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越後の軍神に愛された男〜軍神の正体は女性でした。傍に居続けたのは俺だけです〜  作者: 大夢虎鈴


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第六章 硝石と炎

天文19〜20年(1550〜1551年)



あの夜から、景虎かげとらは何も変わらなかった。


灯真には、それが不思議だった。


翌朝、広間で見た景虎は、前と同じように甲冑を纏い、前と同じように直江なおえと話していた。


灯真が廊下を通ると、一瞬だけ目をやった。


問い質しもしない。距離を置きもしない。


「これまで通り」とは、本当にこれまで通りのことだった。


(……そういうことか)


灯真は炉に向かいながら、そう思った。


あの夜に何があったか。それを景虎が選んだことの意味。


研究者として分析しようとして——やめた。


今は仕事をする時間だった。


---


宇佐美うさみ 定満さだみつに呼ばれたのは、あの夜から三日後だった。


いつもの部屋。いつもの将棋盤。


しかし今日は駒を動かしていなかった。


「座れ」


灯真は向かいに座った。


「火薬の件、才助から聞いた」


「硝石の精製ですか」


「それだけではない。爆風の向きを制御できると言ったそうだな」


「理屈の上では。まだ試していません」


宇佐美が灯真を見た。


「試したいか」


「試せるなら、試したいです」


「何が要る」


灯真は少し考えた。


「土器と竹筒。それと、広い場所」


「広い場所」


「爆発物の実験なので、城の中ではまずい」


宇佐美が小さく笑った。


「当たり前のことを言う男だ」


「当たり前のことを確認しておかないと、後で困るので」


宇佐美が将棋の駒を一つ手に取った。


くるくると指の間で回した。


「灯真、一つ聞いていいか」


「はい」


「お前は何のためにそれをやる」


灯真は答えた。


「役に立ちたいので」


「誰に」


「ここにいる人たちに」


「景虎様に、ではないのか」


灯真は少し考えた。


「景虎様も含めて、ということです」


宇佐美が駒を盤に置いた。


「正直な男だ」


「嘘をついても意味がないので」


「お前がそう言うのは三度目だ」


「同じことしか言えないので」


宇佐美がまた笑った。


「……場所は用意する。直江に話しておく」


---


実験場所は、城から半刻ほど離れた河原だった。


雪が解け始めた頃で、地面が湿っていた。


才助と、もう一人——鋳物師いものし三郎さぶろうという男が手伝いに来た。


三郎は五十がらみの、無口な男だった。


土器と竹筒の加工を頼んだ時、「なぜその形にする」とだけ聞いた。


「爆風を一方向に集中させるためです」


三郎がしばらく考えた。


「……川の流れと同じか」


「近いです。水も、狭いところを通ると勢いが増す」


三郎が頷いた。


それ以上は聞かなかった。


(この人も、職人だ)


