#003 希薄
* * *
教室の中でも、『お嬢様』は寂しがっているような、でも孤独を楽しんでいるような、相反する二つの雰囲気を持っていた。
あたしは、相手がまったく気付かないのを幸いに、無遠慮に観察する。
時々肩や首を回したりするのは、やはり式の間に緊張していたからだろうか。
澄ました顔を崩さず、誰かに話し掛けられてもまるで気付かないかのように無視をしている。どこを見ているんだろう。
「……は、斎藤、哀れ」
同じ陸上部だった男子が華麗にスルーされているのを見て思わずつぶやく。
「ホリ! ホリ! ちょっとホリってば! まじで逃げんなよなぁっ!」
突然、耳障りな笑い声とともに、誰かを呼び止める声が教室内に響く。追随するように数人の取り巻きらしき、笑い声。
――うわ。彼女は『要注意人物』だ――同じクラスだったなんてサイアク。
大声で騒いでいたのは、わがままでかしましく、いつも自分が中心にいないと気が済まない『ナミ』だった。
ナミと関わったのはだいぶ昔のことになる。しかも多分一回だけのこと。だから向こうはもう、あたしのことは忘れているかも知れないけど、あたしはしっかり覚えている。だって当時から色んな意味で声が大きい人だったから。
面倒を起こさないように気を付けなくちゃ……何を言われるかわからないし。
同じクラスになったついでに、現在のナミの立場や交流関係も調べておいた方がいいかもね。少なくとも三年間は顔を合わせなきゃいけないんだから。
ああいった『声の大きい』人物の動きを掴んでおくことは、情報の流れを見極めるうえでも、高校生活を無難に乗り切るためにも、必ず重要になって来ることを、あたしは経験上知っていた。
さっきの大声で、ナミは注目の的となっていた。
さすがの『お嬢様』も、ナミは無視できなかったようね……びっくりした顔でナミを見ている。
……と、
「あれぇ~? アンタって確か……」
ナミが『お嬢様』に向かって、声を掛ける。『お嬢様』は明らかに狼狽している様子……あら、ひょっとして知り合い?
その途端、あたしの――多分あたしだけじゃなくてみんなも――好奇心が膨らみだした。
だけど、クラス中が次の展開を期待したその直後、担任が教室にやって来てその空気を壊してしまった。
「始業のベルはとっくに鳴ってるんだぞぉ~?」
今朝三浦先生と話をしていた――というか三浦先生に絡まれていた、田中先生。
そののんびりした声とは裏腹に、みんなは慌てて席に着く。
――んもう。彼女について何かわかったかも知れないのに。
思わず担任を睨みそうになってしまった。
でも『お嬢様』のとても安堵した表情が目に入って、あたしは正気に返る。
――そうじゃない。これはあたしのやり方とは違う。これじゃただの野次馬と一緒よ……許されないことだわ。
あたしも浮かれた気にあてられているのかも知れない。落ち着かなきゃ。
* * *
「町田さやかです……二中にいました」
自己紹介を聞いてようやく一連のピースが繋がり、あたしは気分がよくなった。
――あぁ、今朝聞いた話はこの子だったんだ。
担任もその時の話を思い出したのだろうか。ひとりで納得している。
でも、二中で成績が良かったのなら、もっと良い学校へ行けるはずなのに。
何故地元の、しかも自宅から遠いここへ来ることにしたんだろう?
極めて当り障りのない言葉で自己紹介を済ませた『お嬢様』こと『町田さやか』は、やはり自分の存在をなるべく隠したがっているように見えた。
『お嬢様』で『数学が得意』らしい『町田さやか』と、目の前にいる彼女がどうしても結びつかない。
それだけ特徴を持っているなら、普通はもう少し自己アピールをするものではないだろうか……
町医者の娘というだけで自分自身には大した取り得もないナミでさえ、その立場を自己の特徴のひとつとして利用しているのに。
相変わらず、心ここにあらずといった風情の町田さやかは、他の生徒にも興味を示さないでいる。
ナミとは知り合いらしいけど、ナミの反応は数年ぶりに会った顔見知り程度の薄さしかなかった。
中学も別々だったようだし、学区を考えると小学校も別だと思うし……それより古いとなると、幼稚園か、保育園。もしくは塾か習い事?
どの道、ナミから話を聞く気はないし――うん、帰りにでもさり気なく声を掛けてみるかな。
「マサキ! 寝る時間じゃないぞ」
担任が最後のひとりに声を掛ける。
どうやら声を掛けられても気付かないくらい熟睡しているらしい。
――あら? あの人、今朝読書を邪魔した人じゃない。
度胸がいいのかマイペースなのか。まあ、天気のいい日に窓際でひなたぼっこしてれば、お昼寝もしたくなるわよね。
これだけざわざわしていても眠れるなんて、ある意味特技かも知れない。
隣の生徒がこわごわ、といった様子で起こす。起こされて、ようやく自分が注目の的になっていることに気付いたみたい。
それでも悪びれる風ではなく、だからといって威嚇してる風でもなく……不思議な態度。度胸があるというか、開き直っているというか。
「――正しく輝くと書いてマサキ。二年前に一度入学してるんで、これが二度目の一年生、ってとこ」
ニヤリとしながら、彼は自己紹介を終えた。
彼が名乗った『川口マサキ』という名前はどこかで聞き覚えがある。
本人メインじゃなく誰かのおまけ的な話だったから、すぐに思い出せないけど。二度目の入学なら、多分先輩たちの誰かの話がメインなはず。それなりに有名な人の話だった気がする、という記憶までは浮かぶんだけど……
マサキは声にちょっと特徴があるのね……低い音と高い音が同時に発せられているような、よく通る声。
ひょっとしたら、バンドを組んでる先輩たちの話に出て来たのかも。
こうして、あたしはクラス全員に『メモ』をつけて行く。
まだ大多数の生徒はありきたりな自己紹介で、どうしても面白みに欠けるけど、そのうち徐々に個性が表れて来るのを待つのもまた楽しい。
家に帰ったらノートに書き写そう。印象が薄かった人が数人いたけど、彼らのこと、帰宅までちゃんと覚えていられるかしら。
帰りの列車内で書けるように、ノートを持って来ればよかった。