13
「春休みにはひとりで旅行しようかと、考えてるんだけど」
「どうして?」
家に帰り母さんと一緒に夕食を食べる。母さんと一緒に食べる食事は紙を食べてるように味がしない。
カルトおすすめの謎の豆入りごはんは、それほど悪く無いのだが、歯応えあって顎が丈夫になりそうだ。
母さんは料理にほとんど調味料を使わない。これもカルトの教え、色の濃い調味料を使うと精神も染まるということらしい。高血圧にはいい食事なんかもしれん。
家には醤油もソースも無いもんな。カルト御用達の謎のナンプラーもどきはあるが、何が入ってるか解らんので使いたくは無い。
夕飯を食べながら春休みの予定、ひとり旅がしたい、というのを言ってみた。
「ひとりでいろいろと考えてみたいな、と」
「今の明日太がひとりで考えたところで、正しい答えなんて解らないじゃない」
母さんは薄味の野菜炒めに酢と謎のナンプラーもどきをかけてモリモリと食べながら言う。
「今の明日太じゃひとりで悶々としても、邪念に惑わされるだけ。真理を見付けたいなら精神の格を上げないと」
相変わらずの精神論だ。邪念だらけってのは認めるとこだが。真理ってなんじゃらほい。
「だったら家で規則正しい生活をして、お経を唱えなさい」
まぁ、こんなものだろう。だが、俺がひとりで旅行をしたい、というのはこれで伝わった。
あとは書き置きでも置いてこの家を出ればいい。
人格の入れ替わりが上手くいけば、この家に戻ってくる新しい俺は、母さんとも上手くやっていけるだろう。
仕込みはこれでよし。話し合い? そんなものは会話の通じる相手とするものだ。
気軽に会話のできる友人というのは、本当に貴重な存在だと、しみじみ思う。
念のために父さんにも電話。
「とゆー訳で、母さんは俺の旅行に反対してる。黙ってこっそりひとり旅するつもりなんだけど、その間、母さんが父さんの方に連絡するかもしれない」
「おいおい、勘弁してくれ明日太。俺はアイツと話はしたくない」
「そうは言っても母さんを説得するのは不可能だ。俺だって家出をするつもりでも無いから、新学期までには家に帰るよ」
「まったく、めんどうだ」
「俺だってあの家で母さんと二人で息が詰まりそうだ。少しは息抜きさせて欲しい。残りあと1年、問題無く過ごすためにも。父さんだって実家で妻と息子が殺傷事件とか、起きた方がめんどうだろ」
「まーな。まったく、アイツに関わらなければ俺の人生、安泰だったのに」
そいつは、父さん、あんたに人を見る目が無かったってことだ。ホント、なんで結婚して子供まで作ったんだよ、あんたら。
世の御家族もみんなこんな苦労をしてんのかね。
ヤマねーちゃんとこの親よりはマシなんだろうけれど。
3学期も終わり卒業式に。とは言っても俺は2年生から3年生への進級だ。卒業するのを見送る方だ。
それでもある意味、これまで八巻明日太として現実世界で生きてた人生から卒業して、『Beyond Fantasy memories』のトモロになるわけで、俺も卒業式か?
部活もやってねーから、同じ学校の先輩の知り合いとかいなかったハズなんだが、肩幅広いがっしりした先輩と話をする。
「こんなおもしろい後輩がいるって知ってたら、もっと早くに会いたかったぞ」
この先輩も人間アバターだ。男で空手部だと。
「先輩、これから長い付き合いになりそうじゃないですか」
先輩なんで、いちおう敬語。先輩が同級生と肩を組んでるのを頼まれて写真に撮ったり。
この先輩は大学に進学するらしい。その大学で見込みのありそうなのを、ゲームに誘うのだろう。こうして人間アバターは着実に増えていく。
先輩が俺にこっそりと。
「向こうの俺ともよろしくやってくれ」
そういう言い方になるのか。そっちこそおもしろい先輩だよ。
振り替えると道真も重盛も卒業生と話をしていた。
待望の春休み。俺の新たな人生のために、新しい人生を初めるために。
書き置き残して家を出る。新学期までには戻るので、暫く自由にさせて下さい、と。
そしてヤマねーちゃんのアパートに泊まり込み。人格上書きのために、1日6時間のフルダイブ。
「む、うー」
「あ、起きた」
ヤマねーちゃんが俺の頭のヘッドギアとゴーグルを外してくれる。見ると、コレキヨ、じゃなくて平がいる。
「平、来てたのか」
「おう、おじゃまー。で、トモロはどんな感じ?」
「あー、頭が重い、クラっとする」
ヤマねーちゃんが俺の耳に体温計をあてて熱を計る。
「頭痛と発熱は我慢してもらうしか無いけど、吐き気はある?」
「それは無い。脳になんかするから体調も悪くなんのか」
