一緒に食べられたらいいのに
***
ミシェルにしては、ずいぶん寝坊して、のんびりと食べた朝食。
そのあとは、日課のお祈りだ。
たとえ聖女ではなくなったのだとしても、ミシェルの心は、この国の幸せを祈るためにある。
それが、聖女という生き物なのだろう。
だからこそ、精霊王に愛されて、聖女に選ばれるのだ。
「……どうして」
いつも無表情で氷のようだったシグルの表情が歪む。
ミシェルが祈りをささげる姿は、決して開けるまいと思っていた思い出に繋がる。
それは、とても甘くて、大切で、悲しすぎて、ごちゃ混ぜの感情となって、シグルの心を締め付ける。
「どうして……。こんな目に合ったのに、まだ精霊王に祈りを捧げているんだ。彼女は」
「それが、聖女というものです。同じだと思いますよ、あなたの……」
「っ、すまない。それ以上は、言わないでくれないか」
とはいっても、ミシェルが捧げている祈りの内容は、王国の安寧を願うような高尚なものではない。
今日のミシェルの祈りは「シグル様が、ご飯を食べてくれません! どうしましょう。私が来たせいでしょうか? 精霊王様、どうかシグル様がご飯を食べてくれますように!」という他愛無くも、本人にとっては死活問題に近いほど深刻なものだった。
ミシェルがどんなに祈ったとしても、精霊王様が答えてくれることはない。
けれど、確かに精霊はこの世界に存在して、万物を司っている。
聖女をしていたミシェルですら、本物の精霊を見たのは、カルラが初めてだけれど。
(精霊様が、執事の格好をしているなんて、大神官様が聞いたらきっと腰を抜かしてしまうわ)
ミシェルは、穏やかでいつもミシェルの味方になってくれていた、大神官に思いを馳せる。
少し真面目過ぎるあの人は、精霊に対して他者を寄せ付けないほどの敬意と親愛を捧げている。
そして、精霊は、呼び出した人間の力が強ければ強いほど、この世界になじむ。
(だから、カルラさんの存在が、執事にしか見えないってことは、本当にシグル様の精霊を呼び寄せるお力が強いって証拠)
すごいなぁ……。と素直にミシェルは、シグルのことを尊敬した。
そして、祈りをささげる。その瞳に、光が戻りますように。
『王国の光になりますように』
それは、ミシェルの声でありながら、ミシェルの言葉ではなかった。
時々、深く祈りをささげた時に、ふと降りてくる言葉。それは、聖女にとっての兆しであり、予言だ。
「さすがに、力が強い。まるで、重苦しい監獄のようだったこの場所の空気まで、浄化されていくようです」
カルラは嬉しそうに紅茶を注ぐ。
「さあ、そろそろ水分くらいはお取りになったらいかがですか? シグル様」
「――――ああ」
普段、誰かがこの部屋に放り込まれた時、シグルが何かを口にすることは決してない。
たとえ、まったく食事と水分をとらなかったとしても、シグルが死んでしまうことはないから、そのことをカルラが止めたことはない。
ただ、シグルが飢餓と喉の渇きで苦しいだけの話だから。
しかし、祈りを捧げ、こちらへ意識を向けることのないミシェルを見つめたままのシグルは、紅茶を無意識に口にした。
ミシェルがそれを見れば、喜んだことだろう。
だが、祈りに集中しているミシェルが、その事に気がつくことはない。
「――――どうしたらいい。今すぐ俺がここから外に出れば、ミシェルは助かるのか?」
「――――あなたがいなくなれば、王家の者が入り込んで、彼女の命を絶つでしょう」
「……俺には、救うなどできないということか」
それに、今の状態のままシグルが外に出るということは、王国の民全ての命が脅かされることに相違ない。そのことをよく理解しているからこそ、シグルがここから出るという選択をすることはないのだ。
ほんの少しだけ、その瞳が潤んだように見えたが、また心を閉ざしてしまったかのように、光が失われる。それは、諦めてしまった人間特有のものだ。だが、それでも強靭な精神を持つがゆえに、その心はまだ完全に壊れることがない。否、壊れることができない。
それは、地獄の苦痛が長引くことに他ならない。
「まあ、この後のことはわかりませんけどね」
祈りを捧げ終えたミシェルが振り返ったときには、ティーセットは片づけられ、やはりシグルは遠くを光のない目で見つめていた。
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