#009 合縁奇縁
だって、あのままじゃきっともっと大変なことになってたはず。あの人もそう言ってたじゃない。
それが間違っていると思いたくないし、思っていない。
なのに……どうして。
「――きみは、まだ子供なんだからね?」
そう言って、急に『大人』の顔を見せた、あの人。
それまでずっと子供たちと同レベルで騒いではしゃいで、全然大人っぽくない人だと思ってたのに……急に大人に戻ってしまった、あの人。
優しく諭された言葉は、苦い思い出とともに染み付いている。
「きみはまだ子供なんだから、ここまでやる必要はないんだよ――これは大人の仕事だから。後は大人に任せておいで」
涙で視界がぼやけて、表情はよく見えなかった。でもあの色彩と声だけは今も鮮やかに――
* * *
「きみたちは、まだ子供なんだからね。わざわざ危険なことにまで関わる必要はないんだよ?」
「――え?」
驚いて顔を上げると、つり革に掴まってあたしを見下ろしている笑顔と目が合った。
――うそ……なんでここに、いるの……?
列車の揺れに合わせるように、明るい色のくせ毛がさらりと揺れる。
その朱みを帯びた髪の色も、後ろ髪がしっぽのように長いのも、あたしの記憶にはまだ印象強く焼きついていた。
「ふふ。半年ぶりかな? 元気そうだね。まさか、この件にミハちゃんが関わってるとは思わなかったよ」
屈託ない笑みもまだ記憶に新しい。そしてその笑顔を見ると、初恋に似たような甘酸っぱい気持ちが湧いて来るのも。
「この件って……?」
穏やかな声でミハちゃん、と呼ばれる懐かしさとは別に、何かが引っ掛る。
この眼は――懐かしさとは別の記憶に繋がっている気がする。よく知っている何か別の……?
「アキラから話は聞いてたんだけどさ……さやかちゃんだっけ? あの子の話が中心だったから」
ふっと窓の外に視線を向けて、その人は言った。
思いがけない名前を聞いて、あたしの心臓が二回、強く打つ。
まさかと思いながら、改めて声の主の顔をまじまじと見つめた。
「さっき駅前でミハちゃんたちを見た時も、印象が変わっててすぐにはわからなかったよ――眼鏡にしたんだね。でも似合ってる。知的美人っていうの? そんな感じだね。お姉さんっぽくなったし――」
相変わらずあたしの思考などお構いなしに、勝手に、楽しそうに、話を続けるこの人――そうだ、名前。
「アキ、さん」
「うん、名前覚えててくれた? 嬉しいなぁ」
一層屈託なく笑うアキさんは、髪色も着る服の色も明るくてどちらかというとシンプルながら派手好み。そのせいで全体的な印象はかなり違うけど……そういえば、声は少し似ているかも知れない。
それから、その眼の色も。
「アキさん……ひょっとして高見先輩の兄弟とか、なんですか?」
声が震えそうになった。
「うん、兄弟とか、なんだなぁ……」
アキさんはやはり笑いながら答えた。楽しそうに。
――息が、止まるかと思った。
「ねえ……ミハちゃんね、また自分で色々背負い込もうとしてたでしょう。アキラはわかってて放置してるんだろうけど」
大袈裟に肩をすくめて首を横に振る。
「あいつ、頼まれなきゃ割と限界まで放置するとこあるからなぁ……」
アキさんはさっき、わざと先輩の名前を出したんだと思う……そして、あの時のあの言葉も。
この人は、こういう甘苦い意地悪を時々仕掛ける。
この口ぶりだと、つまりアキさんは裏サイトの件も知っているってことで。
――まって、駅前って……いつから見てたの? じゃあさっきのマサキとのあれも……?
感情的になった場面をまた見られたのかと思った途端、顔が赤くなる。
この人には――もちろん、他の人にもだけど――見られたくない自分の未熟さを見られてしまった、という恥ずかしさと悔しさが込み上げた。
「僕はどうにもお節介焼きでねぇ……偶然でも、ミハちゃんの状況を知っちゃったからには、どうしても一言、言いたくなっちゃってね」
アキさんは顎に手を当て、鼻に小さな皺を作る。本当に、お節介な言い方は変わらない。
高見先輩ならきっと、もっと突き放した言い方をするわ。
「面倒事に勝手に首を突っ込むな、って毎回叱られちゃうんだけどさ。フォローする身にもなれ、とかね」
くすくすと思い出し笑いをするアキさん。
「本当に偶然? 先輩に頼まれたとかなんじゃないですか?」
恥かしさを誤魔化そうとして、変に拗ねたような口調になってる自覚はあるんだけど……困ったわ。冷静になれない。
「偶然だよ。だから驚いてるんだ。この列車に乗ったのも――あ~、どうなんだろうなぁ」
楽しそうに笑いながらアキさんは話す。
「アキラにお使いを頼まれて、ミハちゃんの地元のとこまで行く途中なんだよね。この列車、本数が少ないでしょ? だから、約束の時間に間に合うように、この時間のに乗ってね、って指示されたんだよね」
ふふ、とアキさんは笑う。
一見、性別がわからない――どちらかというと男性にしか見えない――アキさんの、唯一女性っぽさがうかがえる、その柔らかい笑い方で。
「僕もナリィも運転できるじゃん? なのになんで列車なんだ? って訊いたんだけどね。『たまにはのんびり列車に乗って、遅咲きの桜の風景を楽しむのもいいんじゃないかな』って言うんだよ、あいつ……こうなって来ると、これも偶然なのかどうか、怪しいなぁ」
確かに、山間には、遅咲きの山桜がまだ咲き誇っている。でも街の中でだって、散りかけとはいえまだ桜が見られることは、駅と学校の往復しかしないあたしでも知ってる。
毎日高校へ通勤している高見先輩が知らないわけがない……
――いじけてたのが、なんだか莫迦らしくなってしまったわ。
思わずため息をついてしまう。
ひとつめの停車駅を出発した列車内は、相変わらずほぼ貸し切りの状態だった。
ポケットから折りたたんだ紙を引っ張り出して、アキさんは連れの男の人と何か小声で話している。
長身のアキさんよりも背の高い人。当然、高見先輩より身長がありそう。
あたしは二人の様子をぼんやりと眺めながら思う。
――色々訊きたいことや話したいことがあるのに……でも、なんて言えばいいんだろう。
高見先輩って何者なの?
アキさんは、何故あの時助けてくれたの?
あなたたちがあたしに関わったのは偶然? それとも……
今訊いたところで意味がないのかも知れない。答えてもらえないかも知れない。それでも知りたい――いつまでも満たされないままの、焦がれるような思い。