ブラウン管症候群
ブラウン管の中の少女に恋している。それも数年前から。
もとい、いまではブラウン管なんて言わないな。ここ数年の技術の進歩は凄まじく、我が家のブラウン管もリサイクルゴミとなり、見事液晶テレビにバージョンアップした。それもハイビジョン対応である。
ハイビジョンでは彼女は一層美しく見え、いや、映えると言うべきか。それはもう、肌の質感までも感じるようになった。以前より一層彼女が身近な存在に感じた。
数年前、彼女と初めて出会った時、僕は脳天から背骨を通じてつま先に至るまでの電気ショックを受けた。たどたどしい、テレビ慣れしていない言葉使い、セクシーとは程遠いが、ある意味セックスシンボルとなりえるようなロングスカートに長髪。シャンプーのコマーシャルどころの騒ぎじゃない、サラサラと透き通った髪だった。
いつか、あの髪に触れてみたい。そう願ったのは言うまでも無い。
いつしか時は過ぎ、僕は幾度か転職し、その度に挫折を味わい、ブラウン管の中の少女への恋心は増すばかりだった。こんな時、彼女が僕の「彼女」であったらなんと言ってくれるだろう。
「そんなことで挫けちゃ駄目」
そんな声で目覚めたこともある。何度もある。
彼女は天才的な歌と踊りで僕を魅了してくれた。もう彼女無しでは生きてはいけない、そんな状態になってしまったのだ。
僕は考えに考えた。が、結論は簡単だった。
彼女はライブ活動などを一切行わない。所属事務所も明かさない。タレントとしてはかなり謎めいた存在だった。(その謎が一層引きつけるのだが)
彼女に実際に会う方法はただ一つ、テレビ局に行くしかないのだ。スタジオへ。そうすれば彼女に会うことができる。もしかしたらサインももらえるかもしれない。握手なんか出来たらそのまま昇天してしまいそうだ。いや、それで昇天するなら本望というものだ。僕は彼女に−触れてみたい−
調べてみた。彼女が出演する番組は一般客は入場できないことがわかった。それだけ彼女は高尚な存在なのかもしれない。それならば、番組のスタッフになればいいのだ。
そこからが大変だった。何年かかったかわからない。が、とにかく僕はカメラマンへと転進した。
某局のカメラマンとなり、ついにその瞬間を迎えることが出来たのだ。
スタジオの背景には青いシートが張られていた。CGと人間を合成する時に使うアレだ。とにかくスタジオは一面真っ青だった。
僕はその一面の青に、これまでの彼女への思いや、幾度の困難を照らしていた。カメラを覗き込むと…彼女が映った!確かに彼女はそこに現れた。僕は無我夢中でカメラを覗き込んだ。
時折指示が出され、カメラアングルを変えたり、移動したりしたが、僕の両の目は彼女を一秒たりとも見逃さんとまばたきを堪えた。
彼女は−それはもう天使のように−歌い、踊り、撮影は無事終了した。僕が食いつくように見ていたカメラから彼女の姿は消えていった。全てが夢のような出来事だった。
僕は彼女に触れてみたいのだ。撮影終了後、僕はスタジオはもとより、テレビ局内をくまなく探し回った。何度警備員やスタッフに怒られたかわからない。それでも僕は探し続けた。
そしてついに、僕は彼女をみつけることができたのだ。
彼女は既にブラウン管の中にいた。最初から最後まで、ブラウン管の中にいたのだ。
つまりは、彼女はブラウン管の中にしか存在しないのだ。だが僕は諦めない。僕は彼女に触れたい、彼女にもっと近づきたい。それならば、僕がブラウン管の中に入ればいいのだ。
そこからが大変だった。何年かかったかわからない。が、とにかく僕はブラウン管の中へと入った。
某局のブラウン管の中に入り、ついにその瞬間を迎えることが出来たのだ。
やっと、彼女に触れることができる、彼女と同じ空間で、同じ時を過ごすことができる…。
そして僕は彼女と、極めて至近距離で出会うことが出来た。
数年が経過した。彼女はすっかり大人になっていた。いつまでも少女でいられるわけが無い。でも僕は満足だった。多少しわが増えようとも、憧れの彼女に出会うことが、触れることができるのだから。
だが、ついに彼女に触れることは叶わなかった。彼女は、ブラウン管の外に居たのである。
超短編小説第1弾です(笑)
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
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今後ともよろしくお願い致します。