第六話「強くなってる……、さ、さすが俺様だな!ふはははは!」
本日二話更新。一話目
歪な木の棒、「鬼竜1号」を握りしめ、僕は森の奥へと足を踏み入れた。
心臓の鼓動がうるさい。
恐怖で足がすくみそうになるのを奥歯を噛み締め耐える。
自分よりも弱そうな生き物はいないか。
そんな考えで視線を彷徨わせていた。
カサリと草むらが揺れた。
僕は弾かれたように身を固くし、鬼竜1号を竹刀のように構えた。
「ひっ……」
情けない声が漏れる。
草むらから飛び出してきたのはウサギだった。
だがそれに、動物園で見るような愛らしさはなかった。
体長は中型犬ほどもあり、額からは鋭利な一本の角が生えている。
目は血のように赤くギョロリと僕を見ている。
その目は僕を明確に「敵」あるいは「餌」として認識している凶暴な光を宿しているように思えた。
角ウサギ。
ファンタジー小説なら序盤の雑魚モンスターとして定番だが、実際に目の前にすると七~八センチ程度はあるその角は、自身に向けらた凶器そのものだった。
あんなもので突進されたら、ジャージ一枚の僕の腹など容易く貫通するだろう。
「く、来るな……!このクソ雑魚、じ、時間の無駄なんだよ!」
僕はへっぴり腰で木の棒を突き出し、途中で俺様ロールを思い出し虚勢を張る。
途端、角ウサギが地面を蹴る。
想像以上に速さのその突進は、一直線に僕の太ももを狙って突っ込んでくる。
僕は無様に横へと転がった。
ドスッという乾いた音が響く。
角ウサギの角が、僕がさっきまでいた場所の木の幹に深々と突き刺さった。
もし避けていなければ、僕の足がああなっていた。
「う、うわぁぁぁ!」
恐怖が限界を超え、僕は半狂乱になって叫んだ。
逃げたい……、でも逃げたら、あの角で背中を刺されたら……。
パニックになりかけながらも、やるしかないと、殺らなきゃ、殺されると思い正面からウサギを見る。
体をぐるりと回転させ木から体を外したウサギに向け、僕は鬼竜1号を振り上げた。
「死ねぇぇぇ!」
目をつぶり、力任せに叩きつける。
ゴッという音と共に、硬いものを強打した感触、そして何かが潰れるような嫌な感触が手に伝わった。
「キィッ!」
角ウサギが悲鳴を上げる。
僕は手を緩めなかった。
ここで止めたら反撃される。
「死ね!死ね!死ねぇ!この、クソ雑魚がぁー!」
何度も殴打した後、少し冷静になった僕は、先端部分でウサギの腹を突き刺した。
泣きながら、心の中で謝りながら。
胸を突かれたウサギが動かなくなった。
頭部が無惨に潰れ、赤い血が地面に広がっていく。
その胸には深く鬼竜1号が刺さりドクドクと血が噴き出ている。
僕はハアハアと息を荒くしながら、その場にへたり込んだ。
手が痺れている。
返り血が顔にかかり、生温かい。
殺した。
生き物を、この手で殺してしまった。
「うっ……」
吐き気がこみ上げてくるが、すでに胃の中には何もないので胃液すら出てこない。
僕はフラフラになりながら立ち上がると、震える手で動かなくなった角ウサギから鬼竜一号を抜き取る。
すると、さっきまで目の前にあった角ウサギはキラキラした光と共に消え、草の上に滴り落ちていた赤い血も消えていた。
その跡には小さな石と、鋭利な角だけが残されていた。
「ドロップ品ってことか?」
そうつぶやいた僕は、目立たぬように小さな深呼吸を繰り返す。
亡骸は消えた。
だがボクの中の罪悪感は消えない。
次の瞬間、僕の中にそれと反する奇妙な感覚が体を駆け巡った。
体中に熱が駆け巡る。
体の奥底から何かが湧き上がってくるような、そんな高揚感すら感じる。
