死の街クロニクル
死の街クロニクルとは、秋葉原を舞台にした小説である。匿名のインターネット世界でしか生きることのできなかった非モテであり仕事でもうだつがあがらず友人のいない男性、和久田未来は、匿名掲示板4ちゃんねるのオフ会を通して仲間と交流し、また、商売とはいえ秋葉原特有のいわゆる萌産業に従事する若い女性と関わることで徐々に、自分なりではあるが社会性を身につけていく。そんな10年ほど前の思い出を文章に残すことで東京都千代田区の秋葉原と呼ばれるエリア(実際は外神田だが)へ感謝の思いを伝えるための自伝的作品が死の街クロニクルなのである。死の街とは、秋葉原のことであり、ネガティブな用語にきこえるが、愛情を込めてそう呼んでいるのである。しかしながらそう人生はうまくいかない。お散歩女子まゆこや、コンカフェキャストのありなを巡る、冴えない男の人生が変わった時期の記憶を綴る。秋葉原ありがとう。すき。
2013年8月10日、和久田未来は、秋葉原電気街口の改札前、みどりの窓口付近に佇んでいた。その日はインターネットの匿名掲示板「4ちゃんねる大学生活板」を介して集まった者たちの飲み会、いわゆるオフ会が催される日であり、参加者の本名はお互いに知らなかった。あらかじめわかっている参加メンバーは、九州で最も偏差値の高い国立大学の大学院修士課程を修了し東京で働きながら暮らしているポコゾウ氏、そのボコゾウ氏と同じく高学歴の範疇に入る理系の国立大学修士課程を終了、なんどが転職を繰り返した末、外資系IT企業に勤務しており、CISCO社製の製品を扱うネットワークエンジニアとして働いているというところまで事前情報がわかっている悪魔くん氏、それに体格が良く坊主頭でありおにぎりを握るのが得意そうな好感度の高い雰囲気の顔を匿名掲示板に頻繁にアップロードしており、かつ、同性愛者の天かす氏、そして、ワークという名前に扮した和久田の4名だった。天かす氏の出身大学と職業ははわかっていなかった。つまり和久田は、他人の学歴が気になって仕方のないタイプの男であったし、そもそも大学生活をテーマとしたコミュニティでのつながりだったので、なんとなく会ったことがなかったにしても、お互いの学歴は認知していた。和久田は八王子付近にそびえるマンモス大学の出身であり、そのコミュニティ内では最低限の学歴という程度だった。
和久田はしばらく改札で人の出入りを眺めながら、10代と見える女性のミニスカとニーソックスの隙間からのぞく脚、いわゆる絶対領域ばかりにロックオンしてはまた彼女が通り過ぎると、別の絶対領域を探し、凝視するという塩梅だった。たったそれだけで多少、下腹部が熱くなるのを感じた。当時の和久田はかなり元気で、精力の増強する亜鉛サプリを飲まなくとも、このような状態だったのだ。
数々の絶対領域を堪能していると、不意打ちのように眼の前から声が聞こえてきた。とある人物が近づいていたにも関わらず、全く気づくことができなかったのだ。オフ会では相手を先に発見するよりも発見されることのほうが多い。
「ワークさんですね?どーも!」
「あ、悪魔くんさん、お久しぶりですね!」
普段は根暗だが、オフ会を開催するときぐらいは、主催者なのでみんなに楽しんで貰いたいという気持ちが湧き、いつもよりも陽気な雰囲気を醸し出すようになる。友達がおらず、冴えない人生を送っているタイプの人間は、オフ会を開催するべきだろう、などと偉そうに言える立場でもないが。
「ワークさん半年ぶりぐらいだっけ」
「たしかー、はい。そうだったかと思いますね。納豆さんとカミーリュさんが来たとき依頼ですよね」
「ハハハ。いまはカミーリュにブロックされてるじゃん。ワークさん」
「そうなんですよね。なんか変なこといったんかなぁ」
「いや明らかにいってたじゃんw別にホテル行きたいとかそういうの無いって、聞かれてもいないのにとつぜん喋りだして、カミーリュ、ドン引きしてましたよ!」
「あ~そんなことを言ったような気もするけど、酔っていてあまり覚えていないのですよね~」
