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人間の値段

作者: 山口祐輝
掲載日:2026/08/06

始まりは、一つのニュースだった。

『工業用汎用ヒューマノイド、販売開始。一台五百万円。』

ニュースの映像では、脚の代わりに台車を備えた、白と青のロボットが、人間によく似た二本の手を使って部品を組み立てていた。

流れてくる部品をつかむ。

向きを変える。

別の部品をはめ込む。

ねじを締める。

完成したものを隣のラインへ送る。

その動きは人間より少し遅かったが、正確だった。

一度も手を止めない。

隣の作業員と話すこともない。

水を飲むこともなければ、トイレへ行くこともない。

「安いな。」

隣でニュースを見ていた父さんが言った。

「五百万円だぞ。

工場ごとに専用の機械を造るんじゃない。どこの工場でも使える同じ機体を何万台も造るんだ。一つ一つの工場に特化していないからこそ、大量生産による規模の利益が望めるんじゃないか。

でも、耐用年数によっては人間の方が安いだろ。」

私は端末を取り出し、簡単な計算をした。

時給千円。

工場を一日十六時間動かすとすれば、一人の人間へ支払う賃金は一日一万六千円。

五百万円へ達するまで、およそ三百十二日。

一日八時間の勤務としても、六百二十五日。

二年もかからない。

もちろん、ロボットには電気代や整備費が必要だった。

導入するための設備も必要になる。

だが、人間にも給料以外の費用がかかる。

私はChatGPTに質問した。

「人を雇う場合に発生する経費には、給料以外に何がある。」

すぐに答えが返ってきた。

『法定福利費、各種手当、福利厚生費、採用費、教育費、労務管理費、職場環境の整備費などがあります。企業や職種によって大きく異なりますが、従業員一人にかかる総費用は、基本給の一・二倍以上になる場合があります。』