疲れ切っていたはずの手足に僅かだが力が戻ってきた感覚。
頭が冴え、視界が少しだけクリアになった気がした。
レベルアップのファンファーレもなければ、ステータス画面に数字の変化も表示されないが、直感的に理解した。
強くなったのだと。
命を奪うことで、その経験が僕の力になったのだろう。
ここはゲームの世界。
殺せば強くなる。
その残酷なルールが、今の僕にとっては唯一の救いだった。
気持ちを切り替えるように大声で叫んだ僕は、憑かれたように森を彷徨った。
巨大なネズミ、毒々しい色の芋虫、空を飛ぶ肉食のリス。
幸いにも、ドラゴンやオーガのような脅威となる魔物とは遭遇しなかった。
森の浅い階層に転送されたのは、数少ないラッキーだったのかもしれない。
子犬程の肉食リスからドロップした毛皮を繋ぎ合わせ、三枚繋ぎ袋状にしたものにドロップ品を詰め込んだ。
遭遇した小動物型の魔物を、僕はなりふり構わず攻撃し殺戮を繰り返す。
二匹、三匹と倒すたびに、身体が軽くなっていくのを感じる。
最初は重く感じていた鬼竜一号が、指先の一部のように馴染んでくる。
魔物と対峙した時に感じる恐怖はまだ消えることは無かった。
だが、恐怖に体がすくむ時間は短くなっていった。
未だに命を奪う行為に対する罪悪感は消えない。
だが、命を刈り取ることへの躊躇はなくなった。
日が落ち、森が完全な闇に包まれても僕は眠らなかった。
眠気が起きない状況で、眠ることが怖かった。
目を閉じれば佐藤が食われる映像や、掲示板の罵倒がフラッシュバックする。
だから僕は、眠気の起きない体を動かし続けた。
大木の根元に身を隠し、闇に向かって鬼竜一号を振る。
ブンッと音がする。
最初は風を切る音さえしなかった棒切れが、今は鋭い音を立てる。
「ふっ、ふっ……」
闇に紛れた魔物を狩るのは難しく、只々素振りを繰り返す。
ひたすらに基本の動作を繰り返す。
誰に教わったわけでもないが、ゲームの中で見た剣士キャラの動きを真似てみる。
僕の持つ『遊戯を極めし者』という天賦の効果なのか、振れば振るほど鬼竜一号が手になじむ感覚があった。
最適な軌道、力の入れ方、足の運びが体に刻み込まれていくような、そんな感覚があった。
修正速度が異常だ。
一回振るごとに、昨日までの自分を置き去りにしていく不思議な感覚。
数時間後。
鬼竜一号は、僕の手の中で羽のように軽くなっていた。
軽く、そして鋭く振れるようになっている。
これならあの角ウサギが飛びかかってきても、即座に迎撃できるかもしれない。
「強くなってる……、さ、さすが俺様だな!ふはははは!」
僕は俺様ロールを思い出しながら何度目かになるステータス画面を開いた。
グレーアウトしていた『スキル:ログアウト・Lv1』のアイコンが、鮮やかな緑色に変わっていた。
三日目に突入したのだ。
「帰れる……」
緊張の糸が切れそうになるのを必死に繋ぎ止める。
即座にアイコンをタップした。
視界が歪み、森の闇が消え失せる。
次の瞬間、僕は自室の真ん中に立っていた。手に持っていたはずの鬼竜一号が無くなり一瞬さえるが、きっとそういうものなのだと湧き出る不安を飲み込んだ。
鼻をつく腐敗臭。
散乱したゴミ。
最悪な環境に思えるが、だがここは僕の城だ。
バンッ!
転移とほぼ同時に、部屋の引き戸が開いた。
姉ちゃんだ。
昨日と同じように見えない壁に阻まれて入ってこられないが、その手にはスマホが握られている。
僕が戻ってくるタイミングを、一睡もせずに待っていたのだろうか?
