変装
日が傾きはじめた頃合いで、ようやく一同は山を抜けた。
もうあと十数分も歩けば、目的の街である。どうにか今夜の野宿は免れそうだ。
アーリアは、よし!と後ろの二人へ振り向いた。
「それじゃ、殿下には一旦幻術をかけますね」
「ぜぇ…ぜぇ……は……え?」
膝に手をついて、息も絶え絶えなレインハルトが、アーリアの言葉に反応して顔を上げた。
シンに肩を借りることを固辞して歩ききったあたり、まぁよくがんばりましたと言えなくもない。ほんの少し。言わないが。
「万一何かあってそのマントが脱げたら、完全に全裸ですからね。はためいただけでも、中が見えれば一発アウト、変態です」
おめでとうございます。
「……お前、本当に遠慮なくなったよな……」
レインハルトが遠い目で呟く。シンは隣で苦笑いだ。
「不敬罪になります?」
「いや、いい…」
すでに、昨夜逃げる段階で言葉は崩れていた。(一々「逃げますわよ!」とか「飛びますわよ!」とか言ってられない)
これまで公爵令嬢としての態度を貫いてきたが、婚約も解消されることだし、時期王妃のお役目も御免、「正直もういいんじゃね?」というのが本音である。
レインハルトも散々やり込められた結果か、俺様何様王太子様な態度も多少改まったし、元々アーリア以外にはそれほど横暴だったわけでもない。
機嫌を損ねてめんどくさくなるようであれば元に戻したが、そんな気配はないので令嬢の仮面は外し気味のままだ。
「だから、服と、ついでに顔も別人に見えるよう、全身幻術かけておきますね。ガルデンシア様も、騎士の姿は目立つので今は幻術をかけますが、後ほど服を買いましょう」
「わかりました」
そうしてサッと幻術を施し、レインハルトの髪と目の色をシンと同じような茶色かつ長髪に、シンには口髭をつけ、二人に平民の旅装束を着せた。
「二人は兄弟という設定にしましょう」
「お前は?」
「私は……従姉妹とか?」
「妹じゃダメなんですか?」
三人兄妹の方が旅の理由に良さそうと思ったのか、シンが不思議そうに尋ねる。
「兄妹なんだから同室でいいでしょう、とかいう流れになったらイヤなんで」
「そんなことあるのか?」
心底疑問な様子は、さすが王室育ちのお坊ちゃん。
「貴族ではまぁないことでしょうが、平民ならあり得ますよ」
通常、一人部屋よりも複数人用の部屋をひとつ借りる方がやはり安い。平民で兄妹別々なのは余程仲が悪いか、本当は血が繋がっていないか、平民の中でも商人など比較的裕福な場合か、だ。三人部屋がない宿であれば二対一にわかれても不自然ではないが、もしかしたらということもある。「三人部屋なら空いてるんですけど…」とか言われても絶対にイヤだ。っていうかレインハルトと同室がイヤだ。
裕福だと思われて変に狙われるのも面倒だし、ここは従姉妹が妥当なところだろう。
「残りの設定は道中考えるとして、ぼちぼち進みましょう。日が暮れてしまうとお店も閉まっちゃうし、宿も確保したいですからね」
「あ、ああ」
一通り説明すれば、レインハルトはまたも微妙な顔でアーリアを見るが、結局は何も言わず歩きだした。
「……なんなんです?」
つい片眉を上げ、こそっとシンへ問いかける。
「たぶん…これまでの思い込みがことごとく崩されて、混乱してるんですよ。そのうち受け入れると思います」
「?………なんだかよくわかりませんが、まぁいいです」
わぁ、あきらかに興味なさそうですね、と小さく聞こえた声は無視だ。
そのとき、少し先を行っていたレインハルトがピタっと動きを止めたかと思うと、ぐるんとアーリアを振り返りツカツカと近づいてきた。え、なに、会話は聞こえていないはずだけど、と思いつつ勢いの良さについ狼狽る。
「お、お前はどうするんだよ!」
「え、何がです?」
「髪の色だ!!」
ん?ん?どういうこと?髪の色が何?