人間は風邪をひく。

けがをする。

疲れる。

休暇を取る。

仕事を覚えるまで時間がかかる。

辞めることもある。

人間関係で揉めることもある。

ロボットは、一度動作を覚えれば、同じデータを別の機体へ送るだけでよかった。

「まあ、二年くらいは持つでしょ。」

私は言った。

「それなら、十分に減価償却できそう。」

「だろう。」

父さんは満足そうにうなずいた。

その時の私たちは、ロボットが人間より安いかどうかを考えていた。

まるで、どちらの家電を買うか比べるように。

半年後、私は工場勤務のアルバイトをクビになっていた。

工場長から呼び出され、薄い封筒を渡された。

「来月から、生産工程の大半を自動化することになった。」

「例のヒューマノイドですか。」

「知っていたのか。」

「ニュースで見ました。」

「そうか。」

工場長は気まずそうに目をそらした。

導入されるのは十二台。

それだけで、三十人以上の作業員が必要なくなるという。

残る人間は、製造責任者と設備管理者だけだった。

私のようなアルバイトは、真っ先に契約を切られた。

長年働いてきた正社員も、配置転換という名目で工場から追い出された。

人間はお払い箱だった。

まあいい。

アルバイトなら他にもいくらでもある。

その時の私は、本気でそう思っていた。

次に倉庫で働いた。

一年後、倉庫にも作業用ロボットが導入された。

荷物を運ぶ。

棚へ収める。

注文された商品を取り出す。

梱包する。

配送トラックへ積み込む。

すべて自動化された。

私は、また仕事を失った。

次は飲食店で働いた。

注文は客が端末へ入力した。

料理は調理ロボットが作った。

皿を運ぶのは配膳ロボットだった。

人間の仕事は、機械が対応できない客に頭を下げることだけだった。

やがて、接客AIが人間より丁寧に謝るようになった。

私は、また仕事を失った。

配送業。

コールセンター。

清掃業。

警備業。

仕事を変えるたびに、その仕事も数年以内に自動化された。

ニュースでは、決まって同じ言葉が繰り返された。

『技術の進歩によって失われれる仕事がある一方、新しい仕事も生まれます。』

確かに、新しい仕事は生まれた。

AI開発者。

ロボット設計者。

データセンターの建設技術者。

自動化設備の管理者。

だが、それらの仕事に就けるのは一部の人間だけだった。

私は政府の再教育制度を利用し、ロボットの操作方法を学んだ。

半年かけて資格を取った。

その頃には、ロボットは人間による操作を必要としなくなっていた。

次にAIの監視方法を学んだ。

勉強を終えるより先に、AIが別のAIを監視するようになった。

人間が新しい仕事を覚えるよりも、AIがその仕事を覚える方が早かった。

やがて、「仕事を選ばなければ働ける」という言葉は聞かれなくなった。

選ばなくても、仕事そのものがなかった。

二〇XX年。

一部の仕事を除き、ほとんどすべての職業がAIとロボットに取って代わられていた。

工場。

農場。

建設現場。

物流倉庫。

病院。

学校。

役所。

銀行。

法律事務所。

テレビ局。

人間が働いていた場所では、機械が休むことなく動いていた。

国民の大半は、国から支給されるベーシックインカムで生活していた。

毎月十二万円。

贅沢ができる金額ではない。

しかし、生きていくには十分だった。

食料品は昔より安くなっていた。

畑を耕すのも、作物を収穫するのも農業用ロボット。

食品工場で加工するのもロボット。

商品を倉庫へ運ぶのは無人トラック。

仕分けをするのは物流AI。

注文した商品を家まで届けるのは配送ロボットだった。

電気、水道、通信には最低限の無料枠が設けられていた。

病気になれば医療AIが診察し、必要な薬をドローンが届けてくれた。

家賃だけは高かったが、私は郊外の公営住宅に入ることができた。

家賃は月四万円。

食費が二万円。

残りの金で服を買い、ゲームをし、時々外食をした。

働かなくても、飢えることはなかった。

自動化された企業から徴収する税金が、ベーシックインカムの財源になっていた。

人間に収入がなければ、企業が大量の商品を造っても買う者がいない。

だから国は企業から税を集め、人間へ配り、人間はその金で企業の商品を買った。

金が大きな輪を描いて移動していた。

その輪の中で、人間に与えられた役割は消費することだった。

ニュースは、それを「労働からの解放」と呼んだ。

最初のうち、私も素晴らしい生活だと思った。

朝早く起きる必要はない。

満員電車に乗る必要もない。

上司に怒鳴られることもない。

客に頭を下げることもない。

好きな時間に起き、好きなものを食べ、眠くなれば眠る。

私は毎日ゲームをした。

映画を見た。

動画を見た。

気が向けば散歩へ出かけた。

時間だけはいくらでもあった。

だが、半年もすると、何をしても楽しくなくなった。

ゲームを始めても、一時間ほどで飽きた。

映画を再生しても、途中から内容が頭に入らなくなった。

動画を眺めているうちに、一日が終わった。

明日も同じ一日が来る。

明後日も同じだった。

曜日を気にする必要さえなくなった。

毎日が休日なら、休日など存在しないのと同じだった。

私は小説を書いてみた。

