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プロローグ 子~壱ツ字~

物語の始まりとは唐突だ。

一日を誰もが疑問を持たずに、ただ同じ時間を繰り返している。

その一日の中に多少の変化があろうとも、それは収束し翌日にはまた同じ日常にリセットされる。

脳はその変化を上書きし、変化ある日常さえ覆してしまう。

人は世界を支配することはできない。

それ同様、人にはどんな事をしても抗えないものがある。

それは時間だ。

だからこそ時間を制することさえ出来ればこの世界を制することが出来るだろう。

人は知らず知らずに時に支配され、時に制限されている。

正確には人だけではない。

動物にも植物さえも時の概念は存在しメカニズムが流れている。

時の存在はいつから生まれたのか?

生命体が誕生した時か?はたまた地球が誕生した時か?

それを知るすべは何もない。

ただ一つ言えることは人間は時間に頼りきってると言うことだ。

人は特に時間に支配されている存在だ。

朝目覚める時も、食事を摂る時も、遊ぶ時も、休む時も、仕事をする時も、寝る時も…。

どんなに大切な者や物であっても時間より寄り添う存在はない。

例えば今この瞬間時間が1分、先に入れ替わったとしたらどうなるだろうか?

交通機関は麻痺し、人は時間に追われ慌てふためく世界が大混乱を起こすだろう。

だからこそ時間を掌握した者はこの世を牛耳れるのだ。

だがどんな権力者だろうが一国の王だろうが時間を征服することは不可能だ。

存在し目に見えないことはおぞましい。

錯覚とは恐ろしいものだ。

慢性的な日常に誰しも違和感を感じずに生きている。

そこに少しの矛盾が生じたとしてもコインの裏のように表側では何も見えずに、何も感じずに

ただ時間だけが過ぎていく。

もしも生きるこの時間がわずかでも錯覚が生じていたらそれらに気づける人間はいるのだろうか?

人とは残酷なものである。

どんなに間違いであっても大衆がそれらを正しいと口を揃えてしまえば愚かな過ちで

あっても正しいことが間違っていると捻じ曲げられてしまう。

今現在過ごしている時間が過去にあった時間と多少狂っている事に

誰も気づかず錯覚を起こしている。

正解の時刻は人間の手によって時計の針が修正される。

時間がねじ伏せられ今までとなんら変わりのない歯車が一定の速度で動いている。

今精確な時刻はいったい何時なのだろうか…?

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