温かさと冷たい境遇
ミシェルのドレスの留め具を全てはめると、シグルは背中側から抱きしめた。そうせずには、いられないとでもいうように。
お互いの温かい体温は、ずっと二人が欲しいと渇望して、それでも手に入らなかったものだ。
「――――こんな風に、することは、許されないのに」
シグルの熱を帯びた瞳を、背にしたままのミシェルは、見ることが出来ない。
けれど、もし見たのなら、その瞳にわずかな光が戻ったことを喜ぶのかもしれない。
それとも、ミシェルを見つめるその瞳が、あまりに暗いから息をのんだだろうか。
「……シグル様、もう夜が明けますよ」
「ああ、光が差し込まないはずのこの部屋も、カルラが精霊の力で光をもたらしてくれる」
「……ずっと、カルラさんと二人きりだったのですか?」
「――――8歳までは、母とともに過ごしていた。母が死んだときに、精霊を呼び寄せる力が発現してカルラを呼び寄せていなければ、その時に処分されたに違いない」
処分と簡単に口にされた言葉にミシェルは言葉を失う。
けれど、第一王子の存在は秘匿されていた。
生まれた時に、お亡くなりになったと、貴族の間では解釈されていたけれど。
「だが、精霊を呼び寄せた俺を誰も害することができず、かといって毒を抑えることも、部屋に強力な結界を張り巡らせることでしかできなかった。だから、俺はここにいる」
幽閉されているとしか思えないこの場所。
病弱で長く床に伏していたという先代の王妃が御隠れになってから、十年の月日が経つ。
「母は、俺の毒が原因で最終的には命を失った」
「――――でも、この毒では普通は」
そう、これだけの猛毒が近くにあれば、普通の人間は3日くらいしか生きられないに違いない。
「……母は、力を持っていたから」
ゴクリ、とミシェルの乾いた喉が、水分を求めて音を鳴らす。
そうだ、聖女が生まれた代に関しては、王妃になるのは聖女というのがこの国の決まりだ。
それは、精霊と人間の盟約に関係する。
先代の王妃も、聖女だったのだ。そう、リンドナーの姓を授かったときに、ミシェルは教えられていた。
「……力を失ったのですか」
「聖女の力を持続させるためには、王位継承者からの愛が必要だ」
「…………」
「母は、残された力を俺のためだけに使った」
たしかに、ミシェルが力を失ってしまったのは、ララ・リーム伯爵令嬢が現れてからだ。
それでも、聖女の力は急速に失われたわけではない。ただ、有限な資源のように、使うたびに目減りしていってしまっただけだ。
「シグル様…………」
「ミシェルは、王家を恨んだりしないのか?」
その問いに、ゆるゆるとミシェルは首を振る。
もしも、なんてものは、今となってはどうでもいいことでしかない。
それよりも大事だったのは……。
「私は平民だと、お話ししましたよね? 魔獣の大軍のせいで村は焼かれ、幸せだった日々は終わりを迎えました。十年前のことです。その時に、予言が下り、大神官様が私の村に訪れなければ、私も生きてはいなかったでしょう」
あと少しだけ、予言が早くもたらされたなら、ミシェルの村は焼かれなかったに違いない。
けれど、それももう過ぎたことだ。
「辛いことを思い出させたようだな……」
俯けば、さらりと黒い前髪が、シグルの瞳を覆い隠す。
たぶん、二人にとって、十年前に起きた出来事は、人格形成にも、人生観にも大きく関連している。
どちらともなしに、向かい合ってそれぞれの瞳を真っすぐのぞき込む。
ミシェルが、この場所に送り込まれたのは、偶然なのだろうか。
それとも、それは元々決まっていた運命というものなのだろうか。
「――――いいえ。きっと、ずっと、誰かに聞いて欲しかったんです」
相変わらず、室内は毒に満たされている。
ここは、二人しか存在することが許されない場所だ。
カルラがそっと、二人の様子を見つめて、ほほ笑んだ。
そう、こうなることを知っていたのは、精霊であるカルラだけなのだから。
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