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01


   【1】


 ……暑い。

 深夜のコンビニの店内は、暖房の吐き出す人工的な熱気に満ちていた。

 それは快適を遥かに通り越し、不快指数の上限を極めたような暑さだった。

 ブルゾンの下、重ね着をした衣服の下で、全身の汗腺が不快感を訴え続けている。

 けれど。正義の前に立つギャル風の店員は、涼しげに手を動かしている。

 かなり明るめの、ほとんどオレンジに近いような、ライトブラウンの長い髪。形の良い唇に塗られたリップの色は、こちらは文句なしにオレンジカラーだった。

 自分を包む不快な暑さと目の前の少女を彩る鮮やかな色彩に、あたかも今が夏であるかのような錯覚を覚えてしまう。

 正義は心の中で秘かに、ギャル風店員に「夏子さん」なんていう、なんとも安直なあだ名を与えた。

 レジカウンターに置かれた買い物カゴの中から、500ミリリットルの牛乳パックが消える。

 ──ピッ。

 100円。

 バーコードが読み込まれ、レジスターに商品の値段が表示される。

 続けて、ミネラルウォーターのペットボトルがカゴから消えた。

 ──ピッ。ピッ。ピッ。ピッ。

 手際よく次々と品物が消えていき、ポテトチップスの大袋がなくなると、カゴの中が淋しくなってしまった。

 残っているのは、鮭おにぎりが2つにミックスサンドだけ。

 ──どん!

 突然、脇から真っ赤なペットボトルがカゴの中に飛び込んでくる。

 なっ……なんだ!?

 驚きを整理する間もなく、第2撃、2本目のペットボトルがカゴを強襲する。

 第2撃はミックスサンドに直撃していた。

 ミックスサンドは、ペットボトルの下敷きになってしまっている。

「あ、ああっ……」

 その憐れな光景に、正義の口から思わず情けない声が漏れる。

 ただただ呆気にとられるばかり。

 そんな正義の耳に、

「お兄ちゃん、それも一緒にお願いね」

 と、どこか甘く幼く響く声がひょいと飛び込んでくる。

 その声に振り向くと、赤いランドセルを背負った見知らぬ少女が、正義の隣で微笑んでいた。

 無邪気な笑顔……。そこからは何の邪気も感じられない。

 その表情が、より正義を困惑させる。

「可愛い妹さんですね」

 正義の戸惑いも知らず、「夏子さん」は彼と少女を見比べて優しげに微笑む。

 ………………。

 そして……。

 季節外れもいいところ、小さな向日葵のイラストが爪に描かれた指が、2本のトマトジュースを取り上げた。

 ──ピッ。



 コンビニの外は一転、まさしく冬だった。

 ひどく寒かった。

 肩より少し長めの髪が、寒風にはらはらと揺れている。

 誘蛾灯の下、青くペイントされたベンチに座る少女。その少し大きめの瞳が、正義を見上げている。

 おそらく、小学校の高学年、5年生か6年生だろう。

 道路を挟んでコンビニの向かい、小さな児童公園で、正義は正体不明の少女と向かい合っていた。

 確かに器量の良い女の子だった。

 可愛い、と。コンビニ店員の夏子さんが言った通り、その短い響きが目の前の少女にはよく似合っている。

 大人の階段を上り始めたばかり、今はまだ幼くて可憐な印象が強い。けれど、整った顔立ちが、その奥に潜んでいるであろう未開花の美貌を容易に想像させてくれる。

 可愛いから、美しく綺麗へ。

 あと5、6年……それくらいの時が経てば、モデルかアイドルか、少女はきっと評判の美少女に成長することは間違いないだろう。

 そんな愚にもつかない事を、芸能スカウトマンのように正義は思った。

 目の前の少女が可愛いことは否定しない。

 けれど……。だれだ……?

〝可愛い妹さんですね〟

 ……違う。少女は妹なんかじゃない。

 この世に生を享けてから20年あまり。正義はただの一度も、誰かの「お兄ちゃん」だった経験なんてない。

 妹どころか、弟も、兄も姉も……。正義には兄弟なんていない。

 兄弟姉妹なんて、正義には最も縁遠いものの一つだった。

 そして、これからも、そのことに変わりはないだろう……。



 それにしても……寒くはないんだろうか。

 正義は、少女の格好に思う。

 この寒風の中、少女はノースリーブのワンピース1枚という出立ちだった。

 見ているこちらの方が、凍えてしまいそうな気分になってくる。

 暦の上では立春を過ぎているとはいえ、今はまだ2月、如月なのだ。冬の寒さは厳しさを誇っている。今朝は雪だって降っていた……。

 なのに、少女はワンピース一枚で、平然としている。身体を震わせることもなく、まるで寒さなど感じていないかのように。

 ただ静かに。一言の声も出さず、正義の顔を見上げている。

 自分を見つめる二つの瞳。それが、なぜか正義を誘う。何へと誘うのか、それは分からないけれど。強く、とても強く……。

 このままだと、どこか得体の知れない処へ吸い込まれてしまいそうだった。

 ……真っすぐな漆黒の呪縛。

 強く……真っすぐな縛めの眼差し。

 けれど……。



 ……違う。強さじゃない。

 正義は気づく。いま、自分を縛めているものは強さなんかじゃない。反対だ。

 強さなんかじゃなくて、まったく逆のモノ。少女の瞳の奥に隠された……儚さだ、と。

 少女の持つ儚さ。自分が惹かれたものは、それなんだ。

 なぜか、ほっとした。

 ……縛めがほどけていく。

 正義の口から、静かに白い吐息が零れた。


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