目的があったところで同意を得られない可能性もある ④
初めに目に飛び込んできたのは周囲を覆う花だった。紫色の彼岸花だ。その中央に二つのアナログ時計がある。白い文字盤にローマ数字が刻まれており、短針と秒針がなかった。チッ、チッ、と歯車が回る音が聞こえたため、唯一残された長針がイミテーションではないとわかる。そして、それらに隠される形で紫がかった黒い箱が置かれていた。何か模様があり、よく観察するとゴシックファッションを彷彿とさせる意匠が見て取れた。
爆弾としてはいささか装飾過多だ。太郎少年は苦笑を禁じ得ないようだった。
「いやあ、さすがヤシマユミだ。すごい趣味だよ」
僕も頷く。なんとなく、ではあったが、この爆弾にはヤシマユミの世界が詰め込まれているように感じた。彼岸花の花言葉には「転生」だとか「思うのはあなた一人」というものがある。これは彼女の犯行動機そのままだろう。並んだ二つの時計が表しているのは、それぞれがヤシマユミと下山忠志を示しているに違いない。同時に時を刻んでいる時計が同時に停止する、それは彼女たちの覚悟を意味しているようにも見えた。本体に刻まれているゴシック模様は少女としての一面を強調しており、彼女が自分自身をどう捉えているのか、推し量ることができる。
運命の相手との生活を夢見る、哀れな少女。
そこまで推察して腹の底が重苦しくなった。悲劇に酔いしれる女性の思いはどろどろとしていて飲み込みきれない。すべてがすべてミヤコから与えられたことのない感情で、僕は思わず舌を出した。一方で、太郎少年は飄々としている。「趣味が悪いなあ」と眉を顰めながらもそれを楽しむ余裕があるようだった。彼は装飾の一つ一つを指さして、僕が受け取ったものとほぼ同じイメージを解説したのち、深く息を吸い込んだ。
「ああ、黒色火薬は単なる臭いづけなのかもね。ポケットの中にあるけど、装置とは関係がないっぽい」
「臭いづけ?」
僕の質問に、彼はしたり顔を作る。
「初めて弄った火薬が花火とかだったんじゃない? なんていうの? ゲンシテキタイケン? そういうのも一緒にしたかったのかも。きっと生まれ変わっても爆弾魔になるね」
「それは由々しき事態だ」
「『ユユシキ』って『危ない』ってこと?」
「まあ、うん、そんな感じ。それよりもさ、もう任せちゃってもいいのかな。もしよかったら上に伝えに行こうと思ってるんだけど」
「えー」太郎少年は唇を尖らせて不満を露わにする。「純くん、もうちょっと付き合ってよ。まだ嗅ぎ爆とか炎爆とか音爆とか、教えてないじゃんか」
「いや、ちょっと待ってよ」
僕は両手を挙げて降参の意を示した。彼の話は初心者が聞くにはディープすぎて及び腰になる。これ以上耳を傾けていると僕の頭のほうが先に爆発しそうだった。
「爆弾オタクになるのはまだしもさ、爆弾オタクオタクってのはどうなんだろう」
「……確かに。純くんはたまに鋭いね。なら解説はしないよ。でも二度手間になっちゃうし、最後まで見てってよ。どうせヤシマユミも時が来るまで起爆はしないんでしょ?」
返事を待たずに太郎少年はどこからか取り出したペンライトを口に咥えて、爆弾を弄り始めてしまった。とはいえ、彼の指摘にももっともな部分があり、僕はその場に腰を落ち着けて爆弾の処理を眺めることにした。危険極まりない作業ではあるのは事実ではあったが、彼の態度には不思議な安心感があり、どうしてか、逃げたり騒いだり、そういった行動を起こす事態にはならない確信があった。
