アヤカシ探偵社。其の拾壱
深泥池に纏わる怪談をモチーフに書いてみました。一見ミステリー風ですが要素皆無。
京都の冬は底冷えで震えあがる程寒い。寒風は無いが盆地故に冷えた外気が留まり益々気温を下げるのである。にも関わらず意外と観光客は多い。各メディアの宣伝効果もあろうが実は冬の京都は春程混雑しておらず風情があって他のシーズンとは違う趣があるのである。
上賀茂に深泥池なる心霊スポットがある。古くからお化けが出ると有名で現代でも度々目撃情報が取り沙汰されている。殆どがタクシーに乗る女幽霊の話なのだが…
二月の小雨が降る肌寒い深夜、個人タクシーの運転手・片山は深泥池町に差し掛かる所で手を上げている女を発見した。傘を持たず濡れそぼっている。女一人とは例の幽霊か?と半心訝しんだがその日は売り上げも今一つで背に腹は代えられぬと女の前で車を止めた。後席のドアを開けると雨でずぶ濡れの女がそそくさと乗り込んでくる。
「どちらまで?」
片山は常套の台詞で女に尋ねた。
「上花山まで」
片山はゾッとした。その場所は斎場の密集する処なのである。現在の時刻午前二時半、こんな真夜中に何の用事で?片山は走り出したところで思いきって尋ねてみた。
「お客さん、差し出がましい質問ですがこんな真夜中に何の御用で?」
女はもじもじしながらボソッと呟いた。
「知り合いが病に臥せっておりますので薬を持って見舞いに」
片山は安堵した。まともな客だ、幽霊じゃない。
「左様ですか、こんな夜中にご苦労様です」
車は一路山科を目指して走る。深夜なので車通りはほぼ無い。京都のタクシーは神風が多く、片山も個人経営になっても昔の気質は抜けていない。深夜と言うこともありもの凄い速度で街中を跳ばし二十分掛から
ず目的地に到着した。
「花ノ岡町のバス停で止めていいんですか?」
片山が尋ねるとか細い声で
「すみませんが東山隧道の出口で止めてください」
と女が答えた。
トンネルに並走する歩行者専用の花山洞はこれまた京都の有名心霊スポットである。片山はそんな事も頭にチラつきながらも車を走らせた。程無く東山隧道を抜ける。
「本当に此方で宜しいんで?」
片山が尋ねると女が答えた。
「はい結構です、あのう…今現金の持ち合わせがないのですがこちらでお願いできますでしょうか」
女は一枚の金貨を差し出した。何と慶長小判である。片山はマニアと云う程ではないが金には多少精通している。持った時の重量、硬度。
「すみません、ちょっと失礼します」
片山は囓ってみた。間違いない、本物の慶長小判だ。
「お客さん、こちらで頂いても釣りは出せませんよ。第一こんな高価な物をお代として頂戴しても」
女はかすかに微笑んでる様に見えた。
「良いんですよ、こんな真夜中に乗せて頂いたんですから。遠慮なく受け取ってください。釣りは結構ですから」
片山は済まなそうに答えた。
「そうですか、じゃあこちらを代金として頂戴致します」
片山は後席のドアを手元のレバーで開く。女は軽く会釈して車を降りた。片山は手に握りしめた小判を上着の内ポケットに仕舞い込み、ふと外に目をやると…女の姿は其処にはなかった。まだ雨は降ってる、走る風にも見えないが?片山は背筋に悪寒を感じ直ぐ様Uターンして街中に引き返した。都市伝説では女幽霊は途中気がつくと消えて座席が濡れている話になっているがその女は代金まで支払いちゃんと降車しているのである。やはり例の幽霊ではないな…そう自分自身に言い聞かせながら。