灯真はそう思いながら、設計を続けた。


---


一回目の実験は、不発だった。


土器の形が悪かった。爆風が分散してしまった。


灯真は結果を記録した。


才助が「どうする」と聞いた。


「形を変えます」


「何が悪かった」


「底の厚さが均一すぎた。ここを薄くして、こちらを厚くすれば、爆風の向きが変わるはずです」


三郎が横から覗いた。


「鋳型を変えれば一日でできる」


「お願いできますか」


三郎が頷いた。


才助が灯真の記録を見た。


「お前、毎回こんなに書くのか」


「書いておかないと、次に同じ失敗をするので」


才助が首を振った。


「……鍛冶師じゃないのはわかったが、学者でもないな。お前は何者なんだ」


「炎を研究してきた者です」


「それしか言わんな」


「それが一番正確なので」


才助が肩をすくめた。


河原に風が吹いた。


雪解け水が、川を少し増やしていた。


---


二回目の実験は、成功した。


土器が割れて、爆風が一方向に集中した。


向こうの岩が、白く欠けた。


三人が黙っていた。


「……こんなことができるのか」灯真は言った。


才助が振り返った。


「お前が設計したんだろう」


「理屈はわかっていましたが、実際に見ると、やはり違います」


「驚いているのか」


「少し」


才助が苦笑した。


三郎が欠けた岩に近づいて、触った。


「……爆風が集まっている。ここだけが深く削れている」


「はい。形を工夫すれば、もっと精度が上がります」


三郎が灯真を見た。


「……川の流れを読んで、水路を作るのと同じだな」


「そうです」


三郎がしばらく岩を見ていた。


「面白い考え方をする男だ」


才助が「俺もそう思う」と言った。


---


結果を宇佐美に報告すると、宇佐美は将棋盤から顔を上げた。


「うまくいったか」


「二回目で成功しました。精度はまだ低いですが、方向は正しいと思います」


「直江を呼ぶ」


直江が来た。


報告を聞いて、直江は腕を組んだ。


「……城攻めに使えるということか」


「攻めだけでなく、守りにも使えます。城門の前に仕掛けておけば、敵が踏み込んできた時に使える」


「それは」直江が少し考えた。「……なるほど」


「理論はわかっています。ただ材料の制約があって、まだ精度が低い。実戦に使うには、もう少し改良が要ります」


「どれくらいかかる」


「わかりません。やってみないと」


直江が灯真を見た。


「……また同じことを言う」


「今度も正直なだけです」


直江が鼻から息を吐いた。


宇佐美が笑った。


「直江、この男に材料と時間を与えろ。儂が景虎様に話す」


「……わかった」


直江が部屋を出ていった。


宇佐美が灯真を見た。


「お前、火薬の次は何をやる」


「塩を見てみたいと思っています」


「塩」


「越後の塩の精製が非効率だと聞いたので。改良できると思います」


宇佐美が将棋の駒を手に取った。


「お前は何を学んだ男なのだ」


「火と熱を研究していました」


「……炎の声を聞いてここに来た、というのは、あながち嘘でもないな」


宇佐美が駒を盤に置いた。


「行っていい。また来い」


---


春になった。


雪が解けて、城の周りに色が戻ってきた。


灯真は才助の炉と、河原の実験場と、城の記録室を行き来する日々を送っていた。


記録室というのは正式な名前ではなく、灯真が勝手にそう呼んでいる小部屋で、文書や地図が積まれていた。


宇佐美に許可をもらって、そこで計算をするようになっていた。


ある日、その部屋で設計図を書いていると、戸が開いた。


景虎だった。


護衛もなく、一人で。


灯真が立ち上がろうとすると、「座っていろ」と言った。


景虎が部屋を見回した。


壁に張られた図面。机の上の計算書。


「……何を書いている」


焙烙ほうろくの設計です。爆風の向きを制御する形状を試しています」


景虎が図面に目をやった。


「宇佐美から聞いた。川の流れと同じ理屈だと」


「三郎殿がそう言いました。的確な表現だと思います」


景虎が図面を見ていた。


灯真も、図面を見ていた。


「……なぜ、そこまでやる」


「役に立ちたいので」


「誰の役に立ちたい」


「ここにいる人たちの」


景虎がしばらく黙っていた。


「儂のためではないのか」


灯真は少し考えた。


「景虎様もここにいる人たちの一人です」


景虎が灯真を見た。


「……変わった答えだ」


「そうですか」


「儂のためと言わない者は、珍しい」


「儂のためと言った方が良かったですか」


「そういう意味ではない」


景虎が視線を図面に戻した。


何かを考えているような顔だった。


「……兵の暖気を改善できると聞いた」


「炉の構造を応用すれば、陣幕の中を効率よく温められます」


「越後の冬は長い。長陣になると兵が消耗する」


「それを防ぎたいと思っています」


景虎がわずかに眉を寄せた。


「なぜそんなことを考える」


「兵が元気でないと、あなたが勝てないので」


沈黙があった。


景虎が返す言葉を、灯真は待った。


しかし景虎は何も言わなかった。


ただ、図面を見ていた。


長い沈黙の後、「続けろ」と言って、部屋を出ていった。


---


その夜、灯真は行灯あんどんの前で記録をつけながら、今日の会話を思い返していた。


「儂のためと言わない者は、珍しい」


景虎がそう言った時の顔を、灯真は思い出した。


驚いていたわけではない。


不審がっていたわけでもない。


何か——計算の合わないものを見た時のような、微妙な表情だった。


(この人は、誰かに何かをしてもらう時、必ず理由を確認するのか)


なぜそんな考えが浮かんだのか、灯真にはわからなかった。


しかし浮かんだ問いは、そのまま頭に残った。


軍神。越後の主。毘沙門天の加護を受けた者。


そういう人間のそばに、人は近づく時に必ず理由を持ってくる。


利益。打算。忠義。信仰。


「儂のために」という言葉の裏に、何かがある。


そしてその何かを、景虎はずっと確認し続けてきたのかもしれない。


(だから、返す言葉がなかったのか)


理由のない答えには、確認のしようがない。


「ここにいる人たちの一人」という言葉は——景虎にとって、初めて聞く種類の答えだったのかもしれなかった。


灯真は行灯の炎を見た。


炎が揺れていた。


(俺は、何のためにここにいるのか)


炎の声は「そばにいてやってほしい」と言っていた。


そばにいること。


今の灯真に与えられた仕事は、その一点だった。


役に立つことはできる。炉を直すことも、火薬を改良することも、陣幕を温めることも。


しかしそれは全部、「そばにいる」ことの手段に過ぎないのかもしれなかった。


(……なるほど)


灯真は少し、腑に落ちた気がした。


炎の声が雑な説明しかしなかった理由が、少しだけわかった気がした。


詳しく説明できることではなかったのだ。


ただそばにいろ、ということは。


---


夏の盛りに、直江が来た。


「灯真、お前に話がある」


珍しく、改まった顔だった。


「景虎様が越後の統一を進めている。来年には、正式に越後国主としての儀式がある」


「はい」


「その前に——やっておくべきことがある」


直江が低い声で言った。


「火薬の改良を急いでほしい。儀式の前に、まだ従わない国人くにびとがいる。力を示す必要がある」


「どれくらいの時間がありますか」


「半年」


灯真は頭の中で計算した。


半年。焙烙の精度を上げるには、あと十五回は実験が要る。材料の確保を考えると——


「できます。ただし三郎殿の協力が要ります」


「才助と三郎には話してある」


「わかりました」


直江が立ち去りかけた。


「……直江殿」


直江が足を止めた。


「何だ」


灯真は少し考えてから、言った。


「景虎様のことを、よく見ています」


直江の背中が、わずかに固まった。


「……何が言いたい」


「何も。ただ、そう思っているということだけ」


沈黙があった。


直江が振り返らずに言った。


「……お前は、変わった男だ」


「よく言われます」


直江が廊下を歩いていった。


その背中を見ながら、灯真は思った。


あの男が何を守ろうとしているのか——今日、少しだけわかった気がした。


守っているのは、秘密だけではないのかもしれない。


秘密を抱えたまま、一人で立っている人間を。


その人間が倒れないように。


そのために、直江は灯真を警戒し続けていたのかもしれなかった。


(……それなら、わかる)


灯真は炉に向かった。


今日も、炎の前で仕事をする。


半年で、やれることをやる。


——いや、やれることをやるだけでは、足りないのかもしれなかった。


そばにいること。


その意味が、少しずつ形になってきた気がしていた。

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