第十五話 戦力増強
「やっぱり納得いかない!!」
大きな声が響き渡った。リリーネはテーブルを叩きつけ椅子から勢いよく立ち上がった。
「こぉら。お行儀が悪いわよ。私が躾てあげようかしら?」
少食なメアリーは先に朝食を食べ終え、ナプキンで軽く口を拭き、諭すように言った。
無頓着な返事にムカッときたリリーネはメアリーを指さし、さらに声を荒らげた。
「なーに普通にここに住んじゃってるわけ!? 意味わかんないんですけど!?」
「あら、別にいいじゃない。ここの部屋は二人じゃ余るほどあるんだし。それに私達はこれから苦楽を共にする仲間なのよ」
「それについても私は納得してないんだけど!?」
リリーネは興奮気味で肩を上下させ呼吸を整えている。
「もう、落ち着いて頂戴。ほらおすわり」
「犬扱いしてんじゃないわよ! 誰のせいでこんな事になってると思ってるのよ!」
「リリーネさん! はい! トーストどうぞ!」
「あーん♪もぐもぐ……ってひがう!!」
リリーネは差し出されたトーストを頬張りアイリスの声に流されそうになったがすぐに我に返った。
「まぁ、落ち着きなさい」
メアリーはそう言って紅茶を一口飲んだ後、ティーカップを置き再び話し始めた。
「それじゃあ私達が何故、貴方達を引き込んだのかを話しましょうか」
リリーネは不満げに椅子に座り頬杖をつきそっぽを向いた。
「まずは戦力の増強。ここ数年の天使の襲撃が増加傾向にある。それに加え同時期から襲撃の被害の規模が大きくなっている。現にあなた達の居た街は瞬く間に壊滅的被害を受けた様に」
リリーネの顔が少し強ばる。思い当たる節があったからだ。今まで遭遇した天使の襲撃は確かに酷さが増していた。今までは人を抹殺する為に下級の天使を使い人だけを襲っていた。
しかし前の襲撃といい、アイリスを見つけた近くと言い酷い有様だった。街を破壊し、草原を枯らし、山や川などの地形すらも全て平にしていた。
リリーネも確かに協力出来る人が居ることを心待ちにしてはいたが、寄りにもよって裏切り者と人攫いの女か、と落胆する気持ちもあった。
「そして更に上位天使の出現。これは少し予想外。というより想像よりも早かった」
その言葉を聞くとそっぽを向いていたリリーネは驚いた表情でメアリーに問いただした。
「ちょっと待ちなさいよ あんたは上位天使の存在を知っていたの……?」
「あら、そんな事すら知らなかったの? 悪魔から聞いていないのかしら?」
「はぁ? 悪魔と会話が出来るって言うの??」
その言葉を発した瞬間、場が凍りついた。メアリーはティーカップ持ったまま、ニールは料理を頬張ったまま固まっていた。アイリスはというと、三人の話をほとんど聴いてない。というより食事に夢中だったためいつものように楽しそうに食べていた。
メアリーのティーカップを置く手は震え、ニールはゴクリと喉を鳴らし、二人は顔を見合わせた。そんな二人に見つめられリリーネは気まずい空気を感じた。
「な、なによ……」
「おいおい……」
「まさか……冗談よね……?」
「はぁ? なんのことよ」
二人の反応を見て何が何だか分からない様子だった。
「貴方、ほんとに悪魔と契約を交わしたのよね……?」
「し、知らないわよ! ある日突然天使に襲われて逃げてた時に気付いたし……いつも唐突な命令ばっかで、一方的だったっていうか……」
メアリーは呆れてため息を漏らすと、ニールは頭を抱えてしまった。悪魔と会話できない事がそんなに不味いことなのか。二人の様子を見て流石にリリーネも焦り始めた。
「生まれつきってか? そんな事有り得るんすか?」
「分からないわ。情報が乏しすぎるもの……」
