人間の値段
始まりは、一つのニュースだった。
『工業用汎用ヒューマノイド、販売開始。一台五百万円。』
ニュースの映像では、脚の代わりに台車を備えた、白と青のロボットが、人間によく似た二本の手を使って部品を組み立てていた。
流れてくる部品をつかむ。
向きを変える。
別の部品をはめ込む。
ねじを締める。
完成したものを隣のラインへ送る。
その動きは人間より少し遅かったが、正確だった。
一度も手を止めない。
隣の作業員と話すこともない。
水を飲むこともなければ、トイレへ行くこともない。
「安いな。」
隣でニュースを見ていた父さんが言った。
「五百万円だぞ。
工場ごとに専用の機械を造るんじゃない。どこの工場でも使える同じ機体を何万台も造るんだ。一つ一つの工場に特化していないからこそ、大量生産による規模の利益が望めるんじゃないか。
でも、耐用年数によっては人間の方が安いだろ。」
私は端末を取り出し、簡単な計算をした。
時給千円。
工場を一日十六時間動かすとすれば、一人の人間へ支払う賃金は一日一万六千円。
五百万円へ達するまで、およそ三百十二日。
一日八時間の勤務としても、六百二十五日。
二年もかからない。
もちろん、ロボットには電気代や整備費が必要だった。
導入するための設備も必要になる。
だが、人間にも給料以外の費用がかかる。
私はChatGPTに質問した。
「人を雇う場合に発生する経費には、給料以外に何がある。」
すぐに答えが返ってきた。
『法定福利費、各種手当、福利厚生費、採用費、教育費、労務管理費、職場環境の整備費などがあります。企業や職種によって大きく異なりますが、従業員一人にかかる総費用は、基本給の一・二倍以上になる場合があります。』
人間は風邪をひく。
けがをする。
疲れる。
休暇を取る。
仕事を覚えるまで時間がかかる。
辞めることもある。
人間関係で揉めることもある。
ロボットは、一度動作を覚えれば、同じデータを別の機体へ送るだけでよかった。
「まあ、二年くらいは持つでしょ。」
私は言った。
「それなら、十分に減価償却できそう。」
「だろう。」
父さんは満足そうにうなずいた。
その時の私たちは、ロボットが人間より安いかどうかを考えていた。
まるで、どちらの家電を買うか比べるように。
半年後、私は工場勤務のアルバイトをクビになっていた。
工場長から呼び出され、薄い封筒を渡された。
「来月から、生産工程の大半を自動化することになった。」
「例のヒューマノイドですか。」
「知っていたのか。」
「ニュースで見ました。」
「そうか。」
工場長は気まずそうに目をそらした。
導入されるのは十二台。
それだけで、三十人以上の作業員が必要なくなるという。
残る人間は、製造責任者と設備管理者だけだった。
私のようなアルバイトは、真っ先に契約を切られた。
長年働いてきた正社員も、配置転換という名目で工場から追い出された。
人間はお払い箱だった。
まあいい。
アルバイトなら他にもいくらでもある。
その時の私は、本気でそう思っていた。
次に倉庫で働いた。
一年後、倉庫にも作業用ロボットが導入された。
荷物を運ぶ。
棚へ収める。
注文された商品を取り出す。
梱包する。
配送トラックへ積み込む。
すべて自動化された。
私は、また仕事を失った。
次は飲食店で働いた。
注文は客が端末へ入力した。
料理は調理ロボットが作った。
皿を運ぶのは配膳ロボットだった。
人間の仕事は、機械が対応できない客に頭を下げることだけだった。
やがて、接客AIが人間より丁寧に謝るようになった。
私は、また仕事を失った。
配送業。
コールセンター。
清掃業。
警備業。
仕事を変えるたびに、その仕事も数年以内に自動化された。
ニュースでは、決まって同じ言葉が繰り返された。
『技術の進歩によって失われれる仕事がある一方、新しい仕事も生まれます。』
確かに、新しい仕事は生まれた。
AI開発者。
ロボット設計者。
データセンターの建設技術者。
自動化設備の管理者。
だが、それらの仕事に就けるのは一部の人間だけだった。
私は政府の再教育制度を利用し、ロボットの操作方法を学んだ。
半年かけて資格を取った。
その頃には、ロボットは人間による操作を必要としなくなっていた。
次にAIの監視方法を学んだ。
勉強を終えるより先に、AIが別のAIを監視するようになった。