それから二ケ月後の良く晴れた正午。上賀茂神社の鳥居前にあんじーと小野昴の姿があった。彼等は依頼主を待っているのである。すると一台のタクシーが二人の前に停車した。運転席から降りてきたのはそう、片山である。
「すみません、お待たせして。私が人捜しをお願いしました片山です。で、旦那がアヤカシ探偵社の方で」
片山はあんじーではなく昴の方を向いて話しかけた。何時もの事であるがあんじーは小学生くらいの背丈なのでまともに向き合ってもらえない。だから昴を伴った、というのも理由の一つである。昴は慌てて返答した。
「いえ、此方のあんじーさんが探偵社の方で…私はただの付き添いです」
片山は驚いた。見た目は小学三年生くらいの女児である。
「如何にも儂がアヤカシ探偵社のあんじーじゃ。見た目が幼いのでよく誤解されるがお主よりはかなり年配なのじゃ」
あんじーの言葉に戸惑いながらも片山は無礼を詫びた。
「失礼しました、てっきりお供の方かと。此処では人目に付きますので取り敢えず車にお乗りください」
片山は後部座席のドアを開け乗り込むよう促した。あんじーと昴はタクシーの中へ。片山は運転席に戻りエンジンを掛け車を出した。あんじーが話を切り出す。
「片山さん、じゃったな。頂戴したメイルの内容では深泥池の幽霊に悩まされている様にお見受けしたが」
「いや全くもって誤解です。何分言葉が足りないもんで…事実はその逆なんです。例の小判が手に入ってからというもの幸運続きでして、ロト7は当たるわ暇つぶしに買った馬券は大穴だわパチンコは負けなしだわで…もう感謝しかないんです」
あんじーは腕を組んでふうむ、と合点がいかぬ顔である。
「ならば悩む事は無かろう。良い事尽くめではないか」
片山は複雑な表情で答えた。
「最初はラッキーくらいにしか思ってなかったんですがそれがここまで続くと薄気味悪くなってきまして。今後何かしっぺ返しが来るんじゃないかと…運を使い果たす前に持ち主に返したいんで」
「わざわざ返さぬでも。そのまま幸運を享受されるが良かろう」
あんじーの提言を真っ向否定する片山。
「頂戴したのが神様とか人間なら有り難く戴くんですが何しろ物の怪や幽霊は祟るやも知れませんし」
はて、とあんじーは尋ねた。
「何故持ち主が人外と決めつける?普通の人やも知れぬぞ」
片山は話し辛そうに答えた。
「実はアヤカシさんの前にいくつか相談した探偵社がありまして。ところが殆どの処は気味悪がって依頼を断られたんですよ。ただ一社だけ請け負って貰えてお願いしたんです。がその探偵さん、行方不明になって未だに消息がわからないんです」
あんじーは納得した表情。
「成る程。ならば儂等の出番じゃな、是迄の経緯を詳しく聞かせてもらおう」
片山は記憶に残る限り詳細にあんじーに伝えた。タクシーは辺りを一周し元の上賀茂神社に戻っていた。
3日後。あんじーと昴、鎌鼬は深泥池に居た。彼等の他にもう一つの姿があった。鎌鼬が紹介する。
「コイツは貉の平蔵。この辺りを縄張りにしている俺の知り合いだ」
平蔵と呼ばれた妖怪はムッとして言い返す。
「コイツ呼ばわりは失礼だろ鎌吉。オイラの方が年上なんだぞ」
鎌鼬が言い返す。
「三百年生きてて一歳差など無きも同然よ兄弟」
鎌鼬の高笑いに納得いかぬ貉の平蔵。だがあんじーは貉の発言の方に驚いた。
「鎌鼬、お主鎌吉と呼ばれておるのか。長年の付き合いじゃが初めて知ったぞ」
鎌鼬はバツが悪そうに答えた。
「俺に限らず鎌鼬一族は全国に散らばっている。なもんで鎌吉は知り合いが都合の良いように勝手に呼んでる仇名なんだ」
