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   *


「ねえ、先輩……」

 夏子さんが静かに呼びかけてきた。

「はっきり言わせてもらえれば、先輩は自分勝手だと思いますよ」

「…………」

「誰もいないって、それって、先輩が勝手にそう思っているだけじゃないんですか。どうして、誰もいないって言い切れるんですか?」

「それは、本当に誰もいないからだよ」

 正義は即答した。

「だから……どうして、そうなるんですか」

 夏子さんは、呆れたようにため息を吐く。

「そんなの、先輩が一人でそう思っているだけのことでしょう。勝手な決めつけです」

「決めつけなんかじゃないよ。言っただろう、僕には家族も親友も、誰もいないって……」

 いないものは……いないのだ。

 それは誰よりも、本人が一番よく分かっている。

「……まあ、本人が言うんなら、それは事実としましょう。だけど、だからって、おかしいですよ。どうしてそれが、『悲しむ人がいない』ってことと、そんなに簡単に結びついてしまうんですか? 先輩が気づいていないだけで……あなたのことを見ていてくれる人が、いるかもしれないじゃないですか」

「…………」

「もしかしたら、先輩に好意を抱いてくれている人だって、いるかもしれないですよ。ううん、絶対にいると思うな。先輩って、すごくカッコいいから」

 夏子さんが微笑んで言う。

 ただ、すぐに慌てたように付け加える。

「……あっ。でもだからって、違いますよ! 私が先輩に恋してる、とかってことじゃないですからね。そこは誤解しないでくださいね」

「ああ……うん」

 ここは返事をしておいた方がいいと思い、正義は頷いた。

 それを見届けて、夏子さんの方も「はい、よろしい」という感じで頷き返す。

 そして、正義がお説教と感じているものが再開される。

「それに、枷……それって何ですか? 違うでしょう、先輩。枷だなんて、絶対に間違ってますよ! そんな表現は絶対にダメです!」

 どうやら、夏子さんは語り出すと熱くなるタイプらしい。

 力を入れて訴えてくる彼女に、正義は訊ねる。

「だったら、なんて言えばいいんだい?」

「そんなの決まってるじゃないですか! 絆です! 枷なんかじゃくなくて、絆。これ以外に何があるっていうんですか」

「……絆」

「そうです、絆です」

 なるほど……絆か。確かに……枷なんかじゃないな……。

 なんだ……とっても簡単な表現じゃないか。

 こんな単語一つ出てこないなんて……。

 たった漢字一文字の、表現の違い。

 けれど、それだけでは済まされないだろう。

 人との繋がりを、「枷」と表現してしまう自分……。

 その辺からしても……まともじゃない。

 やっぱり、自分には大きく欠けているものがあるようだ。

 ……自分の心の中にある、大きな空洞。空ろ……。

 正義は、それを垣間見たような気がした。

 その空洞は、これからもっと広く大きくなっていくことだろう。

 このままだと、いずれ、自分はそれに飲み込まれてしまうかもしれない。

 ……絆。枷ではなく……絆。

 認識が一つ変わったところで、他に何かが変わるわけでもない……。

 ……何も良くはならない。

 いや、却って悪くなった……。

 また一つ、自分の欠落に気づかされてしまった。

 絆……人と自分を結びつけるもの。

 それは、人として大切な土台の一つだと思う。

 それが……ない。どこを探しても、自分の周りには絆なんてない。

 あるのはただ……。

 店長とバイト。教授と学生。

 そんな無味乾燥な人間関係だけ……。

 そして。隣に座る少女とも。

 コンビニの店員と客……。

 と、それだけの関係だ。

 ……繋がってはいる。

 けれど、結ばれてはいない。

 どれもこれも、なんとも弱々しくて。

 どこまでも淡く、希薄……。

 いつでも簡単に、切れてしまう。

 待つほどの時間もかけず……自然消滅だってできてしまうだろう。

 薄っぺらな繋がり。絆なんて呼べるものじゃない。

 ……欠落している。

(僕には……たった一つの絆もない)

