第七話「消えろ!俺様の前に立つんじゃねえ!」
本日二話更新。二話目
視界が明滅し、再び暗い森の中へと放り出された。
鼻を突くのは、あの部屋の腐臭ではなく、湿った土と草木の濃密な匂いだった。
冷たい夜気が、ジャージ越しの肌を刺す。
僕は鬼竜一号を強く握り直した。
手にしっくりと馴染む感触がある。
昨晩の素振りで、この木の棒はもはやただの棒切れではなく、僕の体の一部として生まれ変わっていた。
たった一〇分間の帰還。
姉ちゃんとの再会は僕の心を支える唯一の光だ。あの部屋の外で、僕の帰りを待っている姉ちゃんのために、僕は進まなければならない。
「やるしかねえな」
僕は誰に聞かせるでもなく呟いた。
この世界で生き延び、元の世界へ完全に帰還するためには強くならなくてはならない。
「ふん、待ってろよ雑魚ども。俺様がテメェらの経験値を吸い尽くしてやるからな!」
震える声を隠すように虚勢を吐き、夜の森の中で巨木の根元にある窪みに身を隠した。
だが、じっとしていると恐怖と不安で押し潰されそうになる。
なにより時間を無駄にはできない。
僕は窪みから這い出ると、鬼竜一号を構える。
そして、昨晩の続きのように素振りを始めた。
鋭い風切り音が、闇夜に響く。
既に手の内にある鬼竜一号だが、振れば振るほど、さらに馴染む感覚があった。
一、二、三。
数を数えながら、ひたすらに棒を振る。
全力の素振りに腕が、肩が、筋肉の痛みで悲鳴を上げている。
だがその痛みこそが僕を現実から引き離し、込み上げる恐怖を塗り潰してくれる。
僕は振り続けた。
単調な動作の繰り返しに次第に飽きが来る。
疲労を感じないこの体は便利な反面、作業を単調にし、精神的な摩耗を加速させる。
どれくらいの時間が経っただろうか。
体感的には永遠ともいえる時間を、必死で相棒を振り下ろす。
そして今この瞬間、全身に熱が駆け巡るような違和感を覚えた。
一辺倒だった素振りが、まるで鬼竜一号が意思持って動いているかのように、振るたびに最適な軌道を描く。
ヒュン。
空気を切り裂く音が、さらに鋭く高音になった。
僕は素振りを止め、ステータス画面を開いた。
――――――
名前:黒木竜也
天賦:遊戯を極めし者
スキル:ログアウト・Lv1 / 斬撃・Lv1
――――――
「あっ!」
スキルの欄に『斬撃』という文字が新たに追加されていた。
『斬撃:武器による攻撃時、威力と速度に補正がかかる』
夜通しの素振りは無駄ではなかった。
遊戯を極めし者の効果なのか、単調な訓練でもスキルとして結実したのだ。
「ふははっ!見たか、俺様の才能を!たかが棒切れ一本でスキルを習得するなんてな!」
僕は小さなガッツポーズをした。
これでもっと戦える。
スキルという明確な力を手に入れたのだ。
少しづつそのスキルをなじませるように素振りを再開した。
やがて、木々の隙間から白々とした光が差し込み始めた。
夜明けだ。
三日目の朝が来た。
僕は鬼竜一号を肩に担ぎ、狩り場へと向かった。
狙うは、あの巨大なネズミだ。
しばらく歩くと、草むらがガサガサと揺れた。
僕は即座に反応し、相棒を構える。
飛び出してきたのは凶悪な黄色い前歯を持つ、体長五〇センチほどの巨大なネズミだ。
「フン、またテメェか、クソネズミ!」
僕はそう呼び捨て虚勢を張った。
スキルは生えたが恐怖は消えないのだ。
「俺様の新しいスキルを試すには、おあつらえ向きの獲物だぜ!」
ネズミが僕に向かって飛びかかってくる。
その動きは、昨日よりも一層ゆっくりに見えた。
「遅せぇんだよ!喰らえっ、斬撃!」
僕は一歩踏み込み、鬼竜一号を横薙ぎに振るった。
カッ!