あんじーは感慨深げに言った。
「ならば儂等も鎌吉と呼ばねばならぬな」
鎌鼬は顔を真っ赤にして巻き舌になった。
「そ、そいつは勘弁!今迄通り鎌鼬と呼んでくれ!鎌吉は同族だけの通り名なんだ」
鎌鼬の動揺を楽しむかの様に苦笑するあんじー。
「左様か、ちと残念な気もするが」
あんじーに便乗してクスクス笑う昴に釈然としない平蔵が割り込む。「時にあんたらオイラに訊きたい事があったんじゃねえか?」
気を取り直したあんじーが質問する。
「そ、そうじゃった。平蔵殿、この界隈を根城にしておるアヤカシで髪の長い女の姿をしておる輩は居らぬか?最近越して来た者でも構わぬのじゃが」
平蔵は髭に指を当て考え込む体で答えた。
「髪の長い女と言えば幽霊が有名なんだがオイラは出くわした事はないね。もっともヤツはタクシー専門だからご近所を徘徊しないんだろうが。雌の物の怪なら掃いて捨てるほどいるんだが女人となると…ケシ山の古民家に住んでる山姥くらいか」
あんじーは何か手掛かりがあるのでは、と感じた。
「ご足労じゃがその山姥の家まで案内してくれぬか」
「いいぜ!オイラに従いてきな」
平蔵は即答して歩きだした。様子を静観していた昴が不安そうな顔で耳打ちする。
「山姥て旅人を襲って喰う妖怪でしょ?あんじーさんや鎌鼬さんなら兎も角私、大丈夫なんでしょうか」
「心配には及ばぬ。今は飽食の時代、食料難の昔と違ってわざわざ不味い人肉を食わんでも旨い物は簡単に手に入れられる。良い時代になったものじゃ」
あんじーの助言に納得いかない昴を尻目にスタスタと歩を進める貉と鎌鼬。何れ程歩いただろうか、やがて藁葺き屋根の古民家に辿りついた。
「おばば!おばばは居るか?!」
貉の怒声に渋々現れる老婆。
「五月蝿いね平蔵!あたしゃ耳は良いんだから普通の声で聴こえるよ」
平蔵は山姥の苦情などお構いなしに話を続ける。
「此方のあんじーさんがお前に訊きたい事があるそうだ」
山姥はジロジロとあんじーを見回した。
「へえ。アンタがあんじーかい。噂は耳にしてるよ、怪事件専門の探偵さんらしいね」
あんじーは至って冷静である。
「久しぶりじゃのうおばば」
山姥はハッ!とした。その声と妖気には覚えがある。
「あ、アンタあの時の猫又かい?!」
山姥は驚愕した。白眉事件は有名なのであんじーの正体は皆何となく知っているのたが…。
「小角の手下め!あん時は酷い目にあわせおって」
あんじーは反論した。
「儂は手下ではない、弟子じゃ。そもお主が人を襲うので帝の命を受けた役小角殿の討伐に同行しただけじゃ。第一命は助けてやったじゃろ」
山姥は不機嫌そうに答えた。
「ふん!その事には感謝しとる。小角のヤツは物の怪には容赦無いからの」
「別に恩に着せる気はないのじゃがちと尋ねたい事があったんでな。髪の長い女の妖怪に心当たりは無いか?最近出没する者でも構わぬ」
あんじーからの問いに一寸戸惑う山姥。
「さ、さあ…この辺は獣だけさね 。人の妖怪は見掛けないね」
動揺する山姥を察したあんじーは敢えて追求しなかった。
「左様か。もし気づく事があれば平蔵殿に伝えてくれ。宜しく頼む」
あんじーは一言告げ一行は山姥の古民家を後にした。鎌鼬があんじーの耳元で囁く。
「ありゃ何か隠してるぜ。会話してる時に目が泳いでたからな」
鎌鼬の言葉に貉も同意した。
「オイラもそう思ったぜ。何時ものおばばじゃなかったな」
あんじーが答える。
「左様、何か事情があるのは間違い無さそうじゃ。平蔵と鎌吉は山姥を見張ってくれぬか。儂は昴と池の周辺で聴き込みをしてみる」