「もとの人格を押し込めて新しい人格を入れることに身体が抵抗しちゃうのか、そうなっちゃうのよ」
ある意味では今の俺が精神的に死ぬ、とも言える訳で。向こうの俺が元気に楽しく生きられるっていうならそれでいい。
「平もこんな感じだったのか?」
「俺ら全員そうだぜ。『Beyond Fantasy memories』の裏面で楽しくやってる奴らを見て無けりゃ、止めてたかもな」
「辛くは無いが、なんかボンヤリするなぁ」
「そのうち慣れるって」
平がポイと投げるものをキャッチする。頭痛薬の白い錠剤だ。
「しっかし、トモロが幼馴染みのおねーさまとこっそりと同棲なんてな。なんだよ、巨乳恐怖症とか言ってたじゃねえか」
「それはマジで、ギャグでもネタでも無ぇっての」
「ホントかよ。実はぷるんぽよんヒャッハーなんじゃねーの?」
ヤマねーちゃんがお茶を持ってきてくれる。
「トモロはポインプニュンけろけろけろっぴよ。それさえ無ければいろいろしてるハズなんだけどね」
「俺をわけの解らん擬音で表現すんなや」
「影追さん、オッパイなんぼ?」
「トップ96のE」
「あと4センチで1メートル!」
「お前、由貴ちゃんに言いつけんぞ」
「バッカお前、オッパイにテンション上げない男は男じゃねぇ」
「世界中の尻フェチに謝ってこい」
頭痛薬の錠剤を口に入れてお茶で飲む。枕元のスマホがブルブルいってる。見れば着信、母さんからだ。
「さっきから何度か鳴ってたぞ」
話をしたくないので無視。メッセの方を見てみると、『明日太、これを見たら返事をしなさい』というのが入ってる。
「ちょっと、ヤバイか?」
ヤマねーちゃんと顔を会わせる。
「ちょっと確認してみるね」
念のためにということで、母さんの財布に発信器を仕込んである。GPSで居場所を探れる。
ヤマねーちゃんがパソコンで破壊神様の居場所をチェック。
「……やだ、こっちに来てるみたい」
「逃げよう」
「ザーニスから車を出して貰うわ」
「まずはここを出るとしよう」
ヤマねーちゃんの肩を借りてアパートの外に出る。足元が少しふらつく。念のために俺のスマホは電波を遮断する金属膜の袋に入れる。
「さすが、母さん。俺の邪魔をするなら世界1だ」
ヤマねーちゃんはいとこで、どこに住んでるかは知ってるか。母さんがヤマねーちゃんのアパートに来たことは、これまで1度も無いんだが。
平がスマホを操作する。
「トモロの母親って、これだよな」
「あぁ」
平の持つスマホの画面、そこには俺の母さんの顔写真がある。要注意人物で、こいつに気をつけろ、とみんなに転送した奴だ。
「平、ここに残って母さんがヤマねーちゃんのアパートの扉を壊したら、警察を呼んでくれ。それで足止めになる」
「あぁ、解った。噂のマジキチモンスターを見物するわ」
「こっそりと隠れて、顔を見られないようにしろ。縁を結ぶとろくなことにならない」
ヤマねーちゃんと二人でアパートを離れる。
こんなことなら最初からザーニスのビルに行けば良かったか?
住宅街をフラフラ歩く。頭痛薬が効いてはきたが、走れそうに無い。暫く歩いて、
「明日太、お店に入ろうか? 少し休む?」
「距離をとった方がいいんじゃないか?」
「他の人の中に紛れよう。このお店の前にザーニスの車を呼ぶから」
2人でドーナツ屋の中に入る。
「明日太のお母さんを甘く見てたね。ごめん、私がふたり暮らししよって言ったから」
「いや、俺も書き置きひとつであのアパートには来ないだろって考えていたし。母さんには、今四国でお遍路してるってメッセ送ったのに、信じてねーな」
ヤマねーちゃんがバッグからスマホを取り出す。俺のは現在、電波妨害中。
「もしもし? 平クン? どう? ……え? なんで?」
ヤマねーちゃんの顔がサッと青ざめる。
「ウソ……、ほんとに? 解った、平クンも気をつけてね」
「何があった?」
「えと、平クンが言うには、明日太のお母さんがね、私のアパートの中に入っていったって……」
「どうやって? カギはかけてきたろ?」
「カギを開けて、中に入ったって」
何をやってんだ、あの人は。なんでヤマねーちゃんのアパートのカギが? あ、
「……わりい、ヤマねーちゃん。俺のミスだ」
「どういうこと?」
「俺もヤマねーちゃんとこのアパートのカギは持ってる。おそらく、これの合カギを作ったんだ」
「そこまでする?」
「いつ、俺のキーホルダーから盗んで合カギを作ったのかはわかんねーけど、油断してたか、俺」
身内だからって気を許しちゃいけねーなー。
俺の目を盗んでいつやってくれた?