何か嫌な予感を感じた二人の視線はアイリスに向けられた。相変わらず食事に夢中だった。
アイリスがその視線に気が付くと自分が食べていたフレンチトーストを一口大に切り分け差し出してきた。彼女はとても気に入っていたようだ。無論、彼女に誤魔化すなどといった器用なことは出来なかった為、素直な反応であった。
その行動に更に二人の不安を煽った。
恐る恐るメアリーは彼女に質問を投げかけた。
「ねぇ……アイリス」
「なんですか?」
「悪魔の力の話を前にしたわよね……? それで悪魔の事どれくらい知っているかしら? 例えばその……名前とか」
「あくまさんの名前……ですか?」
アイリスは口元に指を当て思い出そうとしている。
その仕草は可愛らしく愛くるしいものだったが、二人はそれどころではなかった。
「うーん……ごめんなさい、分かりません」
その一言を聞くとメアリーは絶望した。
メアリーは天才だった。だがこんな事は予測していなかった。新たな戦力として二人を勧誘したつもりだったが、力の使い方や体術といった面の教育の面倒をしなければならない羽目になるとは思いもしなかった。メアリーの思考は加速しありとあらゆる心配事が頭の中を駆け巡り、小声でぶつぶつと口早に喋っていた。
「博士!? しっかりするっすよ! 博士ーー!!」
両肩を掴まれ激しく揺られた彼女はようやく正気に戻った。メアリーは紅茶を一口飲み一呼吸ついた。
「あなた達の悪魔に関する情報が乏し過ぎることが分かったわ……はぁ、先が思いやられるわぁ……」
「そういうあんたたちは悪魔と話せるって言うの?」
「そりゃもちろん」
「じゃあ教えなさいよ! あんたらの知ってる事全部!」
リリーネは立ち上がりテーブルに手を付きニールに顔を近づけ迫った。
「ちょ、近い! 急にぐいぐい来るな!」
「早く言いなさいよ!」
「分かった、わかったから落ち着けって」
リリーネはニールから離れると、ドカッと椅子に座った。
ニールは咳払いしてゆっくりと話し始めた。
「まず、悪魔は魂を喰らう事で自身の魔力を増大させる。それは前に博士から聞いた通りだ。魔力は量が増えるだけじゃない。濃度も同時に上がる。つまり人間で言うと、魔力量は体力、魔力濃度は筋力って訳だ」
魔力の基本。魂とは生きとし生けるものの根源。生物は全て肉体と魂で構成され、肉体という器に魂という生命の果実を与えられる事でこの世に生成させる。それが生物の原理である。
そして悪魔は生命の果実を喰らう。魔力を増幅させる以外にも悪魔にとって利点があった。悪魔はとても短命である。生物の負の感情の強さにより生み出される悪魔は生命力が乏しく短いものでは数分で消滅してしまう。悪魔とは魂の具現化である。
そんな悪魔たちは長寿を羨んだ。そしてある悪魔は人間の世界へ出た。悪魔ディアブロ。それは後に、悪魔が住まう冥界の王になった存在。ディアブロは人間の魂を喰らい、その力に魅了され更に行為は激しくなった。
そしてそれに続くように他の悪魔も地上へ出現し人の魂を喰い散らかした。やがて神の介入により一時は収まったが、悪魔の矛先は神へと移った。何故なら神や天使は人間以上の大きな生命力を有していたからだ。それから悪魔ディアブロを発端に神と悪魔の戦争が巻き起こった。それが破砕戦争である。
「それじゃあ、なんで悪魔はわざわざ人間と契約してまで神と戦うのよ」
「後の戦いでディアブロは神の力によって封印されたわ。そして、神は一つの制約を交わした。その内容は地上への出現の禁止。けれど詰めが甘かった」
「どういう意味よ?」
「つまりはだな、神が縛ったのは悪魔の具現化だけ。だからあたし達に自分達の力を使わせて、天使の魂を刈り取らせるってのが奴らの企みだな。ま、あたしらも世界滅亡の危機を脱せるしウィン・ウィンの関係ってやつだな!」
