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   【7】


 ……説明なんてできるはずがない。

 正義は困ってしまった。

 まさか……本当のことを言うわけにもいかない。

 ──吸血鬼になるか、ならないか。

 その結論がどうしても出せなくて……。

〝……吸血鬼になる決心がつかなくて〟

 そんなことを口にすれば、それそこ本当に不審人物だ。

 だからといって、このまま無言を通すのも無理だろう。

 ただの興味本位、自分の好奇心を満たすためだけの質問。それとは違う。

 夏子さんは、野次馬根性で訊ねてきているわけじゃない。

 彼女はじっと正義を見つめている。答えを待っている。

「…………」

「…………」

 時間稼ぎをするつもりで、正義は手に持った肉まんを口に運んだ。

 ……美味しかった。

 少し冷めかけてはいたけれど、それはまだ温かかった。

 その温かさに、心の中で張り詰めていたものが少しだけ弛む。

 そのせいか、腹の虫が大きな音を立てた。

 夏子さんが、くすりと笑う。

 ……空腹感。

 たったひと口の肉まんが、人としての基本的な感覚を呼び起こしてくれた。

 それが、食欲という名の欲求へと変わる。

 ゆっくりと、時間を掛けて食べるつもりだったのに……。

 空腹感とその美味しさに、正義はあっという間に肉まんを食べ終わってしまっていた。

 ろくに時間稼ぎにはならなかった。

 けれど、既にその必要はなくなっていた。

 正義は話す気になっていた。

 もちろん、すべてをそのまま話すつもりはないけれど……。

 ……夏子さんに話を聞いてもらいたい。

 なぜか、そういう気持ちになっていた。

「どこか……遠いところへ行きたいと思ってね……」

 正義はゆっくりと語り始める。

「誰も僕のことなんて知らない。まったく見も知らぬ場所……そんなところに行こうかなって……」

 まるで……詩でも朗読するように。

 どこか歌うように優しく……。

 正義は静かに言葉を紡いでいく。

「そこで、ひっそりと生きようと……。なのに……どうしても決心がつかなくて。とても行きたいのに、行けないんだ……」

「…………」

 口を挟むことなく、夏子さんは、正義の独白めいた言葉に黙って耳を傾けている。

「なんでだろう……僕には何の枷もないのに。恋人もいなければ……親友って呼べるような奴もいない……。なのに、どうして踏み出せないんだろう……」

 言葉を紡いでいるうちに、いつしか、正義の手は膝の上で固く握られていた。

 喧嘩をする時でさえ、そんなに強くは握らないだろう。それくらい、両方の拳は固くなっていた。

「……誰もいない。僕がいなくなったからって、悲しむ人間なんていないのに。両親も、兄弟姉妹も……僕には家族もいないから……。誰も……」

「ちょっと待ってください!」

 そこでやっと、夏子さんが口を挟む。

「家族がいないって、いるじゃないですか」

「えっ……」

「妹さん。先輩には、とっても可愛い妹さんがいるじゃないですか」

 わずかに怒りを滲ませた口調で、夏子さんが言った。

「ああ……あの娘は違うんだよ。麻理亜は知り合いの子で、ちょっと事情があってね……頼まれて少し預かっているだけなんだ」

 そんなでたらめが、自分でも驚くくらいすんなりと口から出た。

 言い終えたとたん、いったい何に対してなのか、心に小さな痛みを覚えた。

 けれど。その痛みを無視し、続ける。

「だから、違うんだ。……僕には家族はいないんだ。恋人も親友も……僕が遠くへ行ってしまったところで、誰も悲しむ人間はいないんだよ。……僕には枷がないんだよ」

 ただそこにあるだけの存在……。

 そんなものが消えたって……誰も困らない。

 それでも、いなくなれば……少しは違和感を感じてくれる人はいるかもしれない。

 だけど、誰も……探そうとまではしないだろう。

 ……自分はそんな存在だ。

 いや。それはある意味、存在していないとも言えるのかもしれない……。

「そんな僕が消えたって……」

 ……消えてしまったって。

 誰も、自分を責めたりはしないはずだ。

「僕には枷がないから、遠くに行ったって……。自由にどこにでも、行けるはずなのに……どうしても決心がつかなくて……」

「それって……」

 夏子さんの声が再び、正義の独白もどきを遮る。

「まるで、自殺みたい……」

「へっ……」

 自殺、じさつ……。漢字二文字、ひらがななら三文字。

 突然登場したその単語に、正義の握られた拳が弛む。

「いま先輩が話していることって……まるで自殺のことみたいですよ」

 心配げな眼差しが正義を見つめる。

「まさか、先輩……本当に、自殺しようとか思っているんじゃないですよね?」

 ……自殺。……そうなのか? 

 そんなこと、思ってもみなかった。

 吸血鬼になるということは……そういうことなのか。

 吸血鬼になれば、自分はもう人間じゃなくなる。たとえ、同じ「高梨正義」の名前を持っていても……人間とはいえない。

 ……人間じゃなくなる。

〝吸血鬼になれば、人としての悩みや苦しみからは解放されるよ〟

 麻理亜は「解放」という言葉を使った。

 けれど、夏子さんは「自殺」みたいだと言う。

 そういうことなのか……。解放は、同時に自分の死、自殺でもあるから。だから、自分は……躊躇っているのか。

 それを無意識の内に感じとっていたから……決心ができなかったんだろうか。

 ……わからない。

 ……自殺するつもりなんてない。

 吸血鬼になること、それは一種の「逃げ」だとは思うけど……。

 決して、自分を「殺す」つもりなんてなかった……。

 だけど……夏子さんは「自殺」という言葉を使った。

 僕の話を聞いて……。

 自殺みたい、と表現した……。

 いったい、僕は……。

 正義は、ますます分からなくなってしまった。


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