「とりあえず、ザーニスに行って、あとはそれから考えよう。それと、ヤマねーちゃんはアパートのカギを交換した方がいい。平は?」
「扉を壊さずに入ったから、警察には連絡してないって。暫く見張っておくって」
まったく、やらかしてくれる。でも、あと少しだ。あの母さんから解放されるまで、あと少し。捕まってたまるか、さらば気違い。
その後、ドーナツ屋の前に来たザーニスの車に乗り込み、俺とヤマねーちゃんはザーニス本社ビルに。
後で平に聞いたところ、俺の母さんはカギも閉めずにヤマねーちゃんのアパートを出て行った。家捜しでもしたのか、アパートの中はグッシャグシャになってたと。
母さん、あんた人ん家になにやってんだ。
『こちらに来ても門前払いします。ご安心下さい』
壁にかかったモニターには雄牛の角持つ女神様。イシュタが微笑んでいる。女神様万歳。
「頼む。あー、胆が冷えた。驚いた」
ザーニス本社の特別フロア。そこにあるビジネスホテルのような一室。その部屋のベッドに腰かけて、ようやく一息つく。
ヤマねーちゃんは他のザーニス社員と話をしに行った。ザーニスの方でも、母さんにつけた発信器で居場所を調べてくれてると。
「しっかし、俺の身体に入れる人格は、あの破壊神様と上手くやっていけんのか?」
『ご心配無く、ゲームの中で暮らしたい、という人は家庭に問題があるというケースが多いので。私たちはこれまで様々な状況に対応してきました。その経験情報の蓄積があります。親に都合の良い子供、妻に都合の良い夫、いくらでもご用意できます』
「頼もしい。これでくつろげる」
『トモロもリリスと同じく、ご両親がストレスの元なのですね』
「そんなの、世のご家族にはよくある話じゃね? それに耐えられない俺がヘタレな小僧ってだけで」
『そうでしょうか』
「『Beyond Fantasy memories』は駆け込み寺として最高なんじゃねーか?」
『はい、そのために皆さん頑張っています。また、リリスの人格障害を診察した経緯からゲーム内特別病棟の建設を計画中です』
「それ、リリスは落ち着いたって聞いてるけど、境界例人格障害は治ったのか?」
『治ってません。リリスはその病と一生付き合うことになるでしょう』
「それで、落ち着いたって言うのか?」
『症状を自分の意思でコントロールできれば、社会生活は可能ですよ』
「人格の上書きなんてできるなら、そのついでに治したりできないもんか?」
リリスもその方がいいんじゃねーのか。NPCのヤマねーちゃんは同じ記憶だけど、発症してないんだし。
『後天的な人格障害はその病理の原因は、個人では無く社会にあります。表面に現れる症状だけをごまかしても、その病の原因はそのままです。私達がその症状を抑え、社会の病理を治しましょう』
「女神様すげぇ、崇めていい?」
『改宗はいつでも受け付けています。お近くの神殿で手続きをしてください。なお、改宗した場合、これまで崇拝していた神への貢献ポイントはリセットされ、神の加護によるステータス補整、スキル補整も失いますので、ご注意下さい』
それ、『Beyond Fantasy memories』のシステムの説明だ。イシュタは笑顔だ。
「冗談もいけてるね。しっかし、社会の病理ね。それを治すなんてのは無理じゃね? 生命は性感染する病原体なんだし」
『R=D=レインですね。状態を比喩として表していますが、私は気にくわないですね』
「なんか、AIらしくない感想が聞こえたけど」
『私はリトを見てこう感じます。子供って可愛い、と。それを病原体と言い表したく無い、と』
「流石、慈悲と慈愛の女神様。それで、特別病棟なのか? 身体が現実世界で暴れない精神病棟ってアリかもなー」
『発案はリリスです。彼女は現在、カウンセリング、セラピストなど学習しています』
「……そう、なの」
知らんうちに向こうのヤマねーちゃん、リリスはえらい元気になってるらしい。
『心を癒すのに必要なのは、愛と責任感です』
思わず女神イシュタの顔をマジマジと見る。モニターに映る雄牛の角の女神様は微笑んでいる。
「今のは、冗談……、じゃないよな。目がマジだ」
『リリスの症状が良くなっていく経過を観察しての感想です。NPC影追夜舞と八巻明日太の関係。それを見て、聞いて、自分がちゃんとしたおねえちゃんになれたら、こんな関係になれる。また、症状のひどいときでも、八巻明日太は変わらずに側にいてくれた。その思い出がリリスを癒しました』
なんだか背中がムズムズする。
『トモロの愛がリリスを癒したのです。その愛に応えようとする思いがリリスを強くしたのです』
……ちーん。
ベッドにうつ伏せに倒れる。顔を上げられない。なんだこの恥辱プレイは?
「イシュタ、それは間違いだ。俺が何をしてもヤマねーちゃんは良くならなかったし、ヤマねーちゃんは俺に何も言わずにそっちに逃げた」
『こちらは現実世界と違い、家族も無く世間体もありません。ストレスの少ない状態であなたの記憶をリピートすること、あなたとNPC影追夜舞がイチャイチャするとこを観察することで、2ヶ月で日常生活が送れる程に回復しました。これが、愛、ですね』
う、お、おおう。
俺がかつてこれほどの精神ダメージを受けたことがあっただろうか? あのアパートでなにやってたか、全部、観察されてたってのか?
吐血したい気分を初めて味わった。
「?明日太、もう寝ちゃった?」
ヤマねーちゃんが戻ってきても、顔を上げられなくて、寝た振りをした。