「なんなのよそのキメ顔……」
歯をきらりを光らせ親指を立ててきた。リリーネはその事に呆れ、ため息をついた
神と悪魔の交した制約は絶対遵守。何物にも侵すことが出来ない。しかし悪魔は非常に狡猾だった。人間の負の感情を辿りその人間と契約する事で共同体となり事で制約を無視した。負の感情から生まれた故か悪魔の性格は下衆なものが多い。
「あの……」
しばらく三人で会話しているとアイリスがか細い声で小さく手をあげていた。難しい話に聞くのがやっとだった。ようやく話に節目が出来たと思い声を上げた。
「それで……天使さんを止めなきゃいけないんですよね?何をすれば良いのでしょうか?」
「そうね。では本題に入る為に一度外へ行きましょうか」
そういうとテーブルの上のベルを手に取り軽く鳴らした。
するとドアを開け一人のメイドが軽く頭を下げ部屋を進みその後ろにカートを押すメイド数名が入り食器を片付け始めた。丁寧で素早く片付け終えると部屋を出ていく。最後のメイドがドアの前でまた一礼をして出ていった。
「さて行きましょうか。ニール、お願い」
「へい!」
パンっと軽く手を叩きニールに何かを頼んだ。
彼女は返事をすると立ち上がり、何も無い空間を手を当て、空間を引き裂き、穴を作った。どこに行くのかと聞こうとしたが二人はすぐに入ってしまった。
「行きましょう!」とアイリスに手を引かれ通り抜けるとそこは人気のない平原だった。
王都オーフィリア領───フェンドリア大平原
見渡す限り広がる広大な草原。遠くの方には森があり、その少し先には山脈が見える。隣国を繋ぐこの大きな平原は交易のため商人が何日もかけて渡る程広い。都市や街の周りは道が整備されているが、途中で悪路に変わり宿なども無く商人達は野宿を強いられる。何故そんな道を通るのかと聞かれれば、皆口を揃えて言う。王都に行くためと。それほど王都とは交易が盛んであり価値があった。
一行は道からかなり外れた森の近くに来ていた。そこでメアリーはこれからの戦闘に備え訓練をすると言ってきた。リリーネと戦い彼女の知識と戦闘技術がまだまだ未熟と思ったからだ。その上アイリスは全く検討がつかない。戦闘や魔術が現段階でどれくらい出来るのか未知数だった。しかし彼女から溢れる異常な程の魔力の量と濃度は目を見張るものがあった。これ程の魔力があれば間違いなく強力な戦力になり得る。
そんな思いで胸をときめかせ鼻歌を歌いながら歩いていたが、やがて足を止め二人の方へ振り向いた。
「この辺でいいわね。取り敢えずあなた達の実力を見せてもらうことにするわ」
「ねぇ、さっきのあれって」
「さっきのは空間をガバッと開けて、時空をぎゅっとして、びゅんっと移動出来るすげー力だな」
「くうかん?じくう?」
時空とは、時間と空間の統一体。生物が存在している空間である三次元と時間を合わせた四次元のこと。
ニールはその四次元に干渉することが出来る。ワープホールの原理は空間に穴を開け現在地と行先の空間を圧縮し繋ぐ事で移動をしている。
ということを説明している気になっているが、擬音が多すぎる説明を聞いてアイリスは余計分からなくなっていた。本人もよくわかっていないが、悪魔から聞いた言葉をそのまま伝えてる気になっている。理解できないアイリスは好奇心からか、一生懸命に話を聞き理解しようとしていた。
「メアリーあんたの能力って……」
「はいはい、二人ともそれくらいにしてちょうだい」
うんざりしたリリーネはメアリーに同じ質問を投げかけたが遮るように二人の止めに入った。
「さてまずは魔術ね。リリーネ。何かやって見せて頂戴」