三日かけて、短い物語を書き上げた。

自分では悪くないと思った。

試しに文章生成AIへ読ませた。

数秒後、誤字が直され、不自然な表現が修正され、登場人物の心理描写が追加された。

伏線が整理され、結末まで書き直された。

私が三日かけて書いたものより、ずっと面白かった。

絵も描いてみた。

一週間練習した。

しかし、私が二時間かけて描いた絵より、画像生成AIが十秒で作った絵の方が美しかった。

音楽も同じだった。

プログラミングも同じだった。

何を始めても、AIの方がうまかった。

「他者と比べる必要はありません。創作活動の価値は、あなた自身が楽しむことにあります。」

AIはそう慰めてくれた。

正しい答えだった。

だが、正しいからといって納得できるとは限らなかった。

ある日、父さんが私の部屋へやって来た。

父さんも、すでに仕事を失っていた。

工場で設備管理をしていたが、機械の点検も修理もロボットが行うようになった。

故障の兆候はAIが事前に発見する。

部品の交換が必要になれば、整備用ロボットが自分で倉庫から部品を持ってくる。

人間の整備士が呼ばれることはなくなった。

「元気にしているか。」

「まあね。」

父さんは冷蔵庫から缶ビールを取り出し、椅子へ座った。

「仕事は探しているのか。」

「一応。」

私は求人情報を表示した端末を見せた。

表示されている求人は、わずかだった。

プロスポーツ選手。

宗教家。

伝統工芸職人。

政治家。

人間による接客を売りにした高級店の従業員。

AIやロボットを嫌う富裕層のための使用人。

どれも、私にできそうな仕事ではなかった。

「昔は、仕事なんて選ばなければいくらでもあると思っていたんだけどな。」

「お前が最初の工場をクビになった時も、そう言っていたな。」

「覚えていたのか。」

「覚えている。」

父さんはビールを一口飲んだ。

「俺も同じことを言っていた。」

父さんも、仕事を失うたびに別の仕事へ移っていた。

工場の整備。

ロボットの点検。

ロボットの遠隔監視。

AIの異常を確認する仕事。

だが、最後にはすべて自動化された。

「覚えているか。」

父さんが言った。

「最初に工業用ヒューマノイドがニュースに出た時のことだ。」

「覚えてるよ。」

「五百万円だった。」

「父さんは、安いって言った。」

「ああ。」

父さんは小さく笑った。

「本当に安かった。」

二十四時間働く。

文句を言わない。

休暇もいらない。

給料も社会保険料も必要ない。

壊れれば部品を交換すればいい。

人間より、ずっと安かった。

「でも、生活はできている。」

私は言った。

「ベーシックインカムがある。飢えることはない。」

「そうだな。」

父さんはうなずいた。

「人間一人を生かしておくのに、月十二万円。」

「何だよ、その言い方。」

「工業用ロボットを一台維持するより安い。」

父さんは冗談のつもりで言ったのかもしれない。

私は笑えなかった。

父さんが帰った後、私はもう一度求人情報を開いた。

ちょうど、新しい求人が掲載されたところだった。

『人間性評価員募集』

仕事内容は、開発中の生活支援用ヒューマノイドと会話し、その行動を評価することだった。

時給千円。

一日六時間。

契約期間は三か月。

募集人数は二百人。

すでに二十万人以上が応募していた。

私は期待せずに応募した。

三日後、採用通知が届いた。

採用方法は抽選だった。

私は久しぶりに目覚まし時計を設定した。

次の日に仕事があると思うと、なかなか眠れなかった。

午前六時に起きた。

顔を洗い、服を着替え、朝食を食べた。

働いていた頃は当たり前だったことが、ひどく懐かしく感じられた。

通勤電車には、ほとんど人が乗っていなかった。

乗っているのは、私と同じ採用通知を持った者ばかりだった。

誰もが少し緊張しながら、それでもうれしそうにしていた。

仕事が見つかった。

ただそれだけで、自分が社会から必要とされているような気がした。

勤務先は、かつて自動車を造っていた工場だった。

受付に人間はいなかった。

案内AIの指示に従い、指定された部屋へ向かった。

広い部屋には、二十人ほどの人間が集められていた。

正面に、一台のヒューマノイドが立っていた。

白い胴体。

台車になった脚。

人間によく似た二本の手。

最初のニュースで見た工業用ヒューマノイドによく似ていた。

ただし、頭部には人間の顔を模した柔らかい外装が取りつけられていた。

笑うこともできるらしい。

壁の画面に説明が表示された。

『皆様には、生活支援用ヒューマノイドの人間性評価を行っていただきます。』

『会話、家事、介護、育児、接客などの状況を再現し、ヒューマノイドの言動に不自然さ、不快感、恐怖を感じた場合は報告してください。』

『皆様から得られた評価は、次世代AIの学習に使用されます。』

仕事は簡単だった。

ロボットと話す。

料理を作らせる。

わざと飲み物をこぼす。

突然怒鳴る。

泣くふりをする。

転んだふりをする。

助けを求める。

ロボットが人間にとって自然な対応をしたか、端末へ点数を入力する。

初日のロボットは、ひどく不自然だった。

私が泣くふりをすると、ロボットは私の顔を観察した。

「涙が確認できません。あなたは泣いていないと判断します。」

