第二十話「暴走運転は逮捕しちゃうぞ?」
宿のベッドで目を覚ますと、窓の外はすでに明るくなっていた。
ほんの数時間ほどの休息。
それでも、体の重さは幾分マシになっている。
だが、精神的な疲労は澱のように底に溜まったままだ。
それを振り払うように頭を振り、僕は日課となった儀式を行うために身を起こした。
ログアウト。
アイコンをタップし、意識が切り替わる浮遊感に身を任せる。
次の瞬間、鼻をつく腐臭と見慣れた汚部屋が視界に戻ってきた。
「姉貴……」
僕はドアを境に座りながら目を閉じる姉ちゃんを見て固まっていた。
「あ、竜ちゃん!おかえり!」
姉ちゃんは、婦警の格好をしていた。
紺色の制服に身を包み、頭には制帽をちょこんと乗せている。
スカートは少し短めで、黒のストッキングが伸びる足のラインを強調していた。
そして、手には銀色に輝く手錠が握られている。
「暴走運転は逮捕しちゃうぞ?」
姉ちゃんは悪戯っぽく笑いながら、手錠をクルクルと指で回してみせた。
僕は絶句した。
「姉貴、そんなのどこで用意したんだよ!」
我慢できずにツッコミを入れる。
姉ちゃんは「えへへ」と笑っている。
「これ、悟のホテルに備え付けのやつらしいの。借りてきちゃった」
「なるほど」
犯人は悟さんか……。
彼は多分、この映像見てさぞかし喜んでいることだろう。
それにしてもホテルに備え付けの婦警衣装。
深く考えるのはやめよう。
大人の世界には色々あるんだ。
「似合ってる」
僕は素っ気なく答えて、PCに向き直った。
顔が熱い。
こんな状況でも笑わせてくれる姉ちゃんに、感謝と呆れが入り混じる。
気を取り直し、情報収集を始める。
掲示板を開くと、そこは昨日以上の地獄絵図になっていた。
『【悲報】黒木竜也、煽りカスだった』
『バーカとか小学生かよwww』
『〇ね! 調子乗んなゴミ!』
僕が昨晩書き込んだ一言、「バーカ」がトレンド入りしていた。
それに対するレスポンスは、物凄い数の暴言の嵐だ。
殺害予告、人格否定、ありとあらゆる罵詈雑言が画面を埋め尽くしている。
「ぶっ……」
僕は吹き出し笑ってみせた。
「はははっ!なんだこれ、すげえな!」
恐怖を隠して笑う。
俺様という仮面を何重にもかぶる。
これだけの悪意を一手に引き受けているという事実。
これで姉貴への興味を少しはそらすことができるだろう。
そう考え笑う。
「いいぞ、もっと吠えろ。俺様だけを見ろ!所詮お前たちは、俺様に手を出すことはできない負け犬どもだ!」
姉ちゃんの方をちらりと見る。
彼女は心配そうにこちらを見ているが、僕が笑っているのを見て、少しホッとしたようだ。
「心配すんなよ姉貴。こいつらはただのギャラリーだ!俺様がナンバーワンを勝ち取るまでの軌跡を眺めるだけのな!」
僕は大袈裟に両手を広げ高笑いした後、その指が震えないようにさらに情報を確認する。
そして、時間切れのアナウンスと共に、僕は再び異世界の宿へと戻った。
宿の食堂。
食堂のテーブルには、昨日と同じような肉料理とパン、スープが並んでいる。
向かいには、当然のように藤田さんが座っていた。
彼女はまだ、僕の顔色を伺うように縮こまっている。
昨日のダンジョンでの一件、僕が彼女を「足手まとい」と罵り、部屋に帰したことを気にしているのだろう。
「黒木様、あの……」
僕が部屋から出てくるのを待ってそう言った彼女に、「朝からしけっつら見せんな!」と吐き捨てた僕。
なんとか心を落ち着けようと、水を一気飲みする。
未だ何か言いたげな藤田さんの様子を伺いながら、僕は懐からアレを取り出した。
守りのネックレス。
黒い甲羅のような光沢を持つ、星型のチャームがついた首飾り。
僕はそれを、無造作にテーブルの上に放り投げた。
カシャンという音を立て、ネックレスが藤田さんの目の前で跳ねる。
「え?」
藤田さんは反射的にそれをキャッチし、目を丸くした。
「あ、あの、これは……?」
「昨日の夜、ストレス発散に暴れてたら偶々ドロップした奴だ」
僕はまた水を飲みながら、つまらなそうに言った。
「俺様には合わないチャラいデザインのゴミだったわ!」
そんな嘘を吐く。
これを手に入れるために、どれだけの時間を費やし、どれだけの精神を削ったか。
だが、そんなことはどうでも良いことだった。
「え、でも、これ……、すごく綺麗な……」
藤田さんはネックレスを見つめ、震える手でその表面を撫でた。
「そんなチャラいゴミ装備でも、捨てるのは勿体ねーからな!」
僕はテーブルを指で叩いた。
「お前程度がつけるならお似合いだろ?使え。そしてちっとはマシな働きをしろ!」
「は、はい!」
藤田さんは嬉しそうに笑顔を見せた。
その表情に胸が痛んだ。
「黒木様」
「勘違いすんなよ。お前がすぐに死んだら、俺様の稼ぎが減るからな!」
僕は適当な言い訳を伝え席を立った。
これ以上ここにいたら、ボロが出る。
「行くぞ。さっさと準備しろ」
僕は呆然とした様子の藤田さんを無視して、食堂を出た。
背後で、椅子を引く音と、慌ただしい足音が聞こえる。
「お客さん、食べないんですかい?」
食堂の店員のそんな声が聞こえるが、それを無視して足を早める。
横目で見ると、藤田さんがネックレスを大事そうに握りしめ、必死についてくるのが見えた。