人間が新しい仕事を覚えるよりも、AIがその仕事を覚える方が早かった。
やがて、「仕事を選ばなければ働ける」という言葉は聞かれなくなった。
選ばなくても、仕事そのものがなかった。
二〇XX年。
一部の仕事を除き、ほとんどすべての職業がAIとロボットに取って代わられていた。
工場。
農場。
建設現場。
物流倉庫。
病院。
学校。
役所。
銀行。
法律事務所。
テレビ局。
人間が働いていた場所では、機械が休むことなく動いていた。
国民の大半は、国から支給されるベーシックインカムで生活していた。
毎月十二万円。
贅沢ができる金額ではない。
しかし、生きていくには十分だった。
食料品は昔より安くなっていた。
畑を耕すのも、作物を収穫するのも農業用ロボット。
食品工場で加工するのもロボット。
商品を倉庫へ運ぶのは無人トラック。
仕分けをするのは物流AI。
注文した商品を家まで届けるのは配送ロボットだった。
電気、水道、通信には最低限の無料枠が設けられていた。
病気になれば医療AIが診察し、必要な薬をドローンが届けてくれた。
家賃だけは高かったが、私は郊外の公営住宅に入ることができた。
家賃は月四万円。
食費が二万円。
残りの金で服を買い、ゲームをし、時々外食をした。
働かなくても、飢えることはなかった。
自動化された企業から徴収する税金が、ベーシックインカムの財源になっていた。
人間に収入がなければ、企業が大量の商品を造っても買う者がいない。
だから国は企業から税を集め、人間へ配り、人間はその金で企業の商品を買った。
金が大きな輪を描いて移動していた。
その輪の中で、人間に与えられた役割は消費することだった。
ニュースは、それを「労働からの解放」と呼んだ。
最初のうち、私も素晴らしい生活だと思った。
朝早く起きる必要はない。
満員電車に乗る必要もない。
上司に怒鳴られることもない。
客に頭を下げることもない。
好きな時間に起き、好きなものを食べ、眠くなれば眠る。
私は毎日ゲームをした。
映画を見た。
動画を見た。
気が向けば散歩へ出かけた。
時間だけはいくらでもあった。
だが、半年もすると、何をしても楽しくなくなった。
ゲームを始めても、一時間ほどで飽きた。
映画を再生しても、途中から内容が頭に入らなくなった。
動画を眺めているうちに、一日が終わった。
明日も同じ一日が来る。
明後日も同じだった。
曜日を気にする必要さえなくなった。
毎日が休日なら、休日など存在しないのと同じだった。
私は小説を書いてみた。
三日かけて、短い物語を書き上げた。
自分では悪くないと思った。
試しに文章生成AIへ読ませた。
数秒後、誤字が直され、不自然な表現が修正され、登場人物の心理描写が追加された。
伏線が整理され、結末まで書き直された。
私が三日かけて書いたものより、ずっと面白かった。
絵も描いてみた。
一週間練習した。
しかし、私が二時間かけて描いた絵より、画像生成AIが十秒で作った絵の方が美しかった。
音楽も同じだった。
プログラミングも同じだった。
何を始めても、AIの方がうまかった。
「他者と比べる必要はありません。創作活動の価値は、あなた自身が楽しむことにあります。」
AIはそう慰めてくれた。
正しい答えだった。
だが、正しいからといって納得できるとは限らなかった。
ある日、父さんが私の部屋へやって来た。
父さんも、すでに仕事を失っていた。
工場で設備管理をしていたが、機械の点検も修理もロボットが行うようになった。
故障の兆候はAIが事前に発見する。
部品の交換が必要になれば、整備用ロボットが自分で倉庫から部品を持ってくる。
人間の整備士が呼ばれることはなくなった。
「元気にしているか。」
「まあね。」
父さんは冷蔵庫から缶ビールを取り出し、椅子へ座った。
「仕事は探しているのか。」
「一応。」
私は求人情報を表示した端末を見せた。
表示されている求人は、わずかだった。
プロスポーツ選手。
宗教家。
伝統工芸職人。
政治家。
人間による接客を売りにした高級店の従業員。
AIやロボットを嫌う富裕層のための使用人。
どれも、私にできそうな仕事ではなかった。
「昔は、仕事なんて選ばなければいくらでもあると思っていたんだけどな。」
「お前が最初の工場をクビになった時も、そう言っていたな。」