「だからネットに歩く生殖器だって、書かれるんだよw」
「あれをいってるのは岩本だけじゃないですかぁ」
最初、こんな会話を交わしたのは、身長が高く乾いた笑顔が特徴的な悪魔くん氏で、集合時間の5分程前に到着したようだ。時刻は18時40頃だった。 その3分のちに、チャーミングな雰囲気を醸し出したポコゾウ氏も到着し、同じような会話を繰り広げた。
そして、集合時間の18時45分を過ぎたが天かす氏は来ず、和久田はSNS経由でダイレクトメッセージを送った。
「いま、どんな感じですか」
30秒ほどで返事が帰ってきた。
「すみません。19時すぎそうです。お店、先にはいっていてください!」
オフ会で集合時間に全員が集まることはまれなので、特になんということもなく、我々3名は先に、お店に向かった。それよりも前は真面目だったので、明らかに来ない名前での応募、つまり「フンバリャーウンコヨーデル」なぞといった人物が参加表明をしてきた際も真面目に人数にカウントしお店を予約していたのである。
集合した3名は秋葉原駅電気街口を左折し、万世橋警察署がある方の信号をわたった。その上は山手線、京浜東北線の列車が走る線路となっており、高架下には何名か、学校制服のおそらくコスプレを着ながら、通り過ぎたオタク風の男性に対してはニッコリと物欲しげにに微笑む女性が立っていたが、そんな女性たちを尻目に、左折し、パチンコ店となりに位置する飲食店ビルのエレベーターに3人でのり、4階いきのボタンを押した。大学がよく利用するようなチェーン店「サンキューマル」に入店した。
「いらっしゃいませ~」
ベテラン風の女性が受付に来てくれた。おそらく店長かもしれない。
「あ、4名で予約している和久田です。1名は後からきますよ」
「和久田様ですね、お待ちしておりました!こちらへどうぞ~」
「ワークさん本名で予約しているのですねw」
「まぁ。もうバレてますから、なんでもいいですよ」
ポコゾウがツッコミをいれながら、店内左奥の座敷席に通され、3名で座った。こうしてそれぞれ最初のお酒を頼み、到着とともに乾杯をした。大抵は、同じ匿名掲示板コミュニティにおいて有名な人物についての話題だった。悪魔くんが口を開いた。
「ところで、雪ん子ちゃんとはその後、なにかありましたか」
悪魔くんに被せるようにポコゾウが言った。
「出た!雪ん子!あの子のラジオはよく聴いてましたけど、ありゃぁボーダーだと思いますよ。境界性人格障害。気象が激しすぎますもん」
「いや~最近はもうなにもないですね~~。去年揉めてから、絶縁状態ですね。まさにボーダーの症状というか、他のコテハンに対する対応が良くてボク嫉妬してしまい、うさばらしに名無しで悪口を書いたら一瞬でバレてしまいましたよ。あの子は魔術師なのだろうか、とうたがってしまいましたね。そういうこというと喜びだすところがかわいいんですけどねぇ」
ポコゾウが続ける。
「あのやり取りみてましたけど、いくら名無しで一貫していたとはいえ、同じIDでアイドルのこと書いてたものなぁ。ダイセイでアイドル好きなの、ワークさんくらいしかいないじゃないですか」
「それは、たしかに。バレるか」
ふと、和久田がスマートフォンを開くと通知が入っており、ロック画面を解除、Twitterのアプリを開きダイレクトメッセージをチェックした。遅れてくるという天かす氏からメッセージが入っていたのであった。時刻は19時15分ほどだった。
「いま、秋葉原につきました」
ダイレクトメッセージにお店のURLを貼り付け、ここですとだけ入力し送信をした。
「天かす、もう少しでくるみたいですよ」
悪魔くんが天かす氏のワードに反応し、こう問うた。
「ワークさんは面識あったよね。2年前だっけ。横浜オフ。なんかキスされそうになったとか言ってませんでしたっけ。たしか、パピヨンが納豆さんにセクハラした日」
「あ~ボクも覚えてますよ。集合写真で納豆さんが風俗嬢のパネルみたいに左手の甲で顔を隠してた日のですよねw」