先程無視された事に少し不満もあったが取り敢えず言うことを聞く事にした。
袖を捲り上げ目を閉じ神経を研ぎ澄まし構えを取ると両腕に炎の様な痣が浮き出てきた。そして全身の魔力を胸の中心に集め炎をイメージする。徐々に熱を帯び、小さな炎を大きく激しいものへと変化させていく。その炎を肩から腕、掌へ伝わせる。
そして一気に放つ。すると掌を向けた先に大きな炎の竜巻が上がった。消えると同時に熱波が伝わってきた。
アイリスは少し怯えた表情になった。人は自身の背丈より高い炎が上がると本能的に恐怖してしまうものだ。
大量の魔力を消費し、炎を練った弊害で体温が異常なまでに高まり、神経も使ったからか思った以上の疲労感が襲った。
「はぁはぁ……どうよ。言われる通りやったわよ」
出来る限りの全力を尽くした。ほんの少しは驚かせる事が出来たかと思うと達成感で溢れていた。
だがメアリーはため息をつくと、
「不合格。そしてしばらくその力は使わないでちょうだい」
「はぁ?どうしてよ!」
「威力は凄まじいわ。全力を尽くした事は見れば分かるけれど、今の貴方が使うには消耗が激し過ぎるわ。それにそれ以外の問題が山ほどあるもの。魔力を集中させるのに時間が掛かり過ぎているわ。無意識に、手足を動かすのと同じ様に出来なきゃ使い物にならないの。意識を集中させる間、敵は待ってくれるかしら?もっと利口な使い方が出来るはずよ。それから───」
「だあああ!!もうそんなに一気に言われたって分からないわよ!」
「つまり、まだまだ未熟という事よ」
「それはそれでムカつく!」
「兎に角、あなたは当分、戦闘の訓練をさせるわ」
そして今度はアイリスに視線を移した。彼女は少し緊張した様子だった。ギョロっとした視線に少し驚き自分の番が来たことを認識した。
「じゃあ次はアイリスの番ね」
「は、はい」
だが彼女にとって魔術は疎か悪魔の事すらよく知らない。その為、どのような魔術が使えるのか分からないのだ。
「とは言っても何も知らないんじゃ魔術の出しようがないわよね」
「ごめんなさい……」
「謝ることはないわ。他にも方法はあるもの。例えば……」
彼女はそう言うと右手から鈍く光る光弾を出した。その光は黒く禍々しいオーラを放っている。
「これは魔力そのものを凝縮させたものよ。魔力の使い方としては基本中の基よ」
魔力は元々目で見えるものではないが濃い魔力は視認することができる。魔弾は圧縮された魔力の塊である為、質量を持ち視認することができる。
魔術とは魔力の応用であり、魔力を消費し術を唱えるものが魔術であるが、魔力をそのまま放つこともできる。
アイリスはその魔弾を興味深くじっと見つめていた。
「そしてこれを、えい……♪」
メアリーの手にあった魔弾は高速で射出され、近くにあった大きな岩を爆音を鳴らし砕いた。岩の破片がそこらへと飛び散り小さな土煙が舞った。
突然の爆音にアイリスは思わず目を瞑ってしまった。恐る恐る目を開けゆっくりと状況を確認すると唖然としていた。非現実的な現象に驚いていた。これを自身が会得することを考えると、本当にできるのか不安なっていた。
それを悟ったのかメアリーはクスリと笑った。
「ふふ、大丈夫よ。これくらいならあなたにだってきっとできるはずよ」
メアリーは普段の鋭い目つきではなく、母親のような優しい目をし、アイリスの頭を撫でていた。その手つきもとても暖かく、柔らかく髪の毛をすり抜けていく。まるで親子のような光景だった。アイリスは今まで少し不安感を感じていたメアリーへの思いが大きく変わった。
「はい!がんばります!」
アイリスの表情はいつもの大きく可愛らしい笑顔へと変わった。