 やはり、自分は人としては失格のようだ。

 たとえ、それが自殺行為に等しいものだとしても……。

 自分には、吸血鬼の方が……。

 正義の心は、暗い闇の世界へと向かおうとする。……落ちていこうとする。

 けれど、「先輩!」と夏子さんが正義を呼ぶ。その声が正義を引き止めた。



「大丈夫ですか、先輩! しっかりしてください!」

 ……自分に掛けられた声。

 どこか切羽詰まったような響き。

 それが、正義を元の場所へと引き戻す。

 周りの景色が回復していく。

 夏子さんの姿が、しっかりと像を結ぶ。

「……よかった」

 夏子さんがほっと息を吐いた。

「びっくりするじゃないですか、いきなりトリップなんてしないでくださいよ」

「……トリップ?」

「ええ、そうですよ。人と話している時に、どこかへ行っちゃうなんて失礼ですよ。でもまあ、そこまで自分の世界に籠もれちゃうなんて……それはそれで、凄いと言えば凄いですけど」

「…………」

 また悪い癖が出てしまったらしい。

 考え込むあまり、自分は夏子さんを思いっきり、ほったらかしにしてしまったようだ。

「ごめん」

 正義は謝った。

「どうせ、今度は『自分には絆がない』とかって、落ち込んでいたんでしょう。で、結局また、悲しんでくれる人がいないとか……。でも、さっきも言ったように、そんなのは勝手な決めつけですよ」

「…………」

「……って言ったって、先輩は納得してくれそうにはないですよね……」

「うん、悪いけど……できないと思う」

 申し訳なさそうに、けれど正直に正義は答えた。

「……そうですよね。わかりました……じゃあ、こうしましょう! 私が先輩と絆を結んであげます!」

「へっ……」

 ……絆を結んであげます、って。

 いったい、何を言い出すのか。

「だって、先輩。いくら口で言ったって、分かってくれないんでしょう? だったら、そうするしかないじゃないですか」

 ……どういう理屈だ、それは。

 筋が通っているようで、何も通ってない。

 無茶苦茶を通り越し、滑稽ですらある。

「……ということで、握手です」

 言って、夏子さんは正義の方へ手を差し出した。

 5本の指の先。今夜も、そこには季節外れの向日葵が咲いていた。

 正義は、差し出された手と夏子さんの顔の間で、視線を行き来させた。

「これが……絆を結ぶこと? こんなことで絆が結べるっていうのかい?」

「いいえ、ダメでしょうね。絆を結ぶって、そんな簡単なことじゃないですよ」

 夏子さんはあっさりと否定した。

「だけど、そのスタートラインには立てると思いますよ。絆を築いていくための、第一歩。それには十分だと思いませんか?」

「絆を、築くための……第一歩」

 ……絆を築く。そうだよな……そんなの当たり前のことだよな。

 リボンとリボンみたいに、簡単に絆なんてものが結べるはずがない。

 それなりの時間を掛けて……。

 ……築いていく。

「ねえ、先輩。怖がっていたら、絆なんてどこからも生まれてきませんよ」

 手を差し出したまま、夏子さんは言う。

「絆を手に入れたいのなら、自分の方からも、しっかりと前へ踏み出さないと……。逃げてちゃダメですよ」

「…………」

 ……怖がっている。

 そうなのか、僕は怖がっているのか?

 吸血鬼になるか、ならないか。そんなことを悩む以前に、自分は既に……逃げていたんだろうか。

 求めながらも、逃げていた……。

 正義は手を広げ、自分の掌を見た。

 掌の真ん中に黒子のある右手は、小刻みに震えていた。

 それは、たぶん……寒さのせいだけではないだろう。

 心なしか、自分の鼓動が速くなっているような気もする。

 なにか……落ち着かなかった。

 きっと、そういうことなんだろう。

 ……それが答えなんだろう。

(……前へ)

 しっかりと……。

 正義は、夏子さんの方へと手を出した。

 そして……。

「よろしく」

 自分から夏子さんの手を握った。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 夏子さんが微笑み、彼女の手にも力がこもった。


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