彼岸花が無理矢理に束ねられ、暗闇で散らばる。それを何度か繰り返したところで太郎少年はカーゴパンツのポケットの中から金属製の道具を取り出した。細い棒がいくつか、ペンチとドライバー、それとワイヤーらしきもの。どれをどう使うべきなのか見当もつかず、また、実際にどう使ったのかすら視界に収めることができなかった。素早い動きで、物音一つ立てず、彼は作業を行っている。ほんの数回まばたきをしたときには時限装置の要であるアナログ時計が外されていた。
バスは常に揺れている。クッションのないトランクルームではシートに座っているときに感じなかった振動を、強く感じた。アスファルトの継ぎ目を通ったのか、時折、跳ねるような衝撃がある。しかし、太郎少年はそのすべてに動じない。不規則な揺れの中、一点に留まり続けている彼の手は、浮遊感、みたいなものを纏い、正確というよりも精密な動きを続けた。
超人――遅まきながら僕は太郎少年がそのカテゴリに属する人間であることを思い出す。いや、忘れていたわけではない。見せつけられた、と言うべきだ。彼は彼の言うとおり異質なのかもしれないが、それでも超人であることには変わりがなかった。
太郎少年は取り外した物体には興味を失っているらしい、長針だけの時計を無造作に背後へと放り投げた。僕のちょうど後ろ、トランクの扉にぶつかり、鈍い音が鳴った。と同時に彼はわずかに上体を沈み込ませ、爆弾の本体を凝視する。集中力が波動となって放たれ、僕の皮膚を揺らす、そんな気がした。
美しい。
理由はわからない。けれど、僕は爆弾に向かう彼の横顔を、一挙一動を、美しいと感じた。道具が手の上を滑るように移動し、回転し、爆弾へと差し込まれ、捻られる。超人の少年が、オーケストラの指揮者のように道具を操る姿に目を奪われている。不謹慎な話ではあるけれど、いつまでもその姿を眺めていたいとも思った。
だから、声をかけられたとき、「え、もう?」と慌てたのは無理もないはずだ。開始から三分も経たずに爆弾を解体した太郎少年はその年齢に相応しい笑顔で、「終わったよ」と胸を張る。
「どう、簡単でしょ?」
「……すごいな、何をしてるかもわからなかった」
「これくらい朝飯前だよ。超人は銃の扱い方とかさ、いろいろ覚えることが多いんだ。警察の手伝いみたいなこともするし。まあ、僕は解体専門で、実際に爆弾を作ったことはないんだけど……あ、純くん、超人のこと、体力馬鹿だと思ってたでしょ、違うからね」
「覚えておくよ」僕は真剣に頷く。運転技術に関してはなにも言わないでおく。
「じゃあ、もう上に行ってもいいよ。あ、何かメモとか必要? 僕が床をぶち破って伝えに行ってもいいけど」
「それをやったら一郎さんに叱られるんじゃない?」
「そっか、そうだよね。慣れないなあ、この世界は」
僕は苦笑し、別れを告げる。元の座席へと戻ろうとしたとき、太郎少年は「暇ならまた遊びに来てよ」と寂しげに呟いた。必ず、と約束をしてジャンプする。
〇
「あれ、ミヤコ、痩せてない?」
げっそりとした表情のミヤコに、僕は開口一番、そう訊ねた。トランクルームの中にいる間に何が繰り広げられていたのか、彼女の表情には色濃い疲労が浮かんでいた。
「あ、おかえり、純……」
「何があったの?」
「花嫁さんから手紙の朗読」辟易、という形容がしっくりとくる口調で、彼女は吐き捨てる。「とんだサイコさんなんだけど、ヤシマユミ。頭のねじが外れてるって言うか、中身がぶっ飛んでるって言うか、脳味噌がバネ仕掛けみたい」
「その比喩は初めて聞いたけど、なんとなく想像はつくね」
「で、どうだった? 爆弾は見つかった?」
「ああ、見つけて解体してもらった」
「へ?」
その素っ頓狂な声にヤシマユミが不機嫌そうな視線を向けた。どうやら手紙の朗読は続いていたらしい、妨害されたことに明らかに腹を立てている。彼女は深い溜息を吐いてミヤコを睨みつけた。
