第九首『つむぎの笑顔』
体が……痛い。俺はどうしたのだろうか。
「心矢……」
つむぎの声が聞こえる。そうだ。俺はあのとき倒れて……。
「心矢……心矢……!」
声に応えるようにゆっくりと目を開くと、そこ映ったのは知らない天井だった。
病院とか保健室とかそういう類の天井ではない。
もっと古臭い……田舎の古民家のような天井だ。木の梁が剥き出しで、三角屋根の形が内部からでもよくわかる、そんな昔ながらの造りの家だ。
「よかった。やっと目覚ましたんだね」
横を見ると、小さな座布団の上につむぎがちょこんと置かれていた。
「ここは……」
ゆっくりと体を起こす。
床は畳張りで、その上に敷かれた布団の上に俺は寝ていた。
いかにも実家のような雰囲気だが、俺の実家はとっくに火事で燃えているし、そもそもこんな和風じゃない。もっと洋風で普通の家だ。
俺はふと自分の頭を触った。
するといつもの髪の毛とは違う変な感触がした。どうやら頭に包帯が巻かれている。
それだけではない。自分の身体を見ると、そこにもぐるぐるに包帯が巻かれていた。どうやら誰かが手当てしてくれたらしい。
「助けてくれたんだよ、あの娘が」
「あの娘?」
つむぎがアホ毛でちょいちょいと向こうの方を指した。指した方を見ると中学生くらいの少女が、台所に立って何かを作っている。
その少女は左腕に包帯を巻き、頭の上には小さな葉っぱを乗せている。
その姿には、確かに見覚えがあった。
「ベロたん……なのか?」
「まだもう少し寝てなさいよ。今おかゆ作ってるとこだから」
確かに目の前にいたのはベロたんだった。花がらのエプロンを着て、土鍋でおかゆを作っている。前にあったときとは全然違う、とても家庭的な風貌だ。
「実はあのバスの中にたまたま乗ってたらしくて、私達に気づいて助けてくれたんだよ」
ということは、あのままもし怪異ごとバスを斬っていたら、ベロたんの命を……また大切な人の命を奪うことになっていたのか。
そう考えると怖くなってしまう。
だが、今は一旦そのことは考えないようと思った。
「そうか、ありがとうな。恩に着るよ」
「勘違いしないで、別に……その……放っておけなかっただけなんだから。いいからあんたは寝てなさいよ」
放っておけない時点で相当良い人だと思う。
俺がお言葉に甘えてもう少し休もうと布団に入ろうとしたとき、大きな声が聞こえてきた。
「わ! 生首だ!」
「すごーい! 初めて見た!」
見ると幼稚園の制服を着た男の子と女の子がこちらへ向かって走ってくる。
「二人とも! お客さん来てるんだから騒がないで……ってあぁっ!」
ベロたんが振り返って注意したときには、すでに遅かった。
男の子と女の子はつむぎの頭に飛びついて、顔や髪の毛を押したり引っ張ったりして遊び始めていた。
「いだだだだだだ! 痛い! やめて! やめて!」
「だっ、大丈夫か、つむぎ」
子供はつむぎの声も聞かずにキャッキャしながら目の前の生首で遊ぶのを楽しんでいる。
ベロたんがこっちへ来ると、すぐに子供二人を生首から引っ剥がし抱き抱えた。
「こら! 勝手に人のもので遊ばないっていつも言ってるでしょ! その生首だって生きてんのよ!」
いや、多分生きてはいないと思う。霊だし。
「二人とも謝んなさい!」
「「ごめんなさい……」」
抱き抱えられたまま、子供二人が小さく頭を下げた。しょんぼりした顔がとても可愛らしい。
「いやいやいいよ! 全然怒ってないから」
「いや、この子らはいつもふざけてばっかりだからこのくらい言わないと分かんないのよ」
なんだかいつも、困らされているような口振りだ。
