第十二話「くそっ、神の野郎、余計なことを!」
木々が疎らに生える森の中を、僕はひたすらに北へと向かっていた。
足元の草を踏みしめる感触。
湿った土の匂い。
どこからか聞こえる鳥のさえずり。
それらが現実であることを主張してくるが、僕の感覚はどこか麻痺していた。
ただ足を動かす機械になったかのように、無心で走る。
怒りは消えない。
だがそれ以上に、冷静になってきたことで生じる不安と恐怖、それらを打ち消すように無心で走る。
時折、草むらから飛び出してくる角ウサギや巨大ネズミは、もはや敵ではなかった。
鬼竜一号を一閃させるだけで、彼らは光の粒子となって消えていく。
斬撃スキルの熟練度も上がっているのだろう。
手応えすら感じさせない単純作業に、僕は自分の強さを再確認すると同時に、命を奪うことへの慣れに寒気を覚えた。
太陽が頭上に昇りかけた頃だった。
突如、脳内に無機質なアナウンスが響き渡った。
『スキル:ログアウトが一週間の連続使用ボーナスによりレベルアップしました』
「は?」
僕は足を止め、思わず声を出した。
一週間。
そうか、今日で七日目だ。
あの部屋に引きこもっていた頃は、曜日の感覚などとうに失っていたが、この世界に来てからは一日一日が長すぎて、日付の感覚が鋭敏になっていたらしい。
僕は操られるようにステータス画面を開いた。
『スキル:ログアウト・Lv2』
レベルの数字が1から2に変わっている。
詳細をタップすると、説明文が更新されていた。
『ログアウト・Lv2:毎日20分間、元の世界に帰還する。外部音声の聴取が可能』
「20分?たったそれだけかよ!」
僕は舌打ちをしながら毒づいた。
10分が20分になったところで、何ができるというのだ。
劇的な変化ではない。
だが、説明文の後半部分に目が止まる。
『外部音声の聴取が可能』
今まではこちらの世界から戻った際、部屋の外の音は遮断されていた。
姉ちゃんの声は聞こえず、口の動きやメールでの対話をするしかなかった。
それが聞こえるようになるのだ。
「悪くねえな」
姉ちゃんの声が聞ける。
それだけで、20分という短い時間が黄金のような価値を持つものに思えた。
だが不安は尽きない。
レベルが上がったということは、このスキルにはまだ先があるということだ。
Lv3になればどうなる?
Lv10になれば?
もしかしたら、完全にあっちに帰還できる日が来るのかもしれない。
そんな希望と、神の気まぐれに対する恐怖が入り混じる。
僕は頭を振り雑念を追い払った。
今は考えるな。
今はただ進むしかない。
再び歩き出して太陽が真上に昇り、森の中にも強い日差しが差し込むようになった正午。
またしても脳内にアナウンスが響いた。
今度は僕個人のスキルに関するものではない。
全プレイヤーに向けた、神からの通達だった。
『明日より、一部の情報閲覧が開始されます。詳しくはステータス画面をご確認下さい』
「なっ!?」
心臓が跳ねた。
情報閲覧だと?
僕は慌ててステータス画面を確認しようとしたが、まだ変化はない。
明日より、ということは日付が変わった瞬間か、あるいは明日の朝か。
全身から冷たい汗が噴き出した。
そうだ、忘れていた。
僕以外は、少なくとも僕のようなスキルが無ければ、ランキングはおろか、自身のポイントなどの情報すら見えない仕様だったはずだ。
それが解禁される。
どこまでの情報が見えるようになるんだ?
自分の順位だけか?
それとも、全員のランキング表が公開されるのか?
もし全員の情報が公開されたら……。
「俺のスキルも、バレるのか?」
最悪の想像が脳裏をよぎる。
「まっ、バレたところで……、最強の俺様には関係ねーけどな!」
虚勢をはるが内心は狼狽えている。
ログアウトというチートスキル。
斬撃という戦闘スキル。
僕が毎日安全圏に逃げ、有用な譲歩を取得していることが、他の転生者にもバレてしまうかもしれない。
いや、それよりも恐ろしいのは、僕の『位置情報』が公開されることだ。
もし、僕がランキング上位に留まり、ヘイトを向けられていると知れ渡れば、他のプレイヤーから狙われる可能性がある。
この世界は転移者にとってはデスゲームだ。
他者を蹴落とし、ランキングを上げることが推奨されている節すらある。
「くそっ、神の野郎、余計なことを!」
そのことに気付いた僕は憤りを感じ、鬼竜一号を近くの木に叩きつけた。
だが、いくら憤っても状況は変わらない。
僕にできることはない。
ただこの理不尽なルールに従い、命懸けで足掻き続けるしかないのだ。
不安を押し殺し、僕は足を速めた。
悩んでいる時間はない。
とにかく街へ。
人がいる場所へ行けば、何かが変わるはずだ。
その日の夕方。
森の木々が極端に少なくなり、視界が開けた場所に出た。
そこは数メートルほどの高さがある崖の上だった。
「み、見つけたぜ!」
崖の下、広大な平原の先に、それはあった。
夕日を背に、巨大な城を中心とした街が広がっていた。
高い城壁に囲まれた、石造りの街並み。
