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   *


「いらっしゃいませ!」

 季節外れの笑顔とともに、聞き覚えのある声が正義を迎えた。

 この前と変わらずの夏色スタイル。レジカウンターの内側にいたのは、夏子さんだった。

 買い物カゴを片手に、その夏色店員の前を通り過ぎる。

 店内には正義の他に客はいなかった。

 客だけでなく、休憩中なのか、店員の方も夏子さん一人だけだった。

 然して広くない店内に、自分と夏子さんだけ。そんな二人きりの状態に、正義はなんとなく居心地の悪さを感じた。

 どこか落ち着かなくて、ろくに商品を選ぶこともせずに、さっさとレジへと向かう。

 それでも、トマトジュースはしっかりとカゴの中に横たわっていた。

 二度目の「いらっしゃいませ」を言うと、夏子さんは手慣れた様子で商品をカゴがら取り出していく。

 正義だけでなく、夏子さんの方も彼と麻理亜のことを覚えていたらしい。

「妹さんは元気ですか?」

 最後にトマトジュースを手にすると、夏子さんは顔を上げ言った。

 突然の問いに、正義は上手く反応できなかった。

 そもそも麻理亜は正義の妹ではない。

 そのこともあり、正義は「あ、うん……まあ」と、曖昧な感じの返答しかできなかった。

 それでも、夏子さんは元気だという風に受け取ったらしい。

「そうですか。じゃあ……」

 レジスターの横に置かれた箱から、ソフトキャンディーを一つ抜き取り、

「これ、妹さんに。オマケです」

 と、にっこり笑って、夏子さんはトマトジュースと一緒にそれを袋に入れた。

「えっ……。あの、だけど……」

「いいんですよ。うちの親も時々やってますから」

 戸惑う正義に、笑顔を崩さずに夏子さんは言う。

「うちの親?」

「ええ。この店、うちの両親がやっているんです。そうでもなきゃ、私なんてバイトじゃ使ってもらえないですよ」

 夏子さんは、爪のネイルアートを正義の方へ向けた。今日もこの前と同じで、つけ爪には向日葵のイラストが施されている。

「確かに……そんな感じじゃ、コンビニじゃ敬遠されるかもね……」

 自分のアルバイト先のCD屋なら、何も言われないかもしれないけれど……。

 正義は、本当か嘘か、元バンドマンだったという、店長の顔を思い浮かべ思った。

「それでも、やっぱり昼間には店には立たせてもらえないですけどね。こういう夜遅くにしか……だいたい今頃から、夜中の2時くらいまでが私の担当なんです」

 夏子さんの言葉に、正義は彼女の後ろの壁に掛っている時計に目を遣った。

 時計の針は、11時過ぎを指していた。

「でも、それじゃ次の日が辛いだろ? 君って、まだ高校生だろ?」

「いいえ、全然。私ってもともと夜更かしな方だし。それに……私って今、夜更かしが許されている身分なんです」

「夜更かしが許されている身分……?」

 ……なんだ、それ?

