穏やかな朝
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地下だから、窓の光は届かないはずなのに、心地よい陽光を感じる。
「不思議だわ」
「まあ、精霊の力を持ってすればたやすいことです」
執事姿のカルラは、少し自慢げだ。
それにしても、体調がいい。温かい布団と、柔らかなソファーで眠ったせいだろうか。
「おはようございます。シグル様!」
ミシェルがにっこりと微笑みかけると、なぜかシグルはギョッとしたように目を見開いた。
コテンッと首を傾げると、息をするのを忘れていたかのようにヒュッと息を吸ったシグルが「ああ」と返事をした。
「なんとも……ないのか?」
「え?」
そして、すぐに逸らされる視線。
ほんの少しだけ、その光のないシグルの瞳にミシェルが映ったのは、気のせいではないだろう。
「……いや、過去に例がなかったわけではないか」
少しその瞳に光が戻った気がしたのに、次の瞬間には、またその瞳は漆黒の闇夜に戻ってしまう。
きっと、その瞳が光を宿してほほ笑んだら、どんなにか美しいのだろうと、ミシェルはぼんやりと思う。
かわいげがない、色気がない、偉そうだ。
ミシェルが聖女としての仮面を被れば被るほど、王太子であるレグルスからは、冷たい扱いと心無い言葉を受けた。
その名声が高まれば高まるほど、その処遇は低いものへと変わった。
「――――シグル様は、とても素敵ね」
黒髪はよく手入れされているのだろう艶やか。切れ長の瞳も、整った鼻筋と唇も、王都ですら見たことがないほどに美しい。それに何より、低くて穏やかな声がいい。
それに比べて、ミシェルの容姿は平凡だ。
たしかに、聖女に多く見られるストロベリーブロンドと、空に例えられる淡くて透明度の高い青色の瞳は美しいかもしれない。だが、それだけだ。
着飾ることもなく、いつも聖女の衣装を身にまとっていたミシェルは、美しいとほめそやされたことはなかった。
「そうでしょう。本人は、そんな自覚これっぽちもないですがね」
「カルラさん……。冗談でしょう? あんなに美しいのに」
「――――あなたたちは、おそらく似た者同士なのでしょう」
そんな言葉を受けて、首をかしげるミシェル。
たしかに、小動物のような可愛らしさが同居しているが、ミシェルこそ、誰が見ても美しい。
事実、戦場でのミシェルを多くの画家がモデルとして絵を描いている。
それは、ほとんどの時間を祭壇の前で祈りを捧げて過ごしていたミシェルのあずかり知らない事なのだけれど。
「……ここまで愛されている聖女が非道な扱いを受けたのです。ちょっとしたきっかけで、民衆の怒りや不満は爆発するに違いありません」
「――――まさか」
ミシェルは、すでに聖女としての力のほとんどを使い果たしてしまった。
噂によれば、先代の聖女だった王妃も、力がなくなり、命を失ったという。
王妃になる前ではあったけれど、ミシェルの運命も、もうすぐ終わりを迎える可能性がある。
「ところで、この部屋に満たされた猛毒なんだけど……」
「気がついていますよね。毒の原因もわかっているのでしょうか」
「あの……。シグル様のお体は大丈夫なの?」
気づかわし気に向けられた視線に、シグルは気がつきもしない。
彼は、壁の向こうに焦点を合わせて遠くを見ているのだから。
「――――問題ないです。それよりも、ミシェル様は大丈夫なのですか?」
しかし、カルラは、言葉の割に心配などしていない。
精霊であるカルラには、すでにわかっているから。
そのうえで、大神官へ予言を告げ、今回の緩やかな処刑が執り行われるように図ったのだ。
「……聖女として選ばれる前、私は一つしか恩恵を持っていなかったの」
にっこりと笑うミシェルに、精霊であるカルラですら見惚れてしまう。
おそらく、この表情を見たならば、誰もが釘付けになってしまうに違いない。
そして、聖女の神託を受ける前に、ミシェルが持っていたたった一つの恩恵は、この場面のために存在したに違いない。
「本当に見る目のかけらもない」
「え?」
「何でもありません」
風もないのに、なぜかそよいでいるカルラの髪の毛を不思議そうに眺めて、ミシェルはもう一度ほほ笑む。そして、用意された山盛りの朝食に手をつけはじめる。
「美味しいぃ……」
今日も鮮やかに、そしてニコニコ最高の笑顔をしたミシェルに食せられていく食べ物は、たぶん幸せに違いない。
こんなにも幸せそうに、聖女に食べてもらえるのだから。
たぶん三人前以上の食事を食べた上に、今日も用意されたデザートを嬉しそうに食べる姿は、聖女というよりも年頃の乙女にしか見えないが。