「髪の色、変えろよ!お前の色は、その…め、目立つんだから!!」
「あー、そっか。目立ちますかねこれ。今まで大丈夫だったんですけど」
二つ結びにした髪の束を手で弄ぶと、レインハルトが目を剥いて反論した。
「当たり前だろ?!そんな、きれ………………強烈な赤は悪目立ちするに決まってる!」
悪目立ちって失礼な。ちょっと拗ねながら「あーもう、わかりましたよ」と、髪色を二人と同じような茶色に変える。
「これでどうです?」
「………もっと地味に」
めんどくさい…。さらにワントーン下げた茶色にする。
「もっともっと地味に!瞳の色も変えて、帽子も被るんだっ!」
「わかりましたよ、もう!これで、こうしたらどうですか!」
深い焦茶色の髪と目に、巾着袋から取り出したキャスケット帽。もう文句はないだろう!と、ジトっと目の前のレインハルトを睨みつけた。
「いや!まだかわ…」
「はいはい、殿下落ち着きましょうね。カトライズ様よくお似合いです、充分だと思いますよ」
モゴモゴとするレインハルトの口を押さえて、シンが間に割り込んできた。
全くめんどくさい男だ!こちとら王子と違って姿絵も出回ってない、ただ単なる普通の娘にすぎないってのに!ぷんすかぷんすかと憤って歩き出す。
そこまで気にしなくても、この平民の格好をしてれば誰も気付いたりしない、事実これまでも貴族令嬢だとバレたことはなかったんだ。
変なことに時間を食ったと、心なしか早足で街へ向かった。
「…おい、レイン。お前何言おうとしたかわかってるのか?」
「だってまだ可愛いじゃないか!あれじゃあ目立つだろ!変な男が寄ってきたらどうする!」
「…………いきなりたがが外れたな…」
「む?元々容姿が優れているとは思ってたぞ。ただ、美しいと思うことはあっても可愛いと思ったのははじめてだがな」
平然とした顔でよく言ってのける…。
そんなことをアーリアに言おうもんなら、風邪でもひいたか頭でもとち狂ったかと思われかねない。この王子様は、今まで自分が婚約者相手にどんな態度だったかわかってるんだろうか。その上、無自覚だからなおタチが悪い。
ただただ自分の格好にケチつけられたとしか思っていないアーリアの方は、少しご立腹のようだし。
ーー前途多難すぎるだろ……。
シンは思わず額に手をあて、深いため息をついた。
「全く、あいつは昔から目立つって言うのに!全然わかっていない!……なぁ、アレで本当に大丈夫か?やっぱり眼鏡とか…いっそマスクで…」
「あー、もう、いい加減にしろ!」
*
兄弟二人と従姉妹で、隣国に移住している祖父母を訪ねに行く。
最近祖父が体調を崩したと連絡があり、仕事で離れられない親たちに代わって薬を届けに行くところだ。見舞いと、今後の世話のこともある。必要とあれば祖父母揃って故郷に連れて帰らなければいけない可能性も。警護と介護のことを考えても男手は必須だ。
上の兄が、シンガル。
弟がレイン。
「私のことは、アリーもしくはリアと呼んでください」
「あ、あああありー」
「アリーですね、じゃあそっちで」
レインハルトがぽっと顔を赤くする。惚けた表情だが大丈夫だろうか。
「あ、愛称……」
「おいレイン、顔戻せ…」
二人がコソコソやり取りするのはもう見慣れたもので、気にしないことにする。
「関係上、敬語もなしということにしますが、よろしいですか?特に殿下」
「あ、ああ!問題ない!シンは元々二人のときは敬語ではないし!お前……ア、アリーもそうしてくれ!」
今度はパァッと明るい返事が返ってきた。シンの方はといえば、少し戸惑った様子だ。
「俺は、カトラ……アリー、に対して話す方が難しいで….…な」
「見事にぎこちないですね」
「すみません」
しょげる姿は少し可愛い。やはり大型犬が耳を垂らしているようだ。
「ふふっ……まぁ、少しずつ慣れればいいよ、行こ!」
「「!!」」
思わず笑みを溢してそう言うと、言葉に反して二人は固まってしまった。いっこうに動かないので、「いや、だから、行くよ?」と念押しすると、「は……い…」と小さく返事をしてなんとか再起動がかかる。だから敬語をやめれと。てかレインハルトまで敬語なのはなぜだはじめて聞いたぞ。
なんだか変な二人に首を傾げているうちに、街の騒めきが聞こえてきた。
とりあえずの設定は以上として、早速男物の服を探しに行く。
結局、適当な頃合の店で、シンプルな襟付き白シャツと紺のズボンをシンに、明るめの青シャツと黒のズボンをレインハルトに着せ、その場で会計して着たまま出た。ついでに何着か変えの服と上着も購入する(あわあわする二人を叱咤して下着も買った)。
「財布別にするとあとが面倒だから、とりあえず私がだすよ。レイン、事が済んだら全部あんたに請求するからね」
「レ……レイン……」
自分の名前をくり返して、胸が苦しいなんだこれは、と心臓を抑えるレインハルトの背中を、シンが至極残念そうにさすった。
そんなに心配しなくても平民価格だから断然安いのに。
服屋をでたら、日用品店、食料品店と様々はしごだ。もうすっかり日は暮れ、だんだんと店も閉まりはじめる。
そのうちに素朴だが綺麗そうな宿屋をみつけたので、今夜はここでどうですかと尋ねれば、否は返ってこなかった。
「二人部屋と一人部屋、計二部屋ですね、大丈夫ですよ。夕飯と朝食はお付けしますか?」
「お願いします」
「では、こちらの時間帯であればいつでも構いませんので、奥の食堂にいらしてください。食堂に入ったら、この食事券を係りの人に渡してくださいね」
差し出された案内には、夕食の時間、朝食の時間、チェックアウトの時間、その他注意事項などが記されている。食事券は六枚。朝夕三人分ということだろう。
とりあえず一泊分を支払い、部屋鍵を受け取った。
「階段登って二階、突き当たりを左です」
「わかりました、ありがとうございます」
その間、レインハルトが物珍しげにキョロキョロするので気が散って仕方なかった。
割りてられた部屋前までくると、今度は「ととと隣なのか?!」とまた騒ぎだす。もうこの坊ちゃん誰か早く引き取ってほしい…。
「ちょっとしたら部屋ノックするから、夕飯食べに行きますよ。えーっと、三回ね」
手でコンコンコンとノックするジェスチャーをとると、意図が伝わったシンが「わかった」と頷き、動揺しているレインハルトを部屋へ押し込んでいった。
アーリアもそれを見届けるとドアを開き、「はぁぁあ」と息を大きく吐きながら清潔なベッドにうつ伏せで倒れる。
ちょっと休憩したら隣をノックしなければならない。
「……疲れる」
やっと一人になれたので本当は今すぐ寝たいくらいだが、ぐきゅるるるると正直なお腹が鳴った。