第十六話 メアリーの特訓……?
今日の昼間の事。アイリスの魔術の稽古を終えた後、メアリーに呼び出された。
「リリーネ、貴方は私とよ」
不敵に笑うメアリーの手には木剣二本と木槍が一本。木剣二本をリリーネに渡すと「着いてきて」と一言言うと近くの森の中へ歩いて行った。リリーネは不安を感じながらもメアリーの背中を追いかけた。
しばらく歩いてきたが彼女は止まる様子はなかった。森が深くなり周りが気になりだした。幼い頃からこういった森にはよく入っていた。毎年野犬や熊などの野生生物、町の近くでは野盗などに襲われたという話が出ていた。その為、森を歩く時は自然と周囲の警戒を怠らなかった。
だが周りに気を取られ目を逸らしたその瞬間、メアリーは突如として襲い掛かってきた。勢いよく突かれた一撃はリリーネの髪をすり抜けた。ほんの一瞬でも反応が遅れていれば首を一突きで貫かれていただろう。卑怯な手に怒りを覚え、持っていた木剣で槍を弾き距離を取った。
「いきなり何すんのよ!」
「わざわざ森を入る前にそれを渡した意味が分からなかったのかしら? 稽古は既に始まっているのよ。わざと背中を向けて前を歩いてあげていたのに何もしてこないなんて……優しいのね。それとも何も考えていないお馬鹿さん?」
メアリーの言葉にカチンと来たが顔には出さない。すぐに気持ちを抑え冷静に分析をした。
───相手は槍。リーチの差は歴然。なら……!
懐。長い槍にとって一番であろう弱点。一気に距離を詰めて叩く。
───さっきの不意打ちのお返しをしてあげるわよ……!
両手の木剣を握りしめ、勢いよくメアリーの胸元へと突きを入れた。
しかし、メアリーはそれを予測していたかのように体を回転させ後ろへ回った。上着の襟を巻き込むように掴むと、そのまま木に投げつけられた。背中を強く打ち付けたがすぐに立ち上がり構えた。
しかし既に目の前には木槍が迫ってきていた。咄嗟に木剣を交差させ木槍を受け止め弾き返した。
だが、メアリーは弾かれた勢いをそのまま回転に繋げ、隙の空いた脇腹へ横薙ぎを入れられ、数メートル先へ飛ばされ転がった。飛ばされる寸前、メキっという音がかすかに聞こえた。地面に叩きつけられた事と相まって、肺の空気が全て無くなったかのような感覚に襲われた。口の中に血のような匂いが広がる。なんとかゆっくりと息を整え体を起こした。その間メアリーは何もしてこなかった。情けなのか、それとも苦しむ姿を見て楽しんでいるのだろうか。どちらにせよ、稽古の範囲を超えている。そう強く感じた。
「あんた……少しは、加減しなさいよ……」
その言葉を聞くや否や、吹き出すように笑った。常に不敵な笑みをしているが、今日のは大爆笑と言っていいほどだった。大きく開いてしまう口を押え、お腹を抱えて笑っていた。
そんな姿に苛立つが、息をするたびにズキズキと痛み声が出ない。
しばらくしてようやく笑いが収まったのか、笑い涙を軽く拭い、呼吸を整えるとこちらを見据えた。
「ばぁっかねぇ……!戦場で一体誰が情けをかけてくれるのよ。私達はお遊戯会の練習をしているんじゃないの。” 殺し合い“の練習。命のやり取り。殺さなきゃ殺される。確かにこれはただの稽古。多少痛い思いはしても死ぬことはないわ。でも、そんな甘いことを考えているなら……殺しちゃうわよ♪」
リリーネは思わず息を呑んでしまった。突然、メアリーの顔が一変したのだ。ニコっと笑ったが、明らかに眼だけが笑っていなかった。冷たく鋭い眼差し。あの天使と同じような本当の殺意を持った目。あの時の恐怖が頭の中を駆け巡った。恐怖で涙が滲み、体が震えた。
「あぁ、だめよ……あなたのそんな顔をみたら……私、熱くなっちゃう……♡」
メアリーは頬を赤らめ左頬を抑え上唇を軽く舐めた。
リリーネの元へゆっくりと近づいてくる。恐怖のあまり足に力が入らなかった。距離が縮むに連れ鼓動が早まった。
「っく………!」
目の前に立ったメアリーが手を動かすと同時に目をぎゅっと瞑ってしまった。しかし彼女は頭を撫でてきた。屈み軽く抱擁までしてきた。だが不思議と恐怖心がなくなっていった。安心したというより、忽然と消えていった。
我に返ったリリーネは慌てて離れた。
───あんなに怖かったのに……今は何ともないなんて……
「あんた、何をしたの……?」
「あら、もうよくなったのね。良かったわ」
「逸らかさないでよ! これもあんたの能力!?」
「失礼ね。私が折角慰めてあげたというのに……残念だわ……」
彼女の声色こそ労いの気持ちが籠っている様だが、その顔は嘘をついていた。苛立ちを覚えるニヤけ顔にリリーネは戸惑った。これもメアリーの策略なのではないか?それとも本当に何もしていないのか。そんなはずは無い。そうでなければ彼女に心を癒されてしまったことになる。それが何よりも悔しく、耐え難いことだった。
リリーネは歯を食いしばり、木剣を強く握った。
そして、再び戦いを挑んだ。
何度も何度も挑み、そして何度も投げられ倒され、立ち上がった。
その度にメアリーは容赦なく、時には挑発をしつつ徹底的に甚振った。
リリーネの意識は徐々に薄れ、気が付くとメアリーの膝の上で介抱されていた。
「ってことがあったのよ。もうほんっとに最悪!しかも最後に” その痣を見て私の事を思い出しなさい“とか言ってくるのよ!ありえないわ!」
彼女の破綻した性格に寒気がしてきていた。稽古の目的や考え方は間違ってはいない。
しかし、いくら何でもやりすぎではないかと思う。それに彼女の自身を見る目。人を甚振り昂っていた。まさに狂気の沙汰であった。腹の底から込み上げてくる悪寒を何とか堪えていた。
「ごめんねアイリス。愚痴ばっかりになっちゃって……あれ?」
話に熱が入りすぎたと思いアイリスを見ると、そこにはアイリスの姿はなかった。部屋を見渡すと、閉まっているカーテンが何やら盛り上がっていた。カタカタ揺れるカーテンを捲るとアイリスが震えながらしゃがみ込んでいた。その瞳には涙を浮かべ、両手で耳を塞いでいた。
「ア、アイリス、どうしたの?」
「メ、メアリーさん……怖い……」
やってしまったと反省したリリーネ。アイリスに対しては、やけに優しく接していた為、ショックが大きかったようだ。
その日アイリスを寝かしつけるのにかなり時間を要した。そしてメアリーは、最近アイリスに避けられているような気がすると、愚痴をこぼしていたがリリーネは知らない振りをした。