鎌鼬は怒り心頭である。
「その呼び名は止めてくれと言っただろ?!アンタとの付き合いも考え直さんとな!」
あんじーは苦笑しながら詫びた。
「済まぬ、あまりにもピッタリなんでな。以後気をつける」
「んな些細な事で揉めるなよ、どっちでもいいじゃねえか。見張りの件、引き受けたぜ。任せてくんな」
貉の発言で冷静になった一行はその場で見張りチーム・捜索チームに別れ移動した。
あんじー達が去った山姥の家。山姥が一行が見えなくなるのを確認した頃に奥から声がした。
「御婆様、連中は去りましたかえ」
山姥は振り返りながら答えた。
「案ずるなお菊。奴等はもう居らぬ。だがあのあんじーとやら、まだ疑っておるようじゃ。油断はならぬ、上花山へ通うのはなるべく慎重にな。出来れば控えるのが得策じゃろう」
奥の間から現れたのは件の髪の長い女である。
「我等の計画がバレては今迄の苦労が水の泡です」
女の言葉に山姥は渋い顔で呟いた。
「確かにそうじゃ。出かける時は細心の注意を払わねばならぬな」
お菊と呼ばれた女と山姥は顔を見合わせ苦笑いをした。
あんじーと昴は手掛かりを探す為北山駅に向かっていた。あんじーは疑問に思っていることを昴にぶつけてみた。
「当初は善意の人探しと安直に考えていたが先程の山姥の狼狽振りを見ていると何か曰くがありそうじゃな。もしかするととんでもない案件を引き当てたのやも知れぬぞ」
昴はふとある事を思い出しあんじーに告げてみた。
「あんじーさん、上花山トンネルと言えば最近SNSで話題になってるんですが…昔から幽霊についてはいろんな噂話があるんですがどうやら最近巨大な赤ん坊の幽霊が出るらしいんですよ」
あんじーはウンザリした顔で答えた。
「こっちの案件でも苦心しているのに山科でもお化け騒ぎか。で、何か悪さでもしよるのか」
昴は怒った様な顔付のあんじーにたじろぎながら答えた。
「いや、見て驚くだけで赤ん坊の方もビックリして逃げ去るらしいですよ」
「なら何の問題もなかろう。そも依頼も受けておらんのに首を突っ込むのは余計なお世話と言うものじゃ」
「いや、話には続きがありまして…目撃者の中にはロングヘアーの美人が傍に居た、と言う者も」
昴の発言にあんじーにはピンとくるものがあった。
「成る程興味深い話じゃ。捜索にかまけて上花山を軽視しておった。山姥の見張りは鎌鼬と貉に任せて我々は旧トンネル周辺を探ってみよう」
あんじーと昴は地下鉄で五条駅へ、更にバスに乗り換え花山洞を目指した。
一方、山姥の民家を見張る鎌鼬と貉。日も暮れ辺りはすっかり闇に包まれていた。駅前の高級住宅街とは打って変わって離れた山間の民家では真っ暗ではあるのだが鎌鼬も貉も夜行性の獣なので夜目が効く。彼等にとっては赤外線暗視で見る程度である。
「見ろ平蔵!裏手から誰か出て来たぞ」
鎌鼬の呼びかけに注視する貉。
「どうやら我等が訪ねたのが効いたらしいな。早速動き出したか」
現れたのはロングヘアの女であるが白ではなく黒いワンピースであった。目当ての人物には違いないと二人(二匹)は後をつける。夕方になったばかりなのでその女は北山駅に向かっている。
「ヤベえな鎌吉。地下鉄に乗るようだぜ」
鎌鼬が答えた。
「ああ。俺等は化けるのは得意じゃねえ。とりあえずあんじーに連絡してみるか」
鎌鼬は懐からスマートウォッチを取り出した。驚く貉。鎌鼬は気にも留めず起用に盤面を鎌の先でタッチした。呼び出し音の後、あんじーから応答が。
「鎌鼬か?如何した?」
