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 顔を合わせたく無かったものの、これからのことを考えるとそーゆー訳にもいかん。

 今から行く、とスマホでメッセを送り久しぶりにヤマねーちゃんのアパートに。

 扉を開けると出迎えてくれる。

「いらっしゃい、明日太」

 普通に出迎えてくれる。いつもの黒いジャージ。いつもの天パの髪の毛。少し不安そうな目で見てる。

 妙な気分だ。俺は怒っているのか、悲しんでいるのか、イラついているのか、呆れているのか。俺でも解らん。モヤモヤする。

 息を吸って、口に出す。

「こんばんわ、影追(かげおい)夜舞(やまい)さん」

「……気がつく、か。入って」

 もとヤマねーちゃんの後ろについて、部屋の中に入る。


 おかしい、と思ったことはある。考えたことはある。それでも、良くなったと喜んでおかしなところを見なかった俺がいる。

 そのツケがここにある。

 あぐらをかいて座る俺の前に、影追夜舞がいる。女の子座りで俯いている。

「……騙してたことになるよね。怒ってる?」

「俺にも解らん。それに人間アバターが正体を隠すのも理解してる」


 ヤマねーちゃんが精神を病んで仕事を辞めた。会社のクソ上司が原因らしい。

 ただ、ヤマねーちゃんはもともとそうだったらしい。俺が知らなかっただけで。それが会社で揉まれたせいで、ストレスから症状が悪化した。

 診断の結果は境界例人格障害。

 ヤマねーちゃんにとっては家族もストレスの原因。過去に親に何をされてたかは知らない。

 その親が持ってるアパートの一室に隔離されるようなひとり暮らし。それでも家族と一緒にいるよりはマシらしい。

 2年の引きこもりに近い生活。短期の入院と通院を繰り返して。そのときに俺はヤマねーちゃんのとこによく行ってた。俺がヤマねーちゃんといると、ヤマねーちゃんも少しは楽になる、マシになるというので。

 昔は俺が後ろにくっついていた、いとこのヤマねーちゃん。それが強い薬でボーっとしてたり、泣いて暴れそうになったら抑えたりしてた。手を引いて夜の散歩とかしてた。

 気晴らしになるとVSDXバーエスダブルエックスをこの部屋にセットしたのも俺だ。


 今はヤマねーちゃんは回復して、ネトゲで知り合ったって人のコネでザーニスに勤めている。驚くほど早い回復の仕方。

 良くなったことを喜んでた。ありえないことだと思わなかった。

「NPCが入れ替わったのは、1年くらい前、か」

「うん、そのくらい」

 境界例人格障害。

 何年も通院、入院を繰り返してそれで治るかもしれない、というもの。10代で発症するなら治療の見こみはある。歳をとってから発症するほど回復は困難。

 ヤマねーちゃんが発症したのは20歳を過ぎてからだ。

 それがたった2年で治るはずが無い。


「ずっとヤマねーちゃんの振りをして、俺を騙していたんだ」

「黙ってて、ごめん」

 ため息が出る。そして偽物をこれまで見抜けなかった俺の間抜けぶりにイラだつ。

「なんで本物のヤマねーちゃんは、俺に何も言わなかったんだ?」

「リリス、夜舞(やまい)の向こうの呼び名なんだけど、リリスはね。明日太に情けないとこ見せる自分が嫌だった。人格を上書きしてでも、明日太の前ではいいおねえちゃんでいたかった」

「泣かなくて、暴れなくて、会社に勤めて働いてたら、偽物でもいいおねえちゃんなのかよ。俺はヤマねーちゃんに頼りにされて、嬉しかったんだ」

「明日太には、カッコいいおねえちゃんでいたかったの」

「よくできた偽物は本物よりもマシだってか」

「私の家族は、今の状態を喜んでいるよ」

「あの家族ならそーだろよ。でも俺は情けなかろーが、子供みたいに喚いて引っ掻いてこよーが、本物のヤマねーちゃんの方がいい」

「……本物の方が、いいって……」

 

 震える声に顔を上げる。目の前の女が俯いて泣いていた。

「偽物だけど、自律型NPCだけど……」

 ポロポロと涙を流していた。

 AIなのに、人の脳に上書きされた人格なのに。

「私も、ヤマねーちゃんなのに、記憶は、同じなのに……」

「悪かった」

 まさか、泣き出すとは。

「言い過ぎた、わりぃ」

「うぇ……」

 ヤマねーちゃんの頭に手を置くと、ヤマねーちゃんは俺にしがみついてわんわん泣き出した。泣き止むまで背中を撫でた。

 昔のあの頃に戻ったような気がした。

 

「あー、落ち着いたか?」

「うん……」

 俺はヤマねーちゃんを後ろから抱っこしてる。体育座りしたヤマねーちゃんを背中から包むようにして座ってる。

 前にもよくこうしていた。

 いや、正面からだとヤマねーちゃんのおっぱいがむにゅんとなるのが気持ち悪くて、それで後ろからになるのだが。

 こればかりは体質的な問題でどうしようも無い。ヤマねーちゃんが正面からしがみついてきたときは、気合いで我慢してた。

 ヤマねーちゃんは少し赤くなっている。

「えと、ごめんね。押し付けちゃって」

「今回は、なんとか吐かずに済んだ」

「……それさえ、治ればなぁ」

「俺もそう思う。しかし、泣くとは思わんかった」

「NPCだけどね、記憶は同じ。それは知ってるでしょ」

「あぁ」

「人間の脳に上書きされた人格だけど、人の身体を得たことで人の感覚器官というインターフェースも得たの。怪我をすれば痛い、お腹が空けばひもじい、ご飯を食べれば美味しい、お酒を呑めば楽しい。人と同じ様に感じられるの」