「その子達って……」
「あぁ、あたいの弟と妹よ。こっちが弟の……」
と、ベロたんが言う前に、さっきまでしょぼくれていた二人の子供が大声で叫んだ。
「ぼくカルビ! 五歳!」
「わたしハラミ! 五歳!」
とても元気な自己紹介で、なんだかこっちまで嬉しくなる。
「父さんは毎日仕事で忙しいから、あたいが世話してるの。その上、母さんが残した借金を早く返済しなきゃいけないし……毎日大変で……」
ベロたんが悲しそうな顔をする。きっと相当な苦労をしてきたのだろう。
まだ若いのに弟と妹の世話をして、除霊師としてお金を稼ぐ辛さは俺にも想像がつかない。
「母ちゃん、僕が生まれてすぐ夜逃げしたんだよ!」
「酷いでしょーー!!」
お姉ちゃんに同調して声を怒っているが、多分この二人はまだ夜逃げの意味を理解してはいないだろう。それでもお姉ちゃんの悲しい顔をさせたことは許せないようだ。
――この二人も、お姉ちゃんに似てとても良い子なんだと思う。
「そっか……それで除霊師を」
あれほどつむぎの生首を欲しがっていた理由がようやく分かって、俺はなぜか少しホッとした気持ちになった。
「あっ、ごめん! こんな身の上話聞きたくないわよね」
ベロたんが焦って申し訳なさそうにする。
「いや、寧ろ知れてよかったよ。お前が悪いやつじゃないってことが良くわかったしな」
「べっ別に」
ベロたんの顔が少し赤くなったように感じる。
「ねぇ……それよりさ」
つむぎがなんだか不思議そうな顔をして話に割って入ってきた。
「なんか変な臭いしない?」
つむぎに言われてハッとした。確かになんだか焦げたような臭いがする。それだけではない、変な音もする。まるで、何かが吹きこぼれているような……。
――次の瞬間、ベロたんが大声で叫んだ。
「ヤバ! 火止めてない!」
◇ ◆ ◇
ベロたんが、俺の座っている布団の前で、ミトンをつけた両手で熱々の土鍋を持ちながら座っていた。
その土鍋の中には半紙に墨をぶちまけたかのような真っ黒な世界が広がっている。
どう失敗してもこういう焦げ方はしないはずだが、いったい何をどうしてこうなってしまったんだろう。
「本当にごめん! 今作り直すから!」
ベロたんが深々と頭を下げる。
「いやいやいや! そんなことしなくて良いって、顔上げて」
俺は焦ってベロたんの顔を上げさせた。とても申し訳なさそうに目に涙を浮かべている。
「でも……」
「食べないなんて勿体ないさ。ほらフードロスって問題だろ? それにな、おかゆなんてちょっとくらいお焦げがある方が美味いんだよ」
頑張ってフォローするが、正直お焦げの量は全然ちょっとくらいの域を超えている。
それでも俺は、ベロたんを悲しませまいと、土鍋の中にあった小さなレンゲを手に取り、意を決してそのおかゆを口に運んだ。
……マズい。予想はしていたがクソマズい。だが、ここでそれを顔に出したらベロたんをきっと傷つける。俺は精いっぱいの笑顔を作って答えた。
「うん、美味い!」
「いや……全然隠せてないわよ」
―
駄目だった。流石にマズ過ぎた。
「ごめんね……なんか本当に……」
ベロたんがしょぼんとして背中を丸める、こうして見ると、さっきのしょぼくれたカルビとハラミの姿によく似ていて、なんだか血の繋がりを感じる。
「いや本当に落ち込まなくていいよ、お前があそこで拾ってくれなかったら俺は助かってなかった。俺にとっての命の恩人だ」
「それはあたいだってだよ。あのとき……あんたがいなかったら……」
ベロたんが包帯が巻かれた自分の左腕を触る。おそらくこの間のモグラの怪異につけられた傷だ。
