第十一話 渓谷
「お、落ちちゃいそう」
「下を見ない方がいいぞ、いいことない」
「そ、そうだね。前を向いて歩こう!」
断崖絶壁に沿うように出来た整備もされていない険しい道。
先駆者が打ち付けた杭と鎖で辛うじて落下防止処置はなされている。
だが、それを頼りにするにはあまりにも心許ない。
「よっ、ほっ」
そんな中、一人余裕を見せて先行するのは足立だった。
よほど体幹に自信があるのか、軽い足取りで前に進んでいる。
すぐ側に底が見えないくらいの渓谷があると言うのに、大した肝っ玉だ。
「大丈夫か?」
「えぇ、平気よ」
足立からすこし離れて俺と山谷が続き、その後ろに沼地がつく。
沼地は怖がっている山谷以上に慎重に足を運んでいた。
「あ、彩原くん。な、なにか気の紛れるような話、してくれないかな?」
足を震わせつつも進む山谷は、同じく震えた声をしていた。
「そうだな……そうだ、こういうのはどうだ? 幸せの渡り鳥」
「鳥? 青い?」
「いや、青くはない」
そう振り返った足立に返す。
「ちょうどそこにある渓谷みたいな場所を、魔物の鳥が一斉に渡ることがある。空を覆うくらいの群れだ。それを目撃した人には幸せが訪れるんだってさ」
「迷信ね」
「侮れないぞ、迷信は。まぁ、話半分で聞いてくれ」
かくいう俺もジンクスや迷信を完全には信じてない。
試験の一件があって、そういうこともあるかも知れない、くらいには思っているけど。
「幸せかぁ、どんなのだろう?」
「んー、いい美容師に巡り会うとか?」
「私はお金」
「あはは、志鶴らしいね。私はなんだろう? 美味しいお店かな。彩原くんは?」
「そうだな……俺は無事にダンジョンをクリアすることだな」
今はそれしか浮かばない。
「あっ、たしかにそうかも」
「私たちの中で一番冒険者してるの彩原くん説あるね」
「はっはー、それだけ夢がないってことだけどな」
そんな会話をしつつ、険しい道も半ばほどになってきた。
ここを抜ければすこし広い場所に出られる。あとすこしだ。
「ん?」
はやる気持ちを抑えて足を前に出していると、ふと目の前に木の葉が落ちてくる。
それも一枚や二枚ではなく、何枚も。
風も強くないし、雨も降っていない。
視線は自然と上を向き、そしてこの状況で見たくないものを見る。
崖の上に生えた木々の枝に何体もの猿の魔物がいて、こちらを睨んでいた。
「あぁ、不味い――魔物だッ」
そう叫んだと同時に、猿の魔物たちが落ちてくる。
断崖絶壁の急斜面を器用に滑り、急襲を仕掛けてきた。
「中級風魔法」
「折紙」
急斜面を這うように上昇気流を発生させ、魔物の群れを吹き飛ばす。
同時に取りこぼした魔物を折紙の手裏剣が刈り取っていく。
風に煽られた魔物はそのまま谷底へ。手裏剣に襲われた魔物は転がるように落ちていく。
奇襲には驚いたが、なんとかなりそうだ。
そう思ったのも束の間。
「ギャギャァアァアアアアッ!」
風に耐え、手裏剣を躱した一体が至近距離にまで迫る。
狙いはこの俺、対処しようと鳴神の柄に手を掛けたその刹那。
跳ねるように方向転換した魔物が、沼地へと向かう。
「しまっ――」
足場が正常だったなら、それでも沼地は対処できたかも知れない。
だが、奇襲に身構え、地面を踏み締めた結果、沼地の足場が崩れてしまう。
杭が外れ、鎖が千切れ、真っ逆さまに渓谷へと落ちていく。
瞬間、鳴神の柄を握り締めた。
「俺が行くッ」
鞘が紫電を帯び、それが全身へと伝播する。
「彩原くんッ!?」
地面を蹴って断崖絶壁を駆け上がり、残りの魔物を始末する。
一度登った距離の分だけ助走を付け、そのまま渓谷の底を目指して加速した。
紫電の残光を引いて駆け抜け、転がり落ちる魔物を次々に躱して沼地の元へと急ぐ。
だが、紫電一閃の効果時間は長くない。
途中で紫電が途切れ、速度が落ちる。
「くそッ、まだやれんだろ!」
猿の魔物がそうしていたように急斜面を滑るようにして上半身を安定させる。
鞘を握り締め、鳴神を納刀し、再びスキルを発動する。
「紫電一閃」
再び鞘に紫電が宿り、全身に伝播した。
肉体は再び紫電と化して加速し、行く手を阻む岩や魔物を切り裂いて、沼地へと手を伸ばす。
「届いたッ!」
手を掴み、手元に抱き寄せ、確保する。
だが、その頃には渓谷の底が視界に入る距離まで落ちていた。
紫電一閃も再び効果が切れようとしている。
このままだと地面と激突して木っ端微塵だ。
「一か八かッ」
斜面を強く蹴って跳び、大跳躍を見せる。
高く跳び、紫電一閃の効力が掻き消えた。
そうしてスキルを発動し、新たな魔法を唱える。
「上級風魔法」
巻き上がるは竜、竜巻。
風の渦が天に逆巻いて、落下の勢いを軽減する。
竜巻の中を落ち、そして背中から地面に叩き付けられた。
「げほっ、げほっ……はぁ……信じられないな、まだ生きてる」
全身に鈍い痛みが走っているが、どうにか生きてる。
渓谷の底から見上げた空は、いつもより狭く見えた。
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