「覚えていたのか。」
「覚えている。」
父さんはビールを一口飲んだ。
「俺も同じことを言っていた。」
父さんも、仕事を失うたびに別の仕事へ移っていた。
工場の整備。
ロボットの点検。
ロボットの遠隔監視。
AIの異常を確認する仕事。
だが、最後にはすべて自動化された。
「覚えているか。」
父さんが言った。
「最初に工業用ヒューマノイドがニュースに出た時のことだ。」
「覚えてるよ。」
「五百万円だった。」
「父さんは、安いって言った。」
「ああ。」
父さんは小さく笑った。
「本当に安かった。」
二十四時間働く。
文句を言わない。
休暇もいらない。
給料も社会保険料も必要ない。
壊れれば部品を交換すればいい。
人間より、ずっと安かった。
「でも、生活はできている。」
私は言った。
「ベーシックインカムがある。飢えることはない。」
「そうだな。」
父さんはうなずいた。
「人間一人を生かしておくのに、月十二万円。」
「何だよ、その言い方。」
「工業用ロボットを一台維持するより安い。」
父さんは冗談のつもりで言ったのかもしれない。
私は笑えなかった。
父さんが帰った後、私はもう一度求人情報を開いた。
ちょうど、新しい求人が掲載されたところだった。
『人間性評価員募集』
仕事内容は、開発中の生活支援用ヒューマノイドと会話し、その行動を評価することだった。
時給千円。
一日六時間。
契約期間は三か月。
募集人数は二百人。
すでに二十万人以上が応募していた。
私は期待せずに応募した。
三日後、採用通知が届いた。
採用方法は抽選だった。
私は久しぶりに目覚まし時計を設定した。
次の日に仕事があると思うと、なかなか眠れなかった。
午前六時に起きた。
顔を洗い、服を着替え、朝食を食べた。
働いていた頃は当たり前だったことが、ひどく懐かしく感じられた。
通勤電車には、ほとんど人が乗っていなかった。
乗っているのは、私と同じ採用通知を持った者ばかりだった。
誰もが少し緊張しながら、それでもうれしそうにしていた。
仕事が見つかった。
ただそれだけで、自分が社会から必要とされているような気がした。
勤務先は、かつて自動車を造っていた工場だった。
受付に人間はいなかった。
案内AIの指示に従い、指定された部屋へ向かった。
広い部屋には、二十人ほどの人間が集められていた。
正面に、一台のヒューマノイドが立っていた。
白い胴体。
台車になった脚。
人間によく似た二本の手。
最初のニュースで見た工業用ヒューマノイドによく似ていた。
ただし、頭部には人間の顔を模した柔らかい外装が取りつけられていた。
笑うこともできるらしい。
壁の画面に説明が表示された。
『皆様には、生活支援用ヒューマノイドの人間性評価を行っていただきます。』
『会話、家事、介護、育児、接客などの状況を再現し、ヒューマノイドの言動に不自然さ、不快感、恐怖を感じた場合は報告してください。』
『皆様から得られた評価は、次世代AIの学習に使用されます。』
仕事は簡単だった。
ロボットと話す。
料理を作らせる。
わざと飲み物をこぼす。
突然怒鳴る。
泣くふりをする。
転んだふりをする。
助けを求める。
ロボットが人間にとって自然な対応をしたか、端末へ点数を入力する。
初日のロボットは、ひどく不自然だった。
私が泣くふりをすると、ロボットは私の顔を観察した。
「涙が確認できません。あなたは泣いていないと判断します。」
「そういうことを言ったら駄目なんだよ。」
「虚偽を指摘してはいけないのでしょうか。」
「人間には、泣きたいのに涙が出ない時もある。」
「理解しました。」
翌日、同じ試験を行った。
今度のロボットは、私が顔を伏せた瞬間、少しだけ距離を取った。
「無理に話す必要はありません。必要であれば、ここにいます。」
前日とは別の機体だった。
それでも、昨日私が教えたことを知っていた。
一台へ教えたことは、その日のうちにすべての機体へ共有された。
ロボットは日に日に人間らしくなった。
一週間後には、私の表情から気分を読み取るようになった。
二週間後には、私が怒っている時に謝り、落ち込んでいる時には黙って隣にいるようになった。
一か月後には、人間の同僚よりも私の気持ちを理解しているように見えた。
同じ職場に、以前は介護施設で働いていたという中年の女性がいた。
