逃げないと!」
すぐさまその数珠に駆け寄り、それを拾い上げた。
「逃げない……」
俺の声が驚くほど震えているのが分かる。武者震いなんかじゃない。今俺が感じているのは、紛れもなく死の恐怖だ。
「何言ってんの!? ねぇ、心矢! 心矢ってば!」
その数珠をゆっくりと右手首につけた。
「俺は……俺は逃げない! もう二度とつむぎが、彼女が死ぬところをみたくない!」
その瞬間、数珠がまばゆく光りだし、俺の着ていた服の上にジンの着ていたのと同じ羽織が出現する。
「除霊……開始だ!」