などとポコゾウも記憶を蘇らすと、2人は何者かが来たことに気づいたようだった。和久田は背を向けていたため気づかなかったが。
「ども~、あ、ワークちゃんやん」
「お~天かす、久しぶりだね。ボクの隣すわりなよ」
こうして4人が揃い、しばしは同じような調子で会話が展開していった。酔いが回りだすと天かすは上司からパワハラを受けているなぞと語りだし。表情が曇っていた。
「またすぐ戻るから、待っていて」
ここで和久田は、サプライズゲストを連れてくるため、外神田1丁目のいわゆるJK通りに向かった。この通りではメイドさんにまじり、高校の制服を身にまとった女性も複数人たっており、「JKおさんぽ1時間4000円」、などと書かれたチラシを配っていた。大体なんでこんな突飛なことをしようかというと、それは和久田なりにオフ会の主催者として参加者を楽しませようという空回りした心遣いであると同時に、飲み会に女性がいなければ楽しくないと感じるタイプの、世の中でもっともくだらない人種のうちの一人だったからと言わざるを得なかった。
実は以前から狙っていた、小柄でメガネをかけた黒髪の、高校の昼休みに居場所の無い冴えない学生生活を過ごしているタイプの青少年が避難所として駆け込む図書室にいくと出会える、その内気な性質により仲良くなることは叶わないものの、一瞥して癒やされるような、そんな雰囲気の子がJK通りに一人立っていたのである。彼女には本日、オフ会のゲストとして利用するのはありなのか、と事前にたずねており、OKの回答をいただいていたので、出番ですよ、と伝えに該当の通りに繰り出したというわけである。
和久田がやっていることは、企業経営者や医者が、港区のバーでギャラ飲み女子を呼んで楽しむ超小規模バージョンといっても差し支えがなかったのである。とにかく、この下らない男は下腹部の生殖器が本体としか言いようがない、どうしようもない。
それで例の場所に小柄なメガネ女子がいることを確認したものの、話しかけることができなかった。なぜなら、小汚い爺さんがまとわりついていて、ずっと話しかけられているからある。これは困った。いかんせん引っ込み思案なこの小太りな男は、人と人とが話している最中に、割り込みということができず、それ故に、飲食店でもなかなか注文を通すことができない性質なのである。
ともかくそのゴキブリオジサンは、5分、10分と待っても、一向にメガネ女子から離れる気配がない。そこで、和久田は意を決して秘策に出た。それはつまり、いぜん彼女からもらったチラシにかかれてある携帯番号に電話し、内勤の男から指示出しをさせることだった。チラシには、マジックで「まゆこ」と書かれていた。おそらく本名ではないその名前を暗記しつつ、和久田は電話発信を行った。
「お電話ありがとうございます。パルプソテです」
「もしもし、え~初めて利用するのですが、まゆこちゃん今から利用できますか」
「まゆこちゃんですね~、はい可能ですよ。すぐ向かわせます。いまどのあたりにいらっしゃいますか?」
「えー、外神田一丁目のケンタッキーのあたりです。小太りで、ペンギンのTシャツを着用しています」
「かしこまりました、お名前おうかがいしてもよろしいですか?」
「あ~、佐藤と申します」
「佐藤様ですね。それではすぐにまゆこちゃんを向かわせますので、お待ち下さいませ!」
こうして、インターネットで名乗るともまた異なる偽名を使用した男は、メガネ女のまゆこを遠くから見張っていると、彼女に電話がかかってきて、内勤者と通話している様子が確認できた。そして、いつまでも張り付いているがお散歩を利用する気の無いゴキブリジジイに対し、申し訳なさそうに両手の平を合わせながら、ケンタッキー前、つまり和久田がいる場所にトコトコと歩いてきた。
「佐藤さんですかあ?この前チラシ受け取ってくれた方ですよね!」
「はい。まぁ佐藤というのは偽名で、ボクのことはワークと呼んでください」
「ワークさんですね!うれしい!ハイタッチしましょ!!」