「ええと、字廻さん?」とヤシマユミは乗客名簿に記された名字を読み上げた。座席が変わっているにもかかわらず、誰がどこに座っていたのか把握しているようだ。やはりバスガイドとしての能力も素晴らしい。「今、とてもいいところなんですけど、邪魔しないでもらえますか?」
しかし、ミヤコはその批難を無視し、僕に訊き返してきた。
「本当に爆弾、解体したの?」
「説明が長くなるけど、一郎さんたちの荷物に超人が入ってて、解体してもらった」
「ちょっと、聞いてます?」
ヤシマユミの言葉を心底うるさそうに、ミヤコはがなり立てる。
「聞いてるって! すごく感動的! もう泣きそう! ……で、純、もう一回聞くけどそれ、本当?」
「この状況で嘘なんて吐けるわけないでしょ」
「それもそうだ……ねえ、一郎ちゃん、花子ちゃん、終わったって」
「お、そうかい」
超人の老夫婦はおもむろに立ち上がる。それに狼狽したのはヤシマユミだ。彼女は慌てふためき、起爆スイッチらしきものを顔の高さまで掲げた。
「ちょっ、ちょっと、あなた方二人は座っていてくれませんか? スイッチ押しますよ?」
「ええ、どうぞ」
柔和な微笑みで、花子夫人が促す。後ろの座席から悲鳴が沸き起こる。ヤシマユミもただならぬことが起こっていると悟ったのだろう、運転手の下山へと視線を移し、金切り声を上げた。
「たっ、忠志さん、起爆しますね! では、来世でお会いしましょうねえ!」
きっとそのスイッチは彼女にとって幸福の始まりなのだろう。押すと同時に雷管へ信号が送られ、爆発が起こり、来世への道が拓く――その瞬間を想像したのか、ヤシマユミの頬が喜悦で歪んだ。
そして、親指が動く。
「……あれ」
だが、すべてを飲み込む光も熱も風も、生まれはしなかった。走行音だけが穏やかに響いており、ヤシマユミの顔面が呆けたまま硬直する。それから、彼女は何度もスイッチを押した。信号を伴ったカチカチという音はどこにも届くことなく、力なく床へと落ちる。運転手の下山が何度もルームミラーを覗き込みながら「ユミ!」と叫ぶ。返答はない。ヤシマユミは絶望した表情で膝から崩れ落ち、「どうして」と「なんで」をうわごとのように繰り返した。
「さて」
いつの間にか運転席へと歩み寄っていた一郎老人が下山の肩を叩く。びくりと身を震わせた運転手に、一郎老人は優しく伝えた。
「きみたちの爆弾は私の仲間が解体したよ。つまり、今、このバスをジャックしているのは再び私たちということだね……さあ、運転に集中してもらおうか」
何か腑に落ちないものを感じる。その正体を考えているとすすり泣きが聞こえた。中央にある通路でヤシマユミが泣きじゃくっており、その両脇にミヤコと花子夫人が膝をついている。同情しているのだろうか、たとえそうだったとしても背中をさすってやることはないのではないか、と呆気にとられる。先ほどまで殺されそうになってたんですよ、と教えてあげようとも思ったが、実際にそうする前にミヤコが明瞭とした声でヤシマユミを諭した。
「いい、ヤシマユミ? 人生長いんだから現世で幸せになろうよ」
爆弾魔は嗚咽を返すばかりだ。どうしようもない茶番の臭いに僕は顔を背けた。そして予想通り、ミヤコはとびきり力強く、真実を教授した。
「あとね、東北自動車道はあの世には通じてないのよ」
こうして爆弾魔とその恋人によるバスジャック事件は幕を閉じた。誰も怪我をしなくて本当によかったと思う。ただ一方で口の中に苦みを感じた。
超人の老夫婦によるバスジャックは未だに続いている。ミヤコも依然としてその一員のままで、おまけにトランクルームには太郎少年という仲間が潜んでいることも明らかになった。
バスジャック犯は全部で四人だ。
また一人、人数が増えている。