「あれは別に、俺だって戦わなかったら危なかった訳だし……それにさ……」
俺は部屋の奥の方を見た。奥の方ではつむぎが、カルビとハラミとにらめっこして遊んでいた。
カルビもハラミも笑いのツボが浅いのかさっきからゲラゲラ笑っている。それを見るつむぎも、なんだかとても楽しそうだ。
「つむぎ、ここ数日で一番楽しそうなんだ」
「えっ……」
思えばあの日、隣人の高橋さんが亡くなっているのを目撃したときから今日まで、つむぎはあまり笑っていなかった。
「最近色々あってさ……それにつむぎ、生首になってから、あんまり俺以外の人と遊ぶこと無くなってたんだよ。やっぱり生首だし」
いくら町の人や周囲の人間が生首のつむぎを受け入れたと言っても、それと遊ぶのとは別問題だ。
ご飯だって食べさせてもらわなければ何も食べられないし、遊ぶと言ったって手も足も使わずに出来る遊びなんてそうそうない。
カラオケするにもマイクを誰かが持ってあげなきゃいけない、つむぎの生首をボール代わりに投げてボウリングをするわけにもいかないだろう。
そういう理由もあってか、生首になってからのつむぎと遊んでくれる人は、自然と居なくなっていた。
「だから……きっと嬉しいんだと思う。お前の弟や妹と遊べて。本当に、ありがとう」
俺以外の人と笑い合っているつむぎを見るのは、本当に久し振りのことだった。
「……そう。こっちこそ、カルビとハラミの遊び相手になってくれてありがとね」
――ふと、プシューッと音がした。玄関の方だ。カルビとハラミが不思議そうに音がした方を見る。
「あれ? なんのおと?」
「幼稚園のバスだよ! きっと!」
カルビとハラミが玄関の方に走っていく。
「もー、そんなわけないでしょ」
ベロたんがゆっくり立ち上がると、二人を追いかけていく。
俺も、なんだか嫌な予感がしたので、つむぎを抱き抱えて玄関の方に向かった。
◇ ◆ ◇
玄関から外に出た俺は思わずビックリして「え!?」と声を出してしまった。ベロたんもその光景に呆然としている。
本当に家の前に幼稚園バスが停まっているのだ。
もう日はほとんど沈んでいる、まもなく夜になろうというこんな時間に幼稚園バスが来るなんて、普通はありえない。
「なんでこんな時に……?」
ベロたんも首を傾げる。
目の前のバスのドアがゆっくりと開いた。それを見たカルビとハラミは一目散に駆け出していく。
「わーい! また幼稚園だー!」
「やったー!」
俺とベロたんが呆気にとられて何も言えなくなっている間に、つむぎが何かに気付いた様子で叫んだ。
「待って! 行っちゃダメ!」
しかしカルビとハラミは、つむぎの制止も無視してバスの中に入っていく。二人が入るとバスのドアは勢いよく閉じてしまった。
「まずい! まずいよ!」
「どうした? つむぎ」
「あのバスの運転席!」
つむぎに言われるがままに、俺は運転席を見た。そして驚愕した。なんと誰も座っていないのだ。そのままバスがものすごいスピードで走り出した。
――黒いお尻からおならを噴射しながら。
「ごめん! さっきカルビちゃんたちに髪を引っ張られてから、アホ毛の感度が悪くなってたみたいで……」
「あれ、特質怪異じゃ……」
ベロたんが絶望した様子で膝をついた。
「そんな……カルビ……ハラミ……」
ベロたんの目から涙が溢れる。
「お願い……あの子たちに何かあったら……あたい……」
震える声で、ベロたんは俺に頼み込んできた。
数珠を持っていない今のベロたんに、除霊師として戦う術はない。
すると俺が口を開くより先につむぎが答えた。とても力強い口調で。
「助けよう、心矢。私も、あの子たちを助けたい!」