だがメアリーは「よしよし」と声をかけながらな撫でていたが安心しきったアイリスの表情を見ると不敵な笑みを浮かべる。
ニールは良からぬこと考えている顔だと察し顔を逸らした。変に干渉すると被害を被ることを知っているからだ。
しかしその一瞬の怪しい顔をリリーネは見逃さなかった。すぐに詰め寄り二人を引きはがした。
アイリスは少し物悲しそうな顔をしたが、そんなことはお構いなしにメアリーを睨みつけた。理由がどうであれ、あの不敵な笑みがアイリスへ向けられたのが許せなかった。
アイリスに感付かれないように背を向け、静かな殺気でメアリーを刺した。だが彼女は動揺することはなかった。むしろクスっと笑って見せた。
「妬いちゃったかしら?そんなに彼女を取られるのが嫌?」
「余計な事したらただじゃ済まないわよ」
「あら、あなたに何ができるかしら?」
メアリーは余裕の表情を見せ挑発をした。
二人の視線は激しくぶつかり火花を散らしていた。
───なんで仲良くできないかねぇ……
やれやれと肩を下した。元々軍に属していたニールにとっては頭の痛い状況だった。命を預け、助け合っていく仲だというのに喧嘩ばかりしていることに呆れていた。だが仕方のないことであった。性悪なメアリーに対して憎悪しかないリリーネ。そして子供同然のアイリス。仲介に入るのは自分しかいないと思っていた。だがニールはメアリーに逆らうことができない事情があった。二人は幼馴染であり、その好で軍を抜けた後、メアリーの許で生活をさせてもらっていた為、口出しすると本気で追い出されてしまう可能性があった。実際一回追い出された経験があったから尚の事である。
─── 一応、なんかフォローしといたほうがいいか……無駄だろうけど
大きなため息をついたがそれも束の間、自分よりも先に二人に声をかけたのはアイリスだった。
「お二人で何を話してるんですか?」
あまりの衝撃に三人の視線は一気にアイリスへと向いた。アイリスはニコニコと笑っていた。二人の小声での小競り合いが聞こえていないのか、もしくは聞えていない振りをして明るく二人をフォローしたのだろうか。答えは前者だ。アイリスの底抜けの明るさは自然と人を和ませるそんな力があるように感じた。
アイリスの言葉にリリーネは肩の力が抜けた。「アイリスを守るため」と、そう言いたかったが、きっと理解されないだろうと思い言葉を飲み込んだ。それに変にお節介焼きだと思われても嫌だとも思ったのだった。
メアリーは驚き少し目を丸くしていたが、次第に可笑しさが込み上げてきた。
「ふふふ、大した話じゃないわ。さぁ練習をしましょうか」
アイリスは首を傾げたが気にすることなく練習を開始した。
それから日が暮れるまで二人は特訓を続けた。そして夜になり、その日の訓練は終了した。
二人とも疲れ果てた様子だったが、特にアイリスは疲労が激しかった。
肉体的にも精神的もだ。
初めに体の魔力の流れを感じるところから始めたが、なかなかコツを掴むのに時間がかかった。体内の魔力を感知し操るのは最も初歩的な事だが、アイリスの場合は夥しい程の魔力が流れており、それがより感覚を狂わせていた。
そしてそこから魔弾を作り出す過程まで進んだがこれもうまくいかなかった。メアリーの掌のような大きさのものではなく小さなものだったが、それすらも形を保つことができずその日は打つことすらできなかった。
何よりもメアリーの教えを守ろうとし過ぎてしまい集中が出来なくなってしまった。
