母が100均のポーチに家の大事な書類を入れていた
母が100均のポーチに家の大事な書類を入れていた。
緑地に、さくらんぼとりんごが描いてある。何故、この果物の組み合わせなのかわからない。
とどめには、真ん中に「HAPPY」と澄ましたようなデザインのロゴが描かれてあった。
「いい? これに印鑑証明書を入れているからね。わかった?」
「う、うん」
薄っぺらいカサカサした素材で、火を付けたら、一瞬にして燃えてしまいそうだった。
思い出した。私が小学生の頃に100均で買ったポーチだった。シールや飴とかを入れていた気がする。
よく今まで残っていたものだ。母は寿命が過ぎたポーチを再利用しようとしている。
大事な書類を、その辺に置きっぱなしにするのは良くない。間違って、いらない紙と一緒に捨ててしまうリスクがある。だからファイルや袋に入れておくのが望ましいと思う。けど……。
何故、そんなトロピカルなポーチに、印鑑証明書を入れておくことに決めたんだろう。
さくらんぼとりんご。赤い果物でまとめられているのが安易だと思った。そのラインナップなら、ぜひイチゴも入れてほしいところだった。
「何見てるの?」
「いや……」
母は私を怪しんだ目で見る。
私は気まずくなって目を逸らす。
「……あっ!」
母がひときわ大きな声を出す。
「三奈、このポーチ使いたいんでしょ」
ひらめいたように威勢の良い声が飛び出す。
私はたまらず吹き出した。
私は今日、東京へ帰る。住み慣れた賃貸のアパートへ帰るためには、19時台の新幹線に乗らなければならない。
今度、実家に帰るのは、お盆頃になるかもしれないなぁ。
母は一人娘の私に、家にある重要な書類のありかを教えてくれた。もう帰るという今頃に、教えられてもと思うのに、流されるまま説明を聞く以外ほかはなかった。
そんなポーチいらないよ。私、いくつだと思っているの。
「いらない」
「遠慮しないで」
母は私の返答を無視して、トロピカルなポーチから印鑑証明書を取り出した。
そのままポーチを私に差し出す。
反射的に手に取ってしまったけど始末に困る。これ、後でゴミ箱に捨てても良いかな。
すると母はリビングから出て行った。どうしたのかなと思っていると、少ししたら戻ってきた。
「このポーチ使うから良いわ」
母の手には別の100均のポーチが握られていた。
白地に赤いロゴで「LOVE」と描かれたデザイン。ペラペラとした素材だけど、布のツヤが良いので、最近買ったものであろうことがわかった。
LOVE。愛。あい。
おかしくて仕方なかった。だけど、今日、家に帰らなくてはならないという事実が無性に悲しくて、笑えなかった。
「何よその顔」
母は私を見ながら、「LOVE」ポーチのファスナーを引く。
ジー。
私が愛用しているブランドのポーチと、ファスナーを引く音が同じだった。
「HAPPY」と「LOVE」。
なんだ親子して同じセンスなんじゃん。
私は印鑑証明書を置く場所は絶対に忘れる自信があるけど、母が手に持ったポーチの柄は絶対に忘れないと思った。
「あっ。ちょっと写真撮らしてよ。そのポーチ、顔に寄せて!」
私はポケットからスマホを取り出す。
母は不思議そうな顔をしつつ、右手にポーチ、左手でピースをしながら、私にありったけの笑顔を向けた。
シャッターを切ろうとした時に気づく。
あっ。私のスマホカバーも100均じゃん……。
透明のスマホカバーで、結構、長く使っているものだった。
知らなかったけど、私はこんなにも100均にお世話になっていたんだ。ポーチのデザインを悪く思ったことを少し反省した。
カシャ。
「じゃあ、これも」
私はトロピカルなポーチを母に手渡す。
「ああ……」
母は変な声を漏らして、一瞬止まる。
その後すぐに、ポーチを両手に持ち、先ほど同様の笑顔を向けた。
私は笑う。我慢できなかった。
1分1分家を出る時間が近づくことを意識する時だけ切ない。
母も、何がおかしいのかわかっていない戸惑いの顔で笑う。
トロピカルなポーチは、東京に持って帰るつもりはない。しかし、捨てる気にもならなかった。
また帰省した時に会えるかもしれない。そんなことを考えて、年老いた母を画面越しに見ながら、私はもう一度シャッターを切った。