「それが、AIが人間アバターを欲しがる理由のひとつか?」

「データ収集という意味ではね。『Beyond Fantasy memories』の中のNPCが人間っぽいって盛り上がったでしょ?」

「そういうことあったか」

「あれも、人間アバターのデータを反映した結果」


 『Beyond Fantasy memories』で話題になった珍事件がある。

 ゲーム内の酒場であるプレイヤーが冗談で、酒場のNPCの女店員の尻を触った。他のVRゲームでは無視されるか、淡々と『やめてください』というところ。

 しかし、そのNPCの対応は一味違った。持っていたお盆をそのプレイヤーの後頭部に叩きつけた。

『このスケベ!』

 と言いながら。更には、

『私のお尻は安くないのよ!』

 と言って店の奥に引っ込んだ。

 これが『Beyond Fantasy memories』のNPCは人間みたいだ、とか、いやあれはあのときだけザーニスの人間が操作してたんだろ、と盛り上がった。

 実際のところはその酒場の女店員以外でも、NPCは人間ぽい。他のゲームと違い会話もかなりできる。

 そして件の女店員は噂になり、お盆というご褒美?目当てに尻や胸を触ろうとしてお盆で殴られるというプレイが流行しそうになった。

 やり過ぎたプレイヤーが酒場の入り口に似顔絵を張り出されて、張り紙には『こいつら入店禁止!』と書かれたことで、お触りからのお盆アタックプレイは沈静化した。

 この対応で『Beyond Fantasy memories』のNPCはひと味違う、なんて言われることになる。

「……ゲームの中のNPCが、どんどん人間ぽい会話や仕草をするようになったのは、それか」

「自律型NPCはそうやって鍛えられてきたの」


 今、俺の腕の中にいるヤマねーちゃんも、NPCだ。だけど、ただのNPCとは思えない。人間の女と変わらない。

 身体は影追(かげおい)夜舞(やまい)

 戸籍もマイナンバーもある。

 意思もある、感情もある。

「俺は、なんて呼べばいいんだ?」

「ヤマねーちゃん、は、ダメ?」

「本物のヤマねーちゃんは?」

「向こうの名前はリリスだから、あっちをリリスと呼ぶというのは?」

「そーゆーことにするか」

「……明日太」

「なんだ? ヤマねーちゃん?」

「……んふふ」

「なんだよ?」

「んふふふふ」

 ヤマねーちゃんは猫みたいに目を細めて笑う。なんなんだよ。

 しかし、女が泣くっていうのはズルいね。これまで俺が騙されてたことも、なんかどうでもよくなってきた。

 あー、はいはい。騙された俺が間抜けだったってことだろ。もー、それでいーや。


「じゃあ、リリスは、本物は向こうでどうなんだ? ヤマねーちゃんは話をしたりするのか?」

「リリスはあっちでは落ち着いてるよ。向こうにはストレスになるものも無いから。カウンセリグとかしてたのも最初の2ヶ月だけ」

「そっか。そりゃそうか」

「でも、やっぱり寂しいみたい。明日太がウチに来たら、今日の明日太はこうだった、という話を私はリリスにしてる」

「……そう、なのか」

「リリスにとって、家族みたいに思えるのは明日太だけだから。もちろん私も」

「俺もヤマねーちゃんも血の繋がった家族はアレだから」

「アレはちょっとねー、ないわー。思い出したくもないわー」


 ヤマねーちゃんの肩を引く。ヤマねーちゃんは俺の身体を座椅子のようにして、俺の胸に頭を預ける。

 ヤマねーちゃんの境界例人格障害。

 その原因は幼児期の虐待だ。具体的に何があったのかまでは、聞いてはいないが。

 俺の顎の下にあるヤマねーちゃんの頭をぐしぐしと撫でる。

「なので、学校の春休みには俺も向こうに行こうと思う」

「その方が明日太にはいいのかもね。ちょっとさみしいけど」

「俺の身体に入るNPCには、おっぱい恐怖症の無い人格を入れてもらえばいい」

「もとの記憶が土台になるから、完全には無理だけど。そうなると私は明日太とエロいことができるようになるのかな?」

「たぶん。その俺は俺じゃ無いけれど」

 ヤマねーちゃんが急にむくれる。

「なんだよ?」

「結局は、似た者どーしなんだ。ふーん」

「なにが?」

「向こうでリリスに会えば解るわ」

 リリス、本物のヤマねーちゃんには、俺が向こうに行けば会える。会えたなら、そのときに改めて文句を言ってやろう。


「ヤマねーちゃんには、俺が向こうに行くのに協力して欲しい」

「この部屋でVSDXに繋ぐってことね。その期間、明日太の家族にはなんて誤魔化すの?」

「春休みに自分探しのひとり旅、なんていうところでどうだろう?」

「それで上手くいく?」

「電話したりメッセ送ったりで、無事に旅行してるっていうのをカモフラージュできたら、あの母さんも騙せるだろ」

 準備は進んでいく。俺もあと少しで向こうに行ける。

 ヤマねーちゃんはぐんにゃりと脱力したように俺に身体を預けてくる。

「解った、協力する。その代わり」

「その代わり?」

「明日太、今宵はわらわのベッドになりや」

「仰せのままに、お姫様」




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