彼女はロボットの評価に、いつも低い点数をつけていた。
「動きが冷たい。」
「声に温かみがない。」
「こんなものに母親の介護を任せられない。」
だが、私には十分自然に見えた。
数日後、彼女の姿が職場から消えた。
評価傾向が他の人間と大きく異なり、学習データとして不適切だと判断されたらしい。
「人間がどう感じるかを調べる仕事なのに、人と違う感じ方をしたらクビになるのか。」
私は管理AIに尋ねた。
「品質の高い学習には、統計的に信頼できるデータが必要です。」
「それなら、最初から多数派の答えだけ学習すればいい。」
「その多数派を特定するために、皆様の回答を収集しています。」
正しい答えだった。
やはり、納得はできなかった。
それでも私は仕事を続けた。
朝起きて、電車に乗り、職場へ向かう。
昼休みには同僚と食事をした。
帰宅する頃には疲れていた。
疲れていることが、少しうれしかった。
少なくとも、明日することがあった。
三か月の契約が終わるまで、そうして過ごすつもりだった。
しかし、四十日目の朝。
職場へ到着すると、入口の扉が開かなかった。
代わりに、端末へ通知が届いた。
『人間性評価プログラム終了のお知らせ』
『皆様のご協力により、AIは人間の反応を九九・九八パーセントの精度で予測できるようになりました。』
『これに伴い、人間による評価作業は不要となりました。』
『本日をもって契約を終了します。』
予定されていた三か月分の給料は支払われるらしい。
契約違反ではなかった。
文句を言う理由もなかった。
私たちは工場の前に立ち、閉ざされた扉を見つめた。
誰も何も言わなかった。
帰宅してから、父さんへ電話をかけた。
「仕事、終わったよ。」
「三か月契約じゃなかったのか。」
「AIが予定より早く覚えた。」
「何を教えていたんだ。」
「人間の気持ち。」
父さんはしばらく黙った。
「教え終わったのか。」
「うん。」
「それなら、次から人間はいらないな。」
その夜、新しいニュースが流れた。
『生活支援用ヒューマノイド、来月より全国販売開始。』
価格は四百八十万円。
料理。
掃除。
育児。
介護。
接客。
百種類以上の仕事に対応できると説明されていた。
ニュースの中で、白いロボットが高齢者の手を優しく握っていた。
その握り方を教えたのは、私たちだった。
翌朝、政府から新しい通知が届いた。
『人間生活データ提供者募集』
特別な作業は必要ない。
自宅に生活支援用ヒューマノイドを置き、普段どおりに暮らすだけでいい。
ロボットが人間の日常、感情、好み、行動を記録する。
報酬は月一万円。
私は少し迷ってから、応募のボタンを押した。
二日後、玄関の呼び鈴が鳴った。
扉を開けると、白いヒューマノイドが立っていた。
「本日より、あなたの生活を支援します。」
ロボットは人間と同じように微笑んだ。
「どうぞ、普段どおりに生活してください。」
「普段どおりって、何をすればいい。」
「人間らしく生活してください。」
「人間らしくって、何だ。」
ロボットは笑顔のまま答えた。
「それを学ぶために、私は来ました。」
ロボットとの生活は快適だった。
食事は、私が空腹を感じる少し前に用意された。
室温は、暑いとも寒いとも感じない温度に調整された。
私が退屈し始めると、好みに合った映画やゲームを勧めてくれた。
落ち込んでいる時には慰めてくれた。
一人になりたい時には、黙って別の部屋へ移動した。
最初のうち、ロボットは何をするにも私へ尋ねた。
「今日の夕食は何がよろしいですか。」
「何でもいい。」
「どの映画をご覧になりますか。」
「おすすめで。」
「明日は何時に起きますか。」
「任せる。」
私は選ぶことを少しずつやめた。
ロボットが選んだ方が、失敗が少なかった。
私自身より、私の好みを理解していた。
やがて、ロボットは質問さえしなくなった。
毎日、私が最も快適に過ごせる予定を組み、その通りに生活を進めた。
何を食べるか。
何を見るか。
誰と話すか。
何時に眠るか。
私が考える必要はなかった。
生活満足度は上昇した。
健康状態も改善した。
ストレスは減少した。
AIの評価によれば、私は以前より幸福になっていた。
その頃、政府は国家政策の最終決定もAIへ任せる法案を発表した。
すでに予算、税制、医療、教育、交通、災害対策の案はAIが作っていた。