「例の女に動きがあった。追けようとしたんだが奴さん、地下鉄に乗りやがって俺等じゃ尾行出来ねえ。どうするよ?」
あんじーが即答。
「恐らく山科に向かうつもりじゃろう。幸い儂等も上花山に到着しておる。ぬこ神を迎えに行かせるから主等も来てくれ。花山洞で合流じゃ」
二人のやり取りに感心する骸に鎌鼬が言った。
「目的地は花山洞だ。迎えが来たら俺等も向かうぞ」
二匹は何故かワクワクしながらぬこ神を待っていた。
東山隧道裏手にある花山洞。辺りはすっかり暗くなっている。あんじーと昴はトンネルから少し離れた所から女が現れるのを待っている。八時を回った時にその女は現れた。辺りを一瞥するとトンネルに入ってい行く。固唾を飲んで凝視するあんじーと昴。暫くするとトンネルから羆程もある巨大な生物が現れた。暗がりではっきりとは見て取れないが体毛はなく肌が露出している。
「あう、あう」
その生き物は赤ん坊の様な鳴き声を発した。あんじーが昴に伝える。
「昴殿の話じゃと恐らくあ奴は赤子じゃろう」
昴は面食らった顔で返した。
「そりゃ巨大な赤ん坊だから赤子でしょう」
あんじーは苦笑いして答えた。
「幽霊などではない。奴は赤子と呼ばれる立派な妖怪じゃ。詳しくは知らぬが水子の霊の集合体なのじゃろう。そう言う意味では幽霊と呼べぬでもないが」
二人のひそひそ話に気づいた女は声を発した。
「其処にいるのは誰?!」
仕方なくあんじーと昴が女の前に姿を現した。
「儂の名はあんじー。お主も山姥の家で聞き及んでおろう。勘違いされても困るが儂等は敵対する者ではない。タクシーの運転手に渡した小判をただ返したいだけなのじゃ」
だが女は聞く耳を持たない。
「嘘をお言い!アヤカシ探偵のあんじーと言えば妖怪退治の専門家じゃないか。私達の計画を聞きつけて探ってたんだろ?!」
とんだ瓢箪からコマである。
「はて、計画とは?」
女はベラベラと喋り出した。
「惚けるんじゃないよ!坊を立派な入道に育て上げて私達を虐げた人間共に復讐する計画の事さ」
あんじーはこの手の輩の多さに辟易した。
「はて、そこまで固執する理由は何じゃ」
女は興奮しながら身の上話を語り始めた。
「あたしは今の世の中で生きていく為に人間共の社会に潜り込んで平和に暮らしてたのさ。実際上手くやってきてたんだ。普段なら見た目も変わらないしひっそり生活していたのに…ある日職場の同僚に正体がバレて追われる羽目になったのさ。住まいにも人間共が押し掛けてきて命からがら山科の、人目のつかない花山洞に隠れたのさ。そこでたまたま見つけた赤子を育てる内にこの子、坊で復讐する事を思いついたのさ。妖怪の言葉なんかに一切耳を貸さない人間共が憎いんだ」
あんじーは疑問を抱いた。女からは妖気を感じてはいるが確かにごく普通の人間に見える。
「確かに人にしか見えぬがお主、何者なのじゃ。正体を明かせ」
女は苛ついて捨て台詞を吐いた。
「この期に及んでまだシラを切るのかい。調べはついてるんだろ!」
女の首がひゅうっと伸びた。昴が呟いた。
「あれって有名な妖怪、ろくろ首じゃあ?!」
身構えながらあんじーが答えた。「その様じゃな」
ろくろ首の頭は宙で凧の様に舞い、先細りした首はやがてプツリと切れた。すると自由になった頭が物凄い速度であんじー達に向かって来た。口からは瘴気を吐いて辺り一面酷い悪臭が立ち籠める。あんじーは脇のパンダ・ポシェットから割り箸程の長さのデッキブラシを取り出し右手で高く掲げると見るみる大きくなり、長さ二メートル近くになった。あんじーは両手でデッキブラシを振り回し、向かってくるろくろ首を弾き返した。跳ね飛ばされた頭はふらふらと揺れながら胴体まで戻り、首が伸びて合体。
