第六十一話「あのさー、そういうのは、二人っきりになってからやってくれるかなー」
ゆっくりと目を開ける。
視界が白から元の拠点の風景へと戻り、ぼんやりとしていた意識が戻る。
目の前には、心配そうな顔をした三人が僕を覗き込んでいた。
「黒木くん。本当に帰らないの?」
藤田さんが、静かな声で僕に問いかけてきた。
その声は、無感情な演技をやめ、以前のように感情のこもった温かみのあるものだった。
「私、この世界に残ってもいいよ。だから、黒木くんはお姉さんのいるあっちに戻って良いと思うの」
彼女の言葉に、僕は言葉を失った。
僕のために、自身が残ると言っているのだ。
「黒木、俺だってこの世界に残っても良いんだぞ。この世界では俺もそれなりに良い生活ができるようになったしな!」
佐々木くんまでもが、僕の肩を叩いて明るく言った。
「レイドだって大丈夫だ。黒木がいなくたって、俺がなんとかしてみせるよ。だからお前は、自分の幸せを考えて良いんだ」
その温かすぎる言葉が、胸の奥に深く突き刺さった。
これまでずっと、僕は「俺様」という傲慢な仮面を被り続けてきた。
誰にも弱みを見せず、嫌われ役を買って出て、一人で全てを背負い込もうと必死で頑張った。
その途中、藤田さんにバレ、藤田さんを経由して、佐々木くんや笹田さんにも協力してもらった。
酒井くんは察していたようだし、不本意ながら井上さんにもバレてしまった。
気付けば、全員が僕の想いを知ってくれていたように思えた。
嬉しくて、安堵して、これまで溜め込んできたものが一気に溢れ出した。
視界が急激に歪み、涙が勝手に零れ落ちていく。
「僕、もう、我慢しなくていいのかな……」
震える声で、そんな弱音が口から漏れた。
藤田さんはそんな僕を見て、「ふふ」と優しく微笑んだ。
「おお、知ってたけど、黒木が僕とか言うと、ちょっと違和感あるな」
自身を抱くようにしてそう言う佐々木くんと、それに同調する笹田さん。
そこまでかな?と思いつつ泣きながら笑う。
そんな僕を、彼女がそっと抱き寄せてくれた。
藤田さんからは、ふわりと甘い匂いがして、頭がクラクラしてしまう。
今や美のカリスマとして君臨する、永井くんが開発した特製のボディーコロンだろうか?
「ふ、藤田さん、恥ずかしいんだけど……」
僕は顔に熱を感じながら、消え入るような声で言った。
「あのさー、そういうのは、二人っきりになってからやってくれるかなー」
佐々木くんから冷やかしの声が飛んだ。
僕は慌てて藤田さんから離れ、顔を伏せて沈黙した。
その時、タイミングよくドアを叩く音が響いた。
返事を待たずに入ってきたのは、酒井くんたち勇者パーティの一行だった。
「黒木、俺たちは残るぞ。レイドは俺に任せろ。だからお前は帰れ!」
酒井くんは力強い声でそう宣言した。
部屋の中には、奇妙な沈黙が流れた。
皆が僕を気遣い、他のクラスメイトのために犠牲になろうとしている。
その優しさが、今の僕にはあまりにも眩しすぎた。
「なんだよ、みんなして。僕は、俺様じゃなきゃいけないんだよ!」
堪えきれず、僕は「俺様」というキャラクターとはかけ離れた、子供のような声を発してしまった。
もうみんな知っているのに。
もう自分の心が理解できないような、そんな状態だった。
これまで必死に保ってきた心が、状況の変化に追い付けなくなっている。
この状況も、地球にいる視聴者には配信されているのだろう。
この醜態を、彼らはどう見ているのか、全く予想ができなかった。
結局、詳しい話し合いは明日の昼に行うことになった。
集合場所は長屋街。
今は黒木商会と呼ばれるエリアの本部事務所となった。
翌日、集まった全員を前にして、僕は深く頭を下げた。
「あの、みんな、今までごめんね!」
素の僕に戻って謝る僕に、クラスメイトたちは顔を見合わせた。
「何言ってんだよ。こうやって全員が揃っているこの現実がある。それは、全部お前のおかげだろ?」
酒井くんが笑いながら言った。
「そうだよ」「ありがとう、黒木くん」「本当に、ありがとな」
次々と投げかけられる感謝の言葉に、僕はまた泣いてしまった。
一度でも弱い心をさらけ出してしまうと、もう感情を抑えることができなくなっていた。
みんなにはすでに、俺様ロールが崩壊した醜態を見せてしまっている。
そんな状況で、ログアウトのスキルはすでに一度きりという制約があるため、今朝はまだ使っていない。
視聴者の反応が分からないのは、正直言ってとても怖かった。
それでも僕は、流れる涙を袖で拭うことぐらいしかできなかった。
そして、酒井くんが音頭を取った数時間に及ぶ話し合いの末、この世界に残るメンバーが決まった。
まずは僕と、藤田さん、佐々木くん。
そして酒井くんたち勇者パーティ。
伊藤くんと、その側近となった永井くん、松村さんも残ることを選んだ。
他の人たちは、最後まで悩んだ末に、日本へ帰ることを決めた。
だが、その輪の中で、笹田さんと井上さんが先ほどから押し黙っていた。
井上さんはおもむろに僕に近づくと、顔を赤くしてモジモジし始めた。
「あのね、黒木くん。ちゃんと言って無かったなって思って」