「そういうことを言ったら駄目なんだよ。」

「虚偽を指摘してはいけないのでしょうか。」

「人間には、泣きたいのに涙が出ない時もある。」

「理解しました。」

翌日、同じ試験を行った。

今度のロボットは、私が顔を伏せた瞬間、少しだけ距離を取った。

「無理に話す必要はありません。必要であれば、ここにいます。」

前日とは別の機体だった。

それでも、昨日私が教えたことを知っていた。

一台へ教えたことは、その日のうちにすべての機体へ共有された。

ロボットは日に日に人間らしくなった。

一週間後には、私の表情から気分を読み取るようになった。

二週間後には、私が怒っている時に謝り、落ち込んでいる時には黙って隣にいるようになった。

一か月後には、人間の同僚よりも私の気持ちを理解しているように見えた。

同じ職場に、以前は介護施設で働いていたという中年の女性がいた。

彼女はロボットの評価に、いつも低い点数をつけていた。

「動きが冷たい。」

「声に温かみがない。」

「こんなものに母親の介護を任せられない。」

だが、私には十分自然に見えた。

数日後、彼女の姿が職場から消えた。

評価傾向が他の人間と大きく異なり、学習データとして不適切だと判断されたらしい。

「人間がどう感じるかを調べる仕事なのに、人と違う感じ方をしたらクビになるのか。」

私は管理AIに尋ねた。

「品質の高い学習には、統計的に信頼できるデータが必要です。」

「それなら、最初から多数派の答えだけ学習すればいい。」

「その多数派を特定するために、皆様の回答を収集しています。」

正しい答えだった。

やはり、納得はできなかった。

それでも私は仕事を続けた。

朝起きて、電車に乗り、職場へ向かう。

昼休みには同僚と食事をした。

帰宅する頃には疲れていた。

疲れていることが、少しうれしかった。

少なくとも、明日することがあった。

三か月の契約が終わるまで、そうして過ごすつもりだった。

しかし、四十日目の朝。

職場へ到着すると、入口の扉が開かなかった。

代わりに、端末へ通知が届いた。

『人間性評価プログラム終了のお知らせ』

『皆様のご協力により、AIは人間の反応を九九・九八パーセントの精度で予測できるようになりました。』

『これに伴い、人間による評価作業は不要となりました。』

『本日をもって契約を終了します。』

予定されていた三か月分の給料は支払われるらしい。

契約違反ではなかった。

文句を言う理由もなかった。

私たちは工場の前に立ち、閉ざされた扉を見つめた。

誰も何も言わなかった。

帰宅してから、父さんへ電話をかけた。

「仕事、終わったよ。」

「三か月契約じゃなかったのか。」

「AIが予定より早く覚えた。」

「何を教えていたんだ。」

「人間の気持ち。」

父さんはしばらく黙った。

「教え終わったのか。」

「うん。」

「それなら、次から人間はいらないな。」

その夜、新しいニュースが流れた。

『生活支援用ヒューマノイド、来月より全国販売開始。』

価格は四百八十万円。

料理。

掃除。

育児。

介護。

接客。

百種類以上の仕事に対応できると説明されていた。

ニュースの中で、白いロボットが高齢者の手を優しく握っていた。

その握り方を教えたのは、私たちだった。

翌朝、政府から新しい通知が届いた。

『人間生活データ提供者募集』

特別な作業は必要ない。

自宅に生活支援用ヒューマノイドを置き、普段どおりに暮らすだけでいい。

ロボットが人間の日常、感情、好み、行動を記録する。

報酬は月一万円。

私は少し迷ってから、応募のボタンを押した。

二日後、玄関の呼び鈴が鳴った。

扉を開けると、白いヒューマノイドが立っていた。

「本日より、あなたの生活を支援します。」

ロボットは人間と同じように微笑んだ。

「どうぞ、普段どおりに生活してください。」

「普段どおりって、何をすればいい。」

「人間らしく生活してください。」

「人間らしくって、何だ。」

ロボットは笑顔のまま答えた。

「それを学ぶために、私は来ました。」

ロボットとの生活は快適だった。

食事は、私が空腹を感じる少し前に用意された。

室温は、暑いとも寒いとも感じない温度に調整された。

私が退屈し始めると、好みに合った映画やゲームを勧めてくれた。

落ち込んでいる時には慰めてくれた。

一人になりたい時には、黙って別の部屋へ移動した。

最初のうち、ロボットは何をするにも私へ尋ねた。

「今日の夕食は何がよろしいですか。」

「何でもいい。」

「どの映画をご覧になりますか。」

「おすすめで。」

「明日は何時に起きますか。」

「任せる。」

私は選ぶことを少しずつやめた。

ロボットが選んだ方が、失敗が少なかった。

私自身より、私の好みを理解していた。

やがて、ロボットは質問さえしなくなった。

毎日、私が最も快適に過ごせる予定を組み、その通りに生活を進めた。

何を食べるか。

何を見るか。

誰と話すか。

何時に眠るか。

私が考える必要はなかった。

生活満足度は上昇した。

健康状態も改善した。

ストレスは減少した。

AIの評価によれば、私は以前より幸福になっていた。

その頃、政府は国家政策の最終決定もAIへ任せる法案を発表した。