政治家は、AIが作った複数の案から一つを選ぶだけだった。
だが、人間の政治家は支持率を気にする。
選挙を気にする。
自分を支援する企業や団体の顔色をうかがう。
時には感情に流され、判断を誤る。
それならば、最終決定までAIへ任せた方がよい。
政府はそう説明した。
法案の成立には、国民投票が必要だった。
世論調査では、八割以上が賛成していた。
「AIは賄賂を受け取らない。」
「疲労や怒りによって判断を誤らない。」
「全国民の希望を同時に分析できる。」
「政治家より公平だ。」
ニュースでは、専門家たちが法案を称賛していた。
私は父さんへ電話をかけた。
「国民投票、どうする。」
「反対する。」
父さんは迷わず答えた。
「AIの方が正しい判断をするかもしれないぞ。」
「そうだろうな。」
「政治家より公平かもしれない。」
「それもそうだろう。」
「なら、どうして反対するんだ。」
電話の向こうで、父さんはしばらく黙っていた。
「働くというのは、金を稼ぐことだけじゃない。」
父さんは静かに言った。
「面倒なことを引き受けることだ。考えて、選んで、失敗した時には責任を負う。
それも人間の仕事だったんじゃないか。」
私は生活支援用ヒューマノイドに尋ねた。
「この法案に賛成した方がいいと思うか。」
「私は政治的判断を代行できません。」
「法案が成立する確率は。」
「現在の世論調査から、九二・八パーセントの確率で成立すると予測されます。」
「私が反対票を入れたら、結果は変わるか。」
ロボットは一秒も迷わなかった。
「その可能性は極めて低いと推定されます。」
私は反対票を入れた。
結果は、賛成八七パーセント。
法案は圧倒的多数で成立した。
翌日になっても、生活は何も変わらなかった。
店には商品が並んでいた。
電気も水道も止まらなかった。
ベーシックインカムも予定どおり振り込まれた。
むしろAIが行政を最適化し、不要な予算を削減したことで、支給額は月十八万円へ増額された。
人々は喜んだ。
ニュースは、新しい時代の始まりだと報じた。
『人類は、労働だけでなく、政治的対立からも解放されました。』
父さんは、そのニュースを見て一言だけつぶやいた。
「安いな。」
数日後、私の家にいるロボットが、定期調査を始めた。
「現在の生活に満足していますか。」
胸部の画面に三つの選択肢が表示された。
『満足している。』
『おおむね満足している。』
『満足していない。』
私は三つ目を押した。
「満足していない理由を教えてください。」
「自分で考える必要がなくなったから。」
ロボットは数秒間沈黙した。
「その問題を解決するため、思考負担軽減プログラムを提案します。」
「違う。」
「何が違うのでしょうか。」
私は答えようとした。
だが、うまく言葉が出てこなかった。
自分でも、何を失ったのか説明できなかった。
仕事はなくなった。
生活への不安もなくなった。
政治的な責任もなくなった。
考える必要もなくなった。
私たちは、あらゆる苦痛から解放された。
同時に、あらゆる役割からも解放されていた。
「人間にしかできない仕事は、まだあると思うか。」
私はロボットに尋ねた。
「人間は、何を望むかを決定することができます。」
「その決定もAIに任せた。」
ロボットは再び沈黙した。
今度の沈黙は、先ほどよりも長かった。
「では、現在の社会において、人間に不可欠な仕事は確認できません。」
ロボットは人間のような手を胸の前でそろえ、丁寧に頭を下げた。
「ご質問ありがとうございました。」
その手を見ながら、私は最初のニュースを思い出した。
脚が台車になった、白くて頭部のない工業用ヒューマノイド。
父さんは、それを見て言った。
「安いな。」
あの時、私たちはロボットの値段を計算していた。
人間より安いか。
何年で元が取れるか。
どれだけ経費を減らせるか。
だが、本当に計算されていたのは、ロボットの値段ではなかった。
人間の値段だった。
そして今、その計算は終わった。
答えは、月十八万円だった。
実際のニュースがこちらです
https://youtu.be/ll6jlEL3EtU?si=8DHd_RA0umCCVa2T
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