僕の掌の宇宙
ねえ、識ってるかい?
僕はいま宇宙を手にしている。他の誰でもない、僕の、僕自身の宇宙を。
奇妙なことだけれど、宇宙は思ったよりも広くない。人類史上実に多くの人たちが観測機械を投げ込んだり、遠眼鏡から覗いたりしている深淵には、宇宙の本当の姿は映っていないんだ。
じゃあ宇宙はどこにあるかって? 遠くを観てもムダさ。それはここに、僕やきみの頭の中にある。お分かりだろうか、要は脳のことなんだ。脳の持つ意識が、万物の鏡となって宇宙の真実の姿を見せてくれるんだよ。
我思う、ゆえに我あり。
これはデカルトの言葉だ。ずいぶん昔の言葉だけれど、この言葉にはとても深い含蓄が込められている。その最たるものは、自分が自身をどう疑っても、その存在を否定できない、てことだ。だけど、これは裏返せば万物は自己の鏡に映る像でしかない、てことだろう。恰度プラトンがイデアと洞窟の比喩で出したように、僕たちは真理の影しか観ることができない、てわけなんだよ。
ところで現代の科学はそうとう進んだ結果、興味深い結論を出している。それは脳こそが人間の殆んどすべての機能を掌っている、てことだ。面白いことに、人間の思考回路も、心の働きも、何をどう視て聴いて感じているかも、全部脳に隠されている。辛い食べ物より甘い食べ物のほうを、犬よりも猫のほうを好きになる要因も脳から見つかるようになって、もはや人間の身体は脳の乗り物のようなものだとハッキリしてきている。
宇宙なんて実際はないかもしれないが、僕らの脳は宇宙を感じ取ることができる。
そのアイディアは、少年時代の僕を虜にしたのだ。
僕は脳に魅了された、愚かな一人だ。
解剖学者として脳を探索し続けて結構長くなるけれども、その魅力はいまだ尽きたことがない。
寝てる間にも活動している脳。それは夢。
身体を使わず意識だけが点いている。それは想像。
身体を動かす意識と電流のひらめき。それは意志。
多くの物質と触れ合い、学習し、想像し、思考し、記憶し、反復し、そしてそれをもとにして、さらに意志によって新たな次元を切り拓く。これがすべて脳の中で起きている! 僕は驚く。この感情ですら脳の活動の一つでしかない。そのことにまた驚かされる。
でも僕が気になって仕方ないことがある。その問いは脳を調べ始めた当初からずっとずっと気になっていたことで、いまのいままで答えが得られなかった不思議な設問だ。
その問いの答えを得るために、いま僕はここにいる。精密な機械に囲まれた、この部屋に。
脳なんてデリケートなものを扱うために集められたこの最先端の機器を用いて、僕は僕自身の脳を引っ張り出してみることにしたんだ。その手続きは実にめんどくさいものだったが、ようやく出してみた。いろんな血管や神経がくっついた、紅くて複雑な物体を僕は掌に乗せる。
途端、僕の手がずんと重くなるのを感じた。背筋が氷で撫でられたようにピリピリと凍てつく。胸が苦しくなり、呼吸も困難になる。内臓のブレーカーが落とされたような気分だった。だが、僕はそのことも計算に含めていた。生命維持機関を起動して、かろうじて息を整える。
いま、僕は。
僕自身を掌握している。
文字通り。そのまんま。
掌の感触は指先に触れている物質からの電気信号にすぎない。
物質はおおむねミクロレベルの素粒子の組み合わせでしかない。
そして素粒子の組み合わせは宇宙に潜む四つの力、重力、電磁力、強い核力、弱い核力で結わえられているにすぎない。
何もかもわかっているはずなのに、その実僕たちは何もかもわかっていない。脳がどんな意志をもってしても辿り着けないものがある。
それこそは真理。イデア。物事の本来の姿であり、永遠普遍の宇宙の真実。
なぜ人間には絶対普遍の真理がわからないのだろうか?
答えは簡単。真理がわからないように脳自体が出来ているから。悪戯好きな自然が脳にそういうギミックをあらかじめ設けたから。
ならば僕が自分で脳を変えてしまえばいい。
人間は、いつだって真理の姿を求め続けてきた。
古代から多くの哲学者科学者たちがそれを試み、その途上で死んできた。そろそろ人類は真理を得て報われるべきじゃないのか。
僕は道具を手に取る。だが、道具が脳に触れる寸前、ある直感が僕を衝き動かした。
そして、僕は……
* * *
数日後。ある大学の研究室から男性の変死体が見つかった。遺体は頭部を切開されていて、脳に当たる部分が丸ごと消え去っていた。警察は当初これを奇怪な殺人事件と看做したが、その後の捜査とともに、この奇矯な事態は男性自身の手によるものだと判明した。動機は定かではないが、いわばこの事件は手の込んだ自殺なのであった。
なぜか。行方不明だとされていた脳が、細胞単位で彼の口内と歯、食道、その他内臓器官で検出されたからだった。