「いたたた…さすがにあたしの微力じゃ太刀打ちできないか…坊、頼んだよ!」
坊と呼ばれた赤子はばぶう、と奇声を上げあんじー達に向かって突進してきた。その躯体は三メートル近く、正しく羆が襲ってきたかの如くである。あんじーと昴は寸前で左右に散開。躱す直前、あんじーはデッキブラシで渾身の一撃を浴びせた。赤子はびっくりして泣き出したが攻撃の手は緩めない。実際、あまり打撃は効いていないようだ。数々の敵を撃破してきたデッキブラシだがまるでピコピコハンマーで叩いた程度のダメージである。坊はカーブミラー程もある掌であんじーを身体ごと薙ぎ払った。吹き飛ばされるあんじーだが一転しふわりと着地。興奮した坊は昴の方向に辺りの木をなぎ倒し再びばぶう!と奇妙な咆哮を挙げる。逃げ惑う昴。あんじーはデッキブラシを回転させ、反動を付けて坊目掛けて振り下ろす。が、坊は左腕で跳ねのけた。勢いあまって後退りするあんじー。
「凄い馬鹿力じゃ、まだ身体が痺れておるわい。パワーでは敵わぬな。さてどうしたものか…」
すると昴があんじーに呼び掛けた。
「あんじーさん、赤子って水子の霊の集合体って言ってましたよね?なら僕の得意分野です」
昴は上着の内ポケットから赤い紐を取り出した。そして一枚の札を取り出すと呪文を唱える。札はボッと燃え上がり一羽の白孔雀になった。昴は紐の先端に呪符を貼り鳥に咥えさせる。
「頼んだよ朱雀。赤子を縛り揚げておくれ」
白い孔雀、朱雀は昴の式神である。朱雀はピィと鳴き羽ばたきながら坊の頭上を旋回。見とれて呆然とする坊に朱雀が棚引かせている赤い糸が弧を描きながら纏わりつく。末端の呪符が放たれ、坊の身体に触れた瞬間赤い紐は閃光を放ち坊を締め上げた。身動きの取れない坊はおぎゃあと喚きながら振りほどこうと暴れる。が、紐は呪力で拘束している為引き千切る事ができない。藻掻く坊を見兼ねてろくろ首が駆け寄った。
「可哀想な坊、これをお飲み」
ろくろ首は小さな黒い豆を坊に与えた。嫌がる坊だが口に入れた瞬間、身体が紅潮し膨れ上がる。羆程の体躯が更に大きく成長。見た目は赤子のそれではなく筋骨隆々の大男である。次に額が割れ第三の目が表れた。
「赤子の実体は三つ目入道じゃったのか。じゃが急に成長しよるとは…ろくろ首の与えた物は成竜丸と同様の成長薬か」
赤子から三つ目入道に成長した坊はいともたやすく結界の赤紐を引き千切った
「あんじーさん!呑気に構えてる場合じゃないですよ!!なんとかしないと」
あんじーはハッと我に帰った。
「そうじゃった!」
あんじーは印を結ぶとデッキブラシを高く突き上げた。爆炎が巻き起こり七頭身な戦闘モードに変身したあんじーが顕現。デッキブラシを振り回し跳躍する。降下すると同時にブラシを前に突き出し床を擦る様なピストン運動を始めた。そう、デッキブラシの妖力デリート機能である。大入道の右腕を消そうとブラシを伸ばした瞬間何処からともなく現れた霊魂が立ちはだかった。一体二体ではない、無数の浮遊霊である。デッキブラシは霊と言えどもこの世から消す事が出来るのだがブラシの範囲でしか効果が無いのが弱点である。多数の霊に守られ大入道までは消しても消しても届かない。何せ削除した後から霊が穴を埋める如く群がるのだ。更にあんじーの身体にも纏わりついて動きを封じる。
「昴殿、この霊共を蹴散らす術はござらぬか?」
あんじーの問いに昴は頭を抱えこんでしまった。