棒の軌跡が、微かに光った。
凄まじい速度で繰り出された一撃が、空中のネズミの腹部にめり込む。
グシャッっという鈍い音と共に、ネズミの体は原型を留めず吹き飛んだ。
一撃。
昨日、何度も叩かなければ倒せなかった相手が、文字通り一刀両断された。
「やるじゃねえか……、すげえな俺様、なに、これ……」
僕の頬が引きつり、戸惑いながら俺様ロールを続けようと思ったが、あっけに取られた僕には無理だった。
ネズミの死体は光の粒子となって消え、後にはドロップ品が残された。
戸惑いを大きく息を吸い込み飲み込んだ。
この力。
僕の欲しかった強さだ。
僕は森を徘徊し、目につく魔物を片っ端から狩り続けた。
角ウサギ』、巨大ネズミ、見るからに毒虫。
遭遇するたびに、僕は無慈悲に鬼竜一号を振り下ろす。
「死ね!俺様の経験値になれ!」
「消えろ!俺様の前に立つんじゃねえ!」
「汚物は消毒だー!」
勢いに身を任せ、叫びながら殺す。
殺して奪う。
その繰り返し。
五匹、一〇匹と狩り続けるうちに、高揚感は薄れ、代わりに重苦しい何かが胸に溜まり始めた。
太陽が高く昇り、森の中が明るくなるにつれ、その感覚は強くなった。
目の前で潰れる頭部。飛び散る体液。
消えていく命の灯火。
食べるためではなく生きるため、強くなるため、ただひたすらに命を奪っている。
せめてグロなしで叩いた瞬間に消えるようにしてくれないか。
心の中で泣きそうになりながらそう思った。
「うっ……」
遂に耐え切れずに膝をつく。
心臓を冷たい手で鷲掴みにされているような胸の苦しさ。
僕は引きこもりで、ゲームばかりやっていたダメ人間だ。
本来なら、こんなことは絶対にやりたくないのに……。
「でも……、やらなきゃ、ダメなんだ!」
僕は土を握りし、向かってくるデカムカデに投げつける。
ランキングなんてどうでもいいんだ。
一刻も早く、元の世界に完全に帰還する方法を探し出したいだけなんだ。
そのためには、このゲームの理不尽なシステムをねじ伏せる力が必要なんだ。
「俺様は……、最強の男になる、竜也様だ!お前らは黙って俺の糧となれ!」
僕は無理やり立ち上がり、鬼竜一号を握り直した。
胸の痛みは消えない。
罪悪感も消えない。
だがそれを抱えたまま、僕は進むと決めたのだ。
強い決意を胸に狩りを続けた。
軽くなった体で森を駆け巡り、向かってくる魔物の命をただひたすらに奪い続ける。
繰り返すことで自身の思考を麻痺させようとしていた。
気付けば、周辺に魔物の影はいなくなっていた。
森の木々の影が長く伸びている。
空が茜色に染まり始めた。
三日目もあっという間に夜が訪れた。
僕はドロップ品で膨らんだ袋の重みを感じながら、今日の成果を確認した。
スキルを得てから効率が上がったことで、自身がさらに強くなったのを実感する。
明日はどこか街を目指そう。
その為には情報が必要だ。
そう考えながら、薄暗くなった辺りを見回した。
闇が迫る森の中。
急に孤独感を感じ、終わりのない焦燥感に苛まれていた。
ログアウトまで、まだ時間はたっぷりとあるだろう。
この夜を無駄にはできない。
精神的な摩耗は感じていたが、肉体的な疲労がない以上、倒れるまでやるしかない。
僕は再び巨木の影にかくれるようにして素振りを始めた。
鬼竜一号は、もう完全に僕の体の一部だった。
羽根のように軽かった相棒は、今や自身の体の一部だった。
僕の思い描くゲームキャラのような動きで、滑らかに、そして鋭く強く、その斬撃が光を纏い、幾千もの軌跡を描いている。
縦に、横に、斜めに、八の字に、自在に操りその動きを確かめる。
「せいっ!うりゃー!テメェら、全部、全部消し去てやる!消えろっ!消えてくれー!」
恐怖を打ち消すように叫び、相棒を力いっぱい振り続ける。
どれほどの素振りを繰り返しただろうか。
腕が痙攣することはない。
汗をかくこともない。
しかし、確かな異変が起こり始めた。
「くっ……」
唐突に、全身に倦怠感が襲いかかってきた。
肉体の疲労ではない。
でも意識が定まらない。
頭の芯がずきずきと痛み、森の暗闇がぐるぐると回るように見え始める。
長時間にわたる殺戮と、無理やり俺様ロールという虚勢を続けてきた精神的な摩耗。
それが一気に襲い掛かり、脳を直接殴りつけているような感覚だった。
体が、心が、この残酷な環境と命を奪い続ける行為から、ログアウトしたいと願っているのだろう。
そんな弱気な考えが浮かぶ。
視界が歪む。
全身の力が抜け、羽根のように軽かった鬼竜一号が重い鉄塊のように感じて手から滑り落ちそうになる。
「くそ……、まだ……、まだ終われないのに……」
僕は無理に素振りを続けようと、声を絞り出した。
しかし、足は既に地面に縫い付けられたように動かなくなっている。
僕は素振りを止め、大木に隠れるように寄り添い、背中を預けた。
「少しだけ……」
そうつぶやき目を閉じる。
脳内に姉ちゃんの安堵した顔が浮かんだ瞬間、僕の意識は泥のような闇へと深く深く引きずり込まれていった。
僕はこの危険な世界に転移してから、初めて意識を完全に手放した。
次に目が覚めたとき、僕はまだこの森の中にいるのだろうか。
すべてが夢で、目が覚めたらあの汚い部屋のベッドで寝ているのではないか?
そんなことを考えながら。
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