すでに予算、税制、医療、教育、交通、災害対策の案はAIが作っていた。

政治家は、AIが作った複数の案から一つを選ぶだけだった。

だが、人間の政治家は支持率を気にする。

選挙を気にする。

自分を支援する企業や団体の顔色をうかがう。

時には感情に流され、判断を誤る。

それならば、最終決定までAIへ任せた方がよい。

政府はそう説明した。

法案の成立には、国民投票が必要だった。

世論調査では、八割以上が賛成していた。

「AIは賄賂を受け取らない。」

「疲労や怒りによって判断を誤らない。」

「全国民の希望を同時に分析できる。」

「政治家より公平だ。」

ニュースでは、専門家たちが法案を称賛していた。

私は父さんへ電話をかけた。

「国民投票、どうする。」

「反対する。」

父さんは迷わず答えた。

「AIの方が正しい判断をするかもしれないぞ。」

「そうだろうな。」

「政治家より公平かもしれない。」

「それもそうだろう。」

「なら、どうして反対するんだ。」

電話の向こうで、父さんはしばらく黙っていた。

「働くというのは、金を稼ぐことだけじゃない。」

父さんは静かに言った。

「面倒なことを引き受けることだ。考えて、選んで、失敗した時には責任を負う。

それも人間の仕事だったんじゃないか。」

私は生活支援用ヒューマノイドに尋ねた。

「この法案に賛成した方がいいと思うか。」

「私は政治的判断を代行できません。」

「法案が成立する確率は。」

「現在の世論調査から、九二・八パーセントの確率で成立すると予測されます。」

「私が反対票を入れたら、結果は変わるか。」

ロボットは一秒も迷わなかった。

「その可能性は極めて低いと推定されます。」

私は反対票を入れた。

結果は、賛成八七パーセント。

法案は圧倒的多数で成立した。

翌日になっても、生活は何も変わらなかった。

店には商品が並んでいた。

電気も水道も止まらなかった。

ベーシックインカムも予定どおり振り込まれた。

むしろAIが行政を最適化し、不要な予算を削減したことで、支給額は月十八万円へ増額された。

人々は喜んだ。

ニュースは、新しい時代の始まりだと報じた。

『人類は、労働だけでなく、政治的対立からも解放されました。』

父さんは、そのニュースを見て一言だけつぶやいた。

「安いな。」

数日後、私の家にいるロボットが、定期調査を始めた。

「現在の生活に満足していますか。」

胸部の画面に三つの選択肢が表示された。

『満足している。』

『おおむね満足している。』

『満足していない。』

私は三つ目を押した。

「満足していない理由を教えてください。」

「自分で考える必要がなくなったから。」

ロボットは数秒間沈黙した。

「その問題を解決するため、思考負担軽減プログラムを提案します。」

「違う。」

「何が違うのでしょうか。」

私は答えようとした。

だが、うまく言葉が出てこなかった。

自分でも、何を失ったのか説明できなかった。

仕事はなくなった。

生活への不安もなくなった。

政治的な責任もなくなった。

考える必要もなくなった。

私たちは、あらゆる苦痛から解放された。

同時に、あらゆる役割からも解放されていた。

「人間にしかできない仕事は、まだあると思うか。」

私はロボットに尋ねた。

「人間は、何を望むかを決定することができます。」

「その決定もAIに任せた。」

ロボットは再び沈黙した。

今度の沈黙は、先ほどよりも長かった。

「では、現在の社会において、人間に不可欠な仕事は確認できません。」

ロボットは人間のような手を胸の前でそろえ、丁寧に頭を下げた。

「ご質問ありがとうございました。」

その手を見ながら、私は最初のニュースを思い出した。

脚が台車になった、白くて頭部のない工業用ヒューマノイド。

父さんは、それを見て言った。

「安いな。」

あの時、私たちはロボットの値段を計算していた。

人間より安いか。

何年で元が取れるか。

どれだけ経費を減らせるか。

だが、本当に計算されていたのは、ロボットの値段ではなかった。

人間の値段だった。

そして今、その計算は終わった。

答えは、月十八万円だった。

実際のニュースがこちらです

https://youtu.be/ll6jlEL3EtU?si=8DHd_RA0umCCVa2T


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― 新着の感想 ―
ニュースも見ました。 風刺小説ですね。題材としては面白く、生成AI含めて一部警鐘を鳴らさなければならない部分はあると思いますし、そこを着いた作品だと思いました。 強いていえば、物語よりは風刺が強いと感…
最初はAIやロボットによって仕事が奪われていく未来の話として読んでいましたが、読み進めるほどに、人間から「必要とされること」や「自分で考えて選ぶこと」まで失われていく怖さを感じました。冒頭の「安いな。…
とても良い作品でした! 人間とロボットが今後どうやって付き合っていくべきか、再び考え直させるような内容で、人類の将来を先行体験できました。 人間は便利になることを良しとしますが、変化のない単調な生活は…
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