「除霊は得意なんですがこうも集まると…霊単体は大した力が無くても集合すると霊力は膨大になるんで」
「講釈は良いから早く何とかせい」
昴の言い訳に苛立つあんじー。昴は焦りながら上着の全てのポケットを弄った。
「あ、コイツは使えるかも」
昴は一枚の札を手にした。呪文を唱えると閃光を放ち大きな蛾が現れた。
「夜雀、霊達を蹴散らしておくれ」
夜雀は頷く仕草を見せヒラヒラと飛翔、あんじーの頭上を旋回する。そして翅から鱗粉を撒き散らした。鱗粉は霊に当たる度にボッと発光し消し去っていく。あんじーに絡んでいた霊は意図も容易く消す事か出来たのである。
「出来したぞ昴殿!このまま大入道の霊魂バリヤも消してくれ」
「わかりました」
昴は印を結ぶと手を頭上に伸ばした。夜雀は三つ目入道に向かう。だがその時女の首がニュウっと伸び夜雀を裂けた口でパクりと咥えてしまう。夜雀は煙を放ち札に戻った。
「うぬう、ろくろ首め!昴殿、今一度式神を」
あんじーの要請に申し訳なさそうに首を振る昴。
「夜雀の札は一枚だけなんで。同じ式神は何体も無いんですよ」
あんじーは焦る。何か手立ては?技比べなら勝ち目はあるが霊魂のバリヤを破らねば。その時ハッと閃いた。脇のパンダポシェットを弄る。そして一本の独鈷を取り出した。両手で抱えると前に差し出す。
「掛けまくも畏き迦楼羅不動明王様、我の求めにお答えくだされ!なうまくさんまんだぼだる おんがるだやそわか‼」
あんじーが独鈷を振るうと空が一面黒雲に覆われ、物凄い稲妻が降り注いだ。暗雲が渦を巻き、その中心から現れたのは…鳥の嘴を持ち大剣を携えた武神である。
「吾を呼んだのは帥か?あんじー」
迦楼羅明王の問いに恭しく答えるあんじー。
「左様でございます。訳あってこちらの入道を懲罰せねばならず周囲を護る霊共に手を焼いているのでございます」
迦楼羅明王はチラリと三つ目入道に視点を移す。
「此奴をガードする浮遊霊どもを消せば良いのだな」
迦楼羅明王はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、嘴から猛火を吹いた。三つ目入道を取り巻く霊は忽ち燃え尽きて霧散。
「ありがとうございます、助かりました」
昴が小声で囁いた。
「何時ものあんじーさんらしくないですね、たかだか召喚獣相手に敬語なんて」
あんじーもひそひそ小声で答えた。
「召喚獣などではない、迦楼羅天様は仏様を守護する八部衆の一人なのじゃ。西洋で言うところのアークエンジェル、しかもミカエル級なのじゃ」
驚く昴。
「え〜!あんじーさん天使も操れるんですか!?凄いですね」
あんじーは冷や汗をかいた。
「いや、お願いして来てもらっておる。神様をおいそれと呼べる訳なかろう」
迦楼羅明王は地獄耳である。
「そこ!何をコソコソ喋っておる。吾の事か?」
あんじーは焦った。
「滅相も御座居ません、この痴れ者に迦楼羅不動明王の偉大さを説いているのでございます」
迦楼羅明王は機嫌が良くなった。
「どれ、この入道とやらも退治てくれよう」
あんじーは慌てた。迦楼羅明王の退治とはこの世から消し去る事である。魂さえも消滅してしまう。三つ目入道は何か悪さをした訳ではない。
「迦楼羅明王様、この者は悪事を働いたのでは御座居ません。私共が折伏いたしますので暫しお待ちくだされ」
「あい判った」
あんじーの懇願に相槌を打つ迦楼羅明王。一方、デッキブラシに打ち返されたろくろ首を取り押さえようと貉と鎌鼬が駆け寄った時、瞬足で間に入った者がいた。山姥である。山姥は刃の如き爪を振るい二人を威嚇した。