「な、なにかな?」
僕は彼女の尋常ではない様子に、思わず警戒心を抱いた。
「あのね、母性って言って自分を誤魔化してたけど、もう無理みたい。もし良かったら……、私と、結婚を前提にお付き合いを―――」
「ダメー!」
井上さんの言葉を遮るように、藤田さんが割って入ってきた。
二人は火花を散らすような勢いで睨み合っている。
呆然としていると、今度は肩をツンと突かれた。
振り向くと、そこには笹田さんが恥ずかしそうに立っていた。
「私も、この世界に残りたい気持ちもあるんだけど……。その、好きなの!」
「へ?」
僕は聞き返した。
彼女は何を言っているのだろう。
何が好きなのか。
「黒木くんが好き。気付けば好きになっちゃったの!二番でも三番でもいいの。受け入れてくれるなら、私も残るけど……、どうかな?」
あまりにもストレートな告白に、僕は再び言葉を失い立ち尽くした。
「ちょ、ちょっと待って!」
藤田さんが血相を変えてこちらに飛んできた。
「真紀ちゃんまで。この、裏切り者ぉ!」
藤田さんは笹田さんに飛びかかり、そこからは三人の女子による睨み合いが始まった。
部屋の隅で、佐々木くんが呆れ顔を僕に向けている。
「モテる男はつらいな、黒木」
「いや、そんなわけないでしょ。何かの間違いだって」
全否定する僕に、佐々木くんは深いため息を漏らした。
「そんな、鈍感主人公みたいなこと言ってたら、そのうちマジで刺されるぞ?」
その言葉に、僕はただ無言を貫くことしかできなかった。
「なあ。薄々はそう感じていたけど、本当にあの三人には何もしてないってことだったのか?」
酒井くんまでが苦笑いで尋ねてくる。
それにはうなずいておいたが、どうしてこうなったのかは、僕自身が一番分からなかった。
悩む僕の心を置き去りにして、女性陣の話し合いが進んでいった。
なんだかんだで、結局、笹田さんと井上さんもこの世界に残ることになった。
「いつか絶対に落として見せるからね」
井上さんは不敵に笑ってそう言った。
「私も、精一杯頑張るから」
笹田さんも、控えめながら強い決意を瞳に宿していた。
「正妻は私!」
仁王立ちしている藤田さんの笑顔に、ほんの少しだけ恐怖を感じる。
その後、拠点には僕といつもの三人に加え、井上さんも残り、一緒に住むのだという。
こうして、帰還するクラスメイトたちの、一週間という短いお別れの期間が始まった。
それぞれが現地で親しくなった人々や、帰還する他のクラスメイトたちとの別れを惜しむ。
後悔の無いように、僕たちは残された時間を大切に使っていた。
それが今生の別れになるのだから。
◆◇◆◇◆
――― ルミナス王国王城・玉座の間。
「――― 以上の者たちを残し、皆が元の世界に戻るとのことです」
深淵の十傑の一人、ベガルタ・アローンソは、国王の前で膝を突き、静かに報告を終えた。
彼は今、テンセイシャと呼ばれる異世界の集団をまとめる、黒木という無法者の少年に陶酔し、彼らの召使のように行動を共にし、王家との連絡役ともなっていた。
それは彼の属する、深淵の騎士たちも同様であった。
王は重いため息をつきながら、短く「わかった」と答えた。
「それから、黒木様より伝言がございます……」
その言葉に、王はギョッとした表情を浮かべた。
「申してみよ」
「もしこれ以上ちょっかいを掛けるなら、この国を潰すと。そして、王子様は二度とその顔を見せるな……、とのことでございます」
それを聞いて王は絶句した。
王の額には、玉のような汗が滲んでいる。
自身の浅慮な息子が、こともあろうにあの四聖に馬鹿な依頼をしたことは、すでに報告を受けていたからだ。
国としても、決して関わってはいけないと言われている、四聖という彼らに対しての依頼。
さらに、その四聖をあの少年たちが倒したとの報告に、王は心臓が激しく脈を打ち、持病の高血圧が悪化し、心臓が爆発する寸前であった。
宰相らとの話し合いの中、それに対する謝罪の意味も込め、娘である第一王女を黒木という少年に嫁がせる、という政略結婚の話も出ていた。
だがそれも、ベガルタによって先ほど却下されていた。
ベガルタは黒木という少年と懇意にしており、内情をよく知っている。
「英雄色を好むというじゃろ?」
そういう王の言葉に対し、彼は首を横に振る。
「黒木様は決してそのようなお方ではありません。それに……、それを強硬した場合、懇意にされている女性たちの気分を害する恐れすらあります」
彼はきっぱりと王の提案を退けた。
「すでに意中の者がいると申すのか?」
興味津々の王が尋ねると、ベガルタは頷いた。
「はい。どのお方も一騎当千の猛者であり、見目麗しい方々でございます」
王は考え込むように黙り込んだ。
「見守るしかない、ということだろうか?」
「それがよろしいかと存じます」
そんな会話の後、ベガルタは王から一つの伝言を託された。
「今後は着かず離れず、良き関係を保つことを願う」
その言葉を受け取り、ベガルタは静かにその場を後にした。
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