城の尖塔が空を突き刺し、街の中からは煙突の煙が立ち上っているのが見える。
城塞都市バルド。
間違いない。
あれが僕の目指していた場所だ。
「ははっ、やっと、やっと着いた!」
崖下にはまだ少し森が広がっているが、ゴールは目と鼻の先だ。
一週間の野宿生活。
泥と血にまみれた日々。
それらが報われたような気がして、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
涙が出そうになるのを、僕はぐっと堪えた。
泣くな。
俺様は最強のヒールだ。
街を見下ろし、不敵に笑うのがお似合いだ。
「待ってろよ、バルド。俺様が支配してやるからな」
震える声で虚勢を吐き、僕は崖下へと降りる道を探し始めた。
緩やかな斜面を見つけ、慎重に下っていく。
日が落ち、辺りは急速に闇に包まれていった。
気付けば、真っ暗な闇の中だった。
崖の下へたどり着いた頃には、自分の手元すら見えないほどの暗闇になっていた。
街の明かりが遠くに見えるが、その間の森は深淵のように黒い。
このままでは進めない。
そう思って目を凝らした時だった。
「いたっ!」
じわりと、両目が熱く痛みを感じた。
まるで目薬を差した直後のような、刺激の後の清涼感を感じる。
数回瞬きをした後、僕の視界が変化した。
暗闇のはずの森の中が、うっすらとモノクロームの映像として浮かび上がってきたのだ。
木の輪郭、地面の凹凸、草の揺れ。
それらがはっきりと認識できる。
「スキルか?」
僕は直感した。
――――――
名前:黒木竜也
天賦:遊戯を極めし者
スキル:ログアウト・Lv2 / 斬撃・Lv1 / 暗視・Lv1
――――――
暗視。
夜の森で目を凝らし続けた結果、新たなスキルを習得したのだ。
「へっ、俺様の才能が恐ろしいぜ」
恐怖を紛らわすように軽口を叩き、僕は速度を上げて走り出した。
視界が確保できればこっちのものだ。
夜行性の魔物を避け、最短ルートで街を目指す。
そして日付が変わった瞬間だった。
視界の隅にあるステータスアイコンが点滅した。
ログアウトのグレーアウトが解除され、鮮やかな緑色に戻る。
それと同時に、メニュー画面に新たな項目が追加されていた。
情報。
シンプルすぎるそのボタンに、僕はごくりと喉を鳴らす。
昼間のアナウンスにあったやつだ。
一部の情報閲覧が開始されると言っていた。
僕は立ち止まり、周囲を警戒しながら、震える指でそのボタンを押した。
ウィンドウが開く。
そこに表示されていたのは、二つの項目だけだった。
現在のランキング順位と獲得ポイント履歴。
それだけだ。
他のプレイヤーの情報や、詳細なステータス、スキルの開示などは一切なかった。
「よ、よかった……、ぜ……」
僕はその場に崩れ落ちそうになるほどの安堵を覚えた。
自分の順位とポイント履歴が見えるようになっただけだ。
これなら僕のチートがバレる心配はない。
自身のランキングは8位のままだ。
ポイント履歴には、今朝方見たばかりの『動画視聴ボーナス』『話題性ボーナス』といった項目の後に、今日の分の『魔物討伐』が新たに並んでいる。
5匹ごとに1ポイントという僅かなポイント。
それの眺めながら安堵のため息をつく。
だが、すぐに気を引き締める。
まだ七日目、いや、すでに八日目だ。
今回はこれだけの情報開示だったが、今後はさらに情報が開示される可能性もある。
スキルや所持アイテム、現在地などが公開される日が来るかもしれない。
一抹の不安は消えない。
神は、僕たちを争わせようとしている。
今後はさらに情報の格差をなくし、転生者同士の競争を激化させようとしてくるかもしれない。
「上等だ。全部ひっくり返してやるよ!」
僕は再び立ち上がり、止まっていた足を進めた。
夜通し歩き続け、森を抜けた頃には、空が白み始めていた。
明け方。
朝霧の向こうに、巨大な影がそびえ立っている。
城塞都市バルドの外壁。
近くで見ると、その圧倒的な存在感に息を呑む。
高さは十メートル以上あるだろうか。
堅牢な石積みは、魔物などの侵入を許さない威圧感を放っていた。
僕は木陰に身を隠し、門の様子を伺った。
巨大な門が開かれ、大勢の人が出入りしている。
荷馬車を引く商人、鎧を着た兵士、冒険者らしき風体の集団。
活気がある。
人の営みがある。
その光景を見た瞬間、僕の中で張り詰めていた何かが、プツリと切れた。
助かったんだ。
もう、一人で怯えながら眠らなくていいんだ。
安堵感が津波のように押し寄せ、全身の力が抜けていく。
僕は近くの大木にへたり込んだ。
「へっ、俺様にかかれば、こんなもんよ……」
最後まで虚勢を張ろうとしたが、言葉は続かなかった。
視界が暗くなる。
泥のような眠気が、意識を塗り潰していく。
街に入る前に、少しだけ休もう。
そう思ったのが最後だった。
僕は完全に意識を失い、深い眠りへと落ちていった。
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