「おばば、こんな奴を庇い立てするのか」
怯んだ貉が吐き捨てる様に言った。
「ああ、このお菊と坊は家族だからね。山科でたまたま坊と弱りはててたのを助けてやったのさ。この辺じゃ食物さえ手に入れ辛いんだ。事情も知らずに苛めるなんてお前達、人間共とやってる事が同じだよ!」
貉と鎌鼬はウッと動揺した。正体がバレて殺されそうになったのはどの妖怪にも経験のある話なのである。二人はもう手を出せなくなってろくろ首を抱きしめる山姥を呆然と眺めるしか無かった。
霊魂バリヤを失った三つ目入道はぬこ神に乗るあんじーと互角の激しい戦闘を繰り広げる。ただあんじーは致命傷を負わすのではなく時間稼ぎをしている風である。やがて三つ目入道は身体が絞んでいき元の赤子に戻った。
「やはり、な。成竜丸と同じなら効果は持ってせいぜい十五分と言うところじゃ。一時的なものでしかない」
赤子は怯えるように身体を千千込めた。ろくろ首が叫ぶ。
「あんじーさん、非礼は御詫びします!私の私怨でさせていただけなのです、どうか坊をお許しください!私はどうされても構いません!」
懇願するろくろ首に向かいあんじーは答えた。
「元よりお主等は何も悪さをしておらんじゃろ。赤子もたまたま出くわした人間が勝手に驚き騒ぎになっただけじゃ。儂も小判を返す為の依頼しか受けておらん。主等をどうこうするつもりはない」
ほっと安堵したろくろ首。
「じゃが未遂とは言え正体がバレて虐待された恨みで人間達に復讐しようとしたのもまた事実。加担した山姥も同罪じゃ」
ろくろ首と山姥は畏まった。
「なので主等は妖怪組合に入り頭領預かり、でいかがかな。はぐれ妖怪では何かと大変じゃろ。組合ならば何かと面倒も見てもらえ、仲間も増えて安心じゃ」
ろくろ首と山姥は涙を必死で堪えた。
「もう話は着いたようだな。用の無い吾は天界に帰るとしよう」一部始終を見ていた迦楼羅明王はあんじーに告げた。
「ご協力頂きありがとうございました」
あんじーと一同は深々と頭を下げた。迦楼羅明王は翼を広げ羽撃かせるとゆっくりと舞いあがっていく。その優美な姿を眺めながらあんじーはろくろ首に一言。
「時に、タクシーの運転手が小判を返したいそうなんじゃが受け取ってくれまいか?」
その後。坊を連れろくろ首は今妖怪会館で雑用係をしている。山姥は深泥池に帰ったが組合に入ったおかげで他の妖怪と仲良くなったらしい。今回も大団円、の筈なのだが…
個人タクシーの運転手片山は今日も京都植物園前を流していた。もう午前二時、客も居そうに無いので店仕舞いするかと覚悟を決めた矢先、歩道から手を挙げ飛び出す人影。驚き急ブレーキをかける。目の前に白いワンピースの髪の長い女が立っていた。ああ、またかと思いながら車を止め後席のドアを開ける。するとその女が乗り込んできた。
「お客さん、何方まで?」
女はか細い声で答えた。
「上花山の旭山町まで」
片山は先般の事件を重い起こしていた。上花山旭山町には京都中央斎場なる公営の火葬場がある。流石に同じ質問も面倒と更に突っ込む事はしなかった。無言で跳ばす片山。トンネルを抜けた処でバックミラーを見ると…女の姿が無い!車を止め後席に回ってみるとシートがびっしょりと濡れている!
「で、でたあああ!」
悲鳴を上げる片山であった。
ー第壱拾壱話・完ー
京都には様々なミステリー・スポットがあります。中でも有名な二か所を舞台に話は進行します。例によってアニメ一本分の設定なので気楽にお楽しみください