外に出てひと呼吸。
近くまでたどり着き待機している藤田さんの首元には、既にネックレスが装着されていた。
「ふん」
僕は小さく鼻を鳴らし、口元の緩みを隠すために顔を背けた。
次は換金だ。
昨日の成果である大量の魔石を換金し、消耗品である帰還札を補充する。
「準備はいいな?今日は深いところまで行くぞ」
「はい!」
藤田さんの返事は、昨日よりも少しだけ力強かった。
僕たちはダンジョンへと潜った。
転移札で一気に二十階層まで飛ぶと、昨日の亀とご対面。
甲羅に飛び乗るとピックでの一撃を加える。
そして、首を伸ばした瞬間に、平面側で殴りつける。
「美織、行け!首をそげ!」
僕の合図で藤田さんが飛ぶ。
行動不能となった亀は、彼女の一撃で光となって消えた。
「ちっ、ドロップ品はなしか!」
そんな悪態をつきながら次の階層へと進んだ。
そして、二十一階層。
ここからは未知の領域だが、すでに酒井くんたちが侵入している階層。
情報はある。
空気の色が変わった。
今までよりも重く、濃密な魔素が肌にまとわりつく。
通路の幅は広がり、天井も高くなっている。
大型の魔物が出ることを示す作りだ。
「ここからは別世界だ。気合入れろよ!」
「はい!」
藤田さんがナイフを構える。
現れたのは、巨躯の魔物たちだった。
オーガ。
三メートル近い巨体に、丸太のような腕。手には粗末だが殺傷能力の高い棍棒を持っている。
五階層で藤田さんを吹き飛ばしたオークよりも、さらに一回り大きく、その強さはオークとは比べ物にならない。
「グォォォ……」
オーガがこちらに気づき、唸り声を上げる。
一体だけではない。
通路の奥にもう一体見える。
だが、群れではない。
ここからの階層は、このオーガのように段違いで強い魔物が出る反面、群れでの遭遇率は少ない。
個の力が試される。
「へっ、的がデカくて助かるぜ!」
僕は相棒を構え、オーガに向かって疾走した。
「ヒャッハー!その足、へし折ってやるぜぇー!」
世紀末の雑魚のような奇声を上げながら、僕は身を低くした。
オーガが棍棒を振り下ろす。
その風圧だけで吹き飛びそうになるが、僕はそのまま体をひねり、それを回避した。
「遅せーんだよっ!斬撃っ!」
横をすり抜け、オーガの左足に相棒を叩きつける。
フルスイングの斬撃が、オーガの足を粉砕した。
「ガアアアアッ!」
オーガが絶叫し、横倒しになる。
僕は攻撃の手を緩めない。
「おらぁ!」
叫びながら、破壊された足を抑える左手を、次には振り回される右腕を粉砕する。
どす黒い鮮血が飛び散る。
返り血を浴びる不快感を感じるが、それが僕の役目だ。
「おい美織!何見てんだ!さっさとやれ!」
僕は芋虫のように転がるオーガを指差して叫んだ。
藤田さんがビクリと震え、だがすぐに駆け寄ってくる。
「は、はい!」
彼女の目には涙が浮かんでいる。
怖いのだろう。
オークに硬直していた彼女が、さらに巨大な化け物を目の前にして、その恐怖は計り知れないだろう。
だが、その瞳には、昨日よりも幾分強い光が宿っていた。
「やぁぁぁっ!」
藤田さんは叫び声を上げ、オーガの首筋にナイフを突き立てた。
急所突き。
スキルが発動し、ナイフが深々と肉に食い込む。
オーガが断末魔を上げ、光となって消えた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
藤田さんが肩で息をしている。
僕はそれを見て、怒りをぶつけるように悪態をつく。
「おせーよ。もっと速く動けねえのか」
足元には二体目のオーガが四肢を失って倒れ込んでいる。
「す、すみません……、次は、もっと上手くやります……」
彼女は涙を拭い、僕を真っ直ぐに見上げた。
「じゃあ何をぼさっとしてる、これもだ!」
そう言ってオーガの頭を蹴ると、彼女が駆け寄りその首を刈った。
彼女の首元で、星型のネックレスが揺れている。
守られている。
掲示板の情報により、ダメージを半減するというそのネックレスがある限り、この当たりの魔物の一撃でも死ぬことはないはずだ。
だからこそ、僕は彼女を死線に立たせることができる。
「次だ!休んでる暇はねえぞ!」
ドロップ品である拳大の土の魔石とオーガの皮を手早く拾い上げ袋にねじ込んだ僕は、再び獲物を探して走り出した。
この辺りの階層で一日狩れば、数ヶ月は暮らしていける稼ぎができるだろう。
魔石の質が違うし、ドロップ品の素材や偶に落ちるという武具も高値で売れる。
藤田さんがここで無理なく狩れるようになれば、金銭的にも実力的にも自立できるはずだ。
そうすれば、僕が興味をなくしたように突き放しても、彼女は一人で生きていける。
なんなら逃げ出す隙を作っても良い。
「ヒャッハー!次はどいつだぁ!」
僕は狂ったような叫び声を上げながら、周囲を注意深く観察し、次の獲物を探した。
僕が演じる「最悪の俺様」と、それに必死に食らいつく「従順な下僕」。
その歪な関係だけが、今の僕たちを繋ぎ止め、この世界を生き抜く未来へと進ませている。
そう思いながら、僕はひたすらに相棒である鬼竜二号を振るい続けた。
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