 正義は微かに首を傾げた。

「私、高校生っていっても、高三ですから」

「ああ……卒業式まではあまり学校に行かなくてもいい、ってわけか」

「はい、そういうことです。だから、授業中の居眠りの心配もなし!」

 言って、夏子さんはまた微笑む。

 よく笑う娘だ。その笑顔を正義は羨ましく思う。

 ……自然な笑顔。コンビニ店員のエプロンを身に着けているのに、彼女の笑みは決して営業用のスマイルじゃなかった。

「それに私、これでも結構優秀なんですよ」

 ちょっぴり自慢げに、夏子さんは言う。

 どうやら、夜更かしが許されている理由はもう一つあるようだ。彼女の言葉からすると、高校三年生の大きな懸念の一つ──進路の方も既に決定しているのだろう。

 成績優秀ということは、進路は大学進学ということなんだろう。

 正義がそれを問うと、夏子さんは「はい!」と胸を張り、この辺りでは名の知れた大学名を口にした。

 それは正義の通う大学でもあった。

 そのこと言うと、

「ええーーっ! そうなんだ!」

 夏子さんは大きな声を上げた。

 まるで何か大発見でもしたかのような反応だ。

 たかが同じ大学というだけのことなのに。

 どうして、そんなにオーバーなリアクションが返ってくるのか。

 通う大学が同じことくらい……そんなの、何でもないことじゃないか。

 夏子さんの反応は、正義には理解しがたいものだった。

 はしゃいだ調子で、夏子さんは、次から次へと大学についての質問を正義に繰り出してくる。

 正義の方は、それに淡々と答えていく。

 質問の中に、「学部は? 学科はどこですか?」というものもあった。

「文学部の日本文学科だけど……」

 答えると、夏子さんは歓声めいた声を上げて言った。

「じゃあ、先輩だ!」

 正義と彼女は、専攻の所属学科まで同じだったらしい。

 それから、夏子さんは、正義のことを「お客さん」改め「先輩」と呼ぶようになった。

 ……先輩。

 呼び慣れない呼称に、戸惑いを覚える。

 中学高校とずっと帰宅部で、大学でも正義はどこのサークルにも属していない。

 おまけに、人付き合いも悪い方だ。

 そんな訳だから、「先輩」なんて呼び名は、今まで正義とは無縁のものだった。

 先輩に……お兄ちゃん……。

 これまで、ろくにあだ名でも呼ばれたことがないっていうのに……。

 なんだか……奇妙な気分だった。

 高梨と正義。自分を表わすものは、それだけだと思っていたから。あとは、せいぜい大学での記号、「学籍番号○○の学生」というやつくらいだと……。

 夏子さんと話しながら、正義は改めて実感する。自分にはやっぱり、「当たり前」や「人並み」が欠けているんだな、と。

「──先輩」

 そう呼ばれることに対する違和感は、消えなかった。どうしても、しっくりこない。

 でも、嫌な感じはしなかった。違和感は感じるけれど、「先輩」と呼ばれることに不快感はなかった。

「あ……」

 不意に、夏子さんのオレンジ色の唇が動きを止める。

 と、店内が静かになった。

 数歩分の足音が聞こえた後、「こらっ!」という声が耳に届いた。

 悪戯を発見された子供ような。夏子さんは、少しばつの悪そうな顔をしている。

 振り返ると、やや中年太りといった感じの男性が、こちらにやって来るところだった。

 その中年男性も、夏子さんと同じデザインのエプロンをしている。正義に会釈すると、夏子さんの方へ振り向いた。

「おまえはまた、お客さんを引き止めて……」

 少し怒ったような、呆れたような口調で男性は言う。

 けれど、その言葉に含まれた響きは優しい。

 きっと、この男性が店長で、夏子さんの父親なんだろう。

「どうも、すみませんね」

 男性が正義に頭を下げた。

「こいつ。暇だとすぐに、お客さんを捕まえて、話し相手にしてしまう癖があって」

 ──迷惑だったでしょう?

 と、言われても、「はい」とは答えにくい。

「あ、いいえ……。別にそんなことは……」

 正義は軽く首を横に振った。

 実際、迷惑だとは思っていなかったし……。

「その……結構楽しかったですよ」

 正義のその言葉に、夏子さんは父親に向けて勝ち誇ったように微笑む。

 その笑顔に対し、父親の方も「仕方ないなぁ……」という感じで苦笑する。

 なんだかんだ言いつつも、目の前の男性は、娘に甘いタイプの親父さんらしい。

 ここに夏子さんの母親が加わったとしても、おそらくこの雰囲気は崩れないことだろう。

 いまどき珍しいくらいの……良好な親子関係と言っていいだろう。それは、正義には無縁だったものだ……。

 夏子さん親子の様子に、正義は心に微かな痛みを感じた。それが、もっと大きくなりそうな気配がした。

 店内が……自分のいま居る空間が、ひどく居心地の悪いものに変化していく。

 ……ここにはもう居たくなかった。

 一刻も早く、この場所を……二人の前から去りたかった。

 正義は「それじゃあ」と二人に声を掛けると、さっさと自動ドアへと向かった。

「ありがとうござました!」

「またどうぞ!」

 息のぴったり合った二つの声が、自動ドアが開くと同時に、正義の背中に掛かった。

 それがまた、正義の痛みを誘う。


 それは、本当に心からの言葉だった……。

『……アリガトウゴザイマシタ』

 ……正義の心のこもらない〈台詞〉とは、全然違う。

『マタドウゾ』

 自分の〈呪文〉とは似ても似つかない……。

 同じ言葉なのに……。

 夏子さん親子の言葉は、とても明るい響きと温かさを持っていた。


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