少し休憩を挟み体術と剣術をニールから学んだ。ニールは元軍人だったため、体術にはかなりの自信があった。剣術はというと彼女の性格上、様式美や鎧の動きにくさなど様々な要因が肌に合わなかったらしく当時はかなり上官に叱られたそうだ。「全人類が剣を捨て、素手で戦い合えばいいのに」などと言っていた。それほど嫌だったのだろう。しかし構えや型は素人が見ても驚くほどに綺麗だった。アイリスは拍手をしながらその様子を見ていた。
そして肝心のアイリスはというと、運動神経は悪くない。むしろある方だろう。体力も日常家事を毎日こなしていた為かかなりあった。
しかし、戦闘訓練など当然受けたことなどなく、どがつくほどの素人だった。
中でも木剣での稽古は、彼女の真剣さや一生懸命な思いは伝わってきた。
だが下手だった。
絶望的なセンスだった。
当然といえばその通りだが、あまりのセンスにニールは少し青ざめた。構え、重心移動、足捌きすべてが壊滅的。ただ腕を振り回しているだけにしか見えなかったほどである。
しかし、彼女の一生懸命に頑張る姿はニールの心に火を付けた。彼女の教育の賜物かなんとか少しはまともに見える様にする事ができた。ニールから褒められたとき、彼女は飛び跳ねて弾けるように喜んでいた。
そんな今日の事を思い出しながら湯船に浸かり一日の疲れを癒していた。
ふとリリーネの事を思い出した。いつも当然のように一緒に入っていたが今日は先に入ってしまったそうだ。理由を聞くと「今日は疲れたから早く寝る」と足早にいなくなってしまった。よく考えたら様子が変だった。どこか落ち着かないようなそんな気がした。
───リリーネさん……なにかあったのかな……?
そして気が付いた。
「あれ? 先に寝るって……一緒に寝れないってこと!?」
彼女にとって一番大事なことだった。出会ってからというもの一緒に寝なかった日はないというほどに毎日夜を共にしていた。時偶にリリーネが先に寝ていることもあったがとても寂しい思いをした。故になんとしてでも一緒に寝たかったのだ。ゆっくりと湯船に浸かっていたが、急いで浴場を飛び出し部屋へと向かった。
「リリーネさん!」
扉を開けるとベッドに腰かけている彼女が見えたが、同時に驚くこととなった。決してキャミソールとショーツだけの下着姿だったからではない。白く綺麗だったリリーネの全身に青い痣があった。魔力を使っているときは両腕に炎のような痣が出ていたが、それとは別なものだった。何かを強く打ちつけられ、腫れているようなそんな痣だった。アイリスが部屋に入ってきていることに驚き、両腕を抱えベッドの陰に隠れた。
アイリスは驚きを隠せず、慌てて駆け寄った。リリーネは必死に涙を堪えていた。
「どうしたんですか……!?」
「アイリス……笑わないで聞いてくれる……?」
大きく頷くとリリーネはゆっくりと嗚咽し、そして溢れる様に大声で泣いた。
「うわあぁぁ……!メアリーにボコボコにされたぁ!」
「え?」
「メアリーのやつ!私より強いからって全然手加減しないんだもん!しかもこんな痣だらけにされちゃったのぉ!悔しいよぉぉ!」
「えぇ……」
アイリスは困惑していた。メアリーのスパルタ教育具合とリリーネの無邪気な泣きっぷりに。
初めて見る友人の弱々しい姿。しかも普段は勝気で自信にあふれた性格の彼女がこれほどまでに崩れ泣くほどメアリーの稽古が厳しかったのかとはっきりわかったわけではないが察することができた。
アイリスには優しく抱きしめ慰めることしかできなかったがそれが最善策であった。
ひとしきり泣き終えるとリリーネは正気を取り戻した。
「ご、ごめんなさい、私ったらみっともないわね……!」
流石に少し恥ずかしかったようだ。顔を赤らめてベットに腰掛け小さく座った。アイリスはリリーネの横に座り頭を撫でながら優しい声をかけた。
するとリリーネは少し落ち着いたのか、静かに語り出した。