第九章 塩の道 第9-2話 海岸の景虎
翌日、海岸沿いの道を歩いていた。
弥助との打ち合わせを終えて、宿に戻る途中だった。
才助は先に戻っていた。
一人で歩いていた。
夕方の光が、海を橙に染めていた。
波の音がした。
砂浜の手前に、人が立っていた。
灯真は足を止めた。
景虎だった。
甲冑は着ていなかった。旅装束で、刀だけ差していた。
護衛の姿がなかった。
景虎が振り返った。
「……お前がいるとは思わなかった」
「こちらもです」
二人は少しの間、向き合った。
景虎が先に海に目を戻した。
灯真も横に並んだ。
「何をしている」と景虎が聞いた。
「塩田の改良の調査です。設計を変えると蒸発効率が上がります。越後の塩の産出量が増えます」
「……財政か」
「財政基盤になります。戦の長引いた時の備えにもなります」
「それだけか」
灯真は少し考えた。
弥助と話しながら、ずっと頭の隅にあったことだった。
塩が余るほど作れるようになったとして——その余剰をどう使うか。備蓄か。交易か。それとも。
「敵が塩に困った時、越後から売ることができます。適正な値段で。止めないだけでいい」
「……それが何だ」
「塩を武器にする相手がいても、越後は乗らない。商人に値を吊り上げさせない。それだけで——敵の民が助かります」
景虎が止まった。
波の音だけがした。
「……敵の、民が」
「塩が届かなければ死ぬのは兵ではなく民です。戦場で戦うのが武士の本分なら、食で人を殺すのは筋が違う——そう思う人間には、越後の塩が武器になります」
景虎が海を見た。
長い沈黙だった。
風が来た。
景虎の黒髪が、海風に揺れた。
灯真はそれを見ないようにした。
見てしまったら、何かを考え始める気がした。
「……義に、塩を使うか」
「利にもなります。売れば銭になる。ただ、それだけではない使い方もできる、ということです」
「……そなた、先のことを考えるな」
「研究者ですので」
「先を考えすぎる」
「考えておかないと、来た時に間に合わないので」
景虎がわずかに眉を寄せた。
怒っているのではなかった。
何かを考えている顔だった。
「敵に塩を送る、か」
「義のある戦をするために、余裕が要ります。余裕は一日でできるものではないので」
「……今から作るということか」
「今から作っておけば、いつか使えます」
景虎がまた海を見た。
灯真も海を見た。
水平線が、夕暮れの色に溶けていた。
遠かった。
どこまでも続くような、遠さだった。
しばらくして、景虎が言った。
「……越後の海は、広いな」
「そうですね」
波が来て、砂を濡らして、引いた。
また来た。
また引いた。
二人は並んで、それを見ていた。
日が、沈んでいった。