姉ちゃんは泣きそうな顔で画面を僕に向けた。
僕も慌ててポケットからあっちでは入っていなかったはずのスマホを取り出す。
震える指で画面を操作すると、新しいメッセージが表示された。
『大丈夫?』
『何があっても姉ちゃんがついてる』
『辛かったら逃げてもいい』
『でも、必ず生きて戻ってこい!』
短い文章の中に込められた、姉ちゃんの想いを感じ唇を噛み締める。
逃げてもいいと、生きてくれと言ってくれる、姉ちゃんの優しさ。
視界が滲んだ。
こんなクズな弟のために、姉ちゃんはどれだけ心を砕いているんだ。
逃げてもいいなんて、今の僕には一番欲しい言葉だった。
でもそれを受け入れたら、できるできないは置いておいたとしても、このまま逃げ隠れするようなプレーを晒せば、姉ちゃんはどうなる?
姉ちゃんはずっと「逃げたクズの姉」として後ろ指を指され続けるかもしれない。
それだけは絶対に嫌だ。
僕は涙をこらえ、喉の奥から声を絞り出した。
姉ちゃんには聞こえないかもしれない。
でも、この部屋を覗き見ている奴らには届くはずだ。
「うっせー! 俺様が負けるわけねーだろ!」
精一杯の虚勢。
震える足で踏ん張り、僕は叫んだ。
「雑魚モンスターどもなんて、俺様の経験値稼ぎにちょうどいいんだよ!」
引きつる頬で笑ってみせた。
「心配なんて無用だ。俺は最強なんだからな!」
姉ちゃんが、驚いたように目を見開く。
口パクで『タツヤ?』と呼んでいるのが分かった。
僕はごくりと喉を鳴らし、震えを隠して、一番言いたかった言葉を叫んだ。
「俺様は……、姉貴の弟なんだからよ!」
姉ちゃんは強い。
昔からどんな逆境でも立ち向かっていった。
その弟である僕がここで折れるわけにはいかないんだ。
僕はその言葉に対する姉ちゃんの反応を見るのをためらい、視線を逸らした。
泣き顔を見られたくなかったし、姉ちゃんの安堵した顔を見たら、決意が揺らぎそうだったからだ。
「けっ!」
吐き捨てるように悪態をついて、僕はしゃがみ込む。
残り時間はあと数分。
やるべきことは決まっている。
部屋の片付けだ。
僕は部屋の隅にあるゴミ箱からティッシュの箱を掴み取った。
床にこびりついた吐瀉物の跡にしゃがみ込む。
「くさっ」
腐臭すら感じる汚れをティッシュで擦る。
二日間放置されたそれは乾燥して床にへばりついていた。
ボロボロと固まった何かが取れていく。
惨めだ。
世界を救う勇者でもなければ、華麗な悪役でもない。
ただの汚部屋を掃除する引きこもりだ。
ティッシュを丸めてゴミ箱へ捨てる。
ふと手が止まる。
これをゴミ箱に捨てたところで、この部屋に放置しっぱなしだから結局匂うのでは?
僕がいない間も、この部屋は異空間として隔絶されているらしい。
ゴミ回収の日なんて概念はない。
この悪臭は僕がこのゲームをクリアするか、もしくは僕が死ぬまで残り続けるのかもしれない。
「最悪だ」
そんな現実的なことも考えボヤく。
だがしかし、とにかく放置は良くないな。
そう思って何度もその跡を擦り続けた。
少しでも綺麗にしたかった。
姉ちゃんが見ている前で、少しでも人間らしい生活を取り戻そうとする意志を見せたかったのかもしれない。
背中で姉ちゃんの視線を感じる。
きっと、掃除をする僕の姿を見て何かを言っているのだろう。
姉ちゃんなら「頑張れ」か、「無理しないで」か……。
その声を聞くことはできないが、心で繋がっている感覚はあった。
やがて無慈悲なアナウンスが脳内に響く。
『ログアウト時間終了』
一〇分なんてあっという間だ。
僕はため息をつき、汚れたティッシュをゴミ箱に投げ入れた。
「次は、もっとマシな報告をしてやるよ」
誰にともなく呟く。
視界が歪む。
姉ちゃんの姿が、部屋の風景が、光となって消えていく。
そしてまた、森の湿った土の匂いと、冷たい夜気が僕を包み込んだ。
俺の視界は、元の暗い森へと戻っていた。
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