ワークも偽名なのだけれどと思いつつ、まさかハイタッチを求められるとは想像せず、驚嘆してしまった和久田であったが、ぎこちなく右腕を天空に掲げそのまま手のひらをまゆことあわせた。そして和久田は本題に入った。
「それでですね、この前打ち合わせしたとおり、1対1でなくても、みんながいる場所に来て、飲み会に参加していただけるというのもありなんですよね」
「できますよ~。私、高校生なのでお酒のめませんけどね!」
おいおい、まゆこはマジモンの高校生なのかよ。このとき和久田はなんとなく未来を想像した。近い未来に、女性の人権を守るという大義名分を掲げた女性活動家が、このJK通り一帯の女子高生、もっといえばJKビジネスと呼ばれる商売そのものをを問題視し、売春女子高生なぞというタイトルで新書を出すだろう。そしてJKビジネスは規制されてしまうだろう。1時間4000円でお散歩というサービスも今だけだろう。過去へ戻って好きだった高校の後輩に告白することもできない。
とにもかくにも、和久田はまゆこと一緒に、悪魔くん、ポコゾウ、天かすの待つ大学生向けの居酒屋に、女子高生の制服を来た、というかリアルの女子高生まゆこといっしょに向かうことにした。
パチンコ店となりの居酒屋ビル4階をエレベーターで登りまたしてもサンキューマルに入店すると、同じ女性店員が一人待ち受けていた。
「和久田です。4名での予約していたのですが、もうひとり追加しても大丈夫ですか?」
受付の女性は明らかに表情が曇っていた。
「えーっと。未成年者様ということでしょうか」
「はい」
「わっ、、かりました。お席へお戻りください」
こうしてサプライズゲストとともに、オフ会の会場に向かうと、最初に天かす氏が声をあげた。全員おどろいているように見えたが。
「えええ!!ワークちゃん、どういうことなの?その子は?」
「まぁまぁ、これから説明しますので」
女性店員が注文を取りに来るかと思いつつ、なかなか来なかった。卓にある注文用のボタンを押すと、奥の方からピンポンと音が鳴り響くのがこちら側にも聴こえた。
「あれぇ、遅いなぁ。こういうの、困るよね」
悪魔くんがややクレーマー風にイラつきだしたのを皆が感じ取った。まゆこは今のところポツンと、ポコゾウ、悪魔くんに挟まれて座っていた。
「まぁまぁ。悪魔くん、ぼかぁね、日本からブラック企業をなくすことは、こういうところからスタートするべきとおもっているのですよ。さきほど、天かすが上司から恫喝されている音声を聴いたけど、結局あのような、それこそ悪魔を創り出しているのは、他でもない、消費者自身なのよ。ベルを押して、ちょっと店員が来なかったからといって、文句を言わず、にこやかに待っていることこそが、ブラック企業を撲滅する、僕らにできるファーストステップだとおもうね」
これに対して、特にだれもなんともいわなかったが、後ろから女性の、やや怒気をはらんだような声が聴こえてきた。
「お客様、少しよろしいでしょうか」
「はい、なんでしょう」
と、幹事の和久田が答えるや否や、
「1名、未成年のお客様がいらっしゃるようですが、飲酒なさらないとのことで代表者様の署名をいただけますでしょうか。その上で、該当のお客様の右手首には、リストバンド着用を義務付けさせていただいております」
「あー、はい。署名ですね。問題ありませんよ。なにも悪いことはしていませんし。ただみんなでご飯を囲もうという回ですしね」
「あのう、もしかして、私のせいで、大変なことになってますか?キャンセルします?」
まゆこが困り顔で口を開いた。ポコゾウが顔を横に向けて、一瞬間見つめていたのが気になりつつも、和久田が明らかに慣れていない、無理をしたような顔、だがしかし、本人は安心感をアピールしているとでも言いたげな表情をもって、回答した。
「いやいや、全然迷惑ではないよ。この場に来てくれて、ありがとう。続けよう」
そういって、サインした紙を女性店員に渡し、同時に、まゆこの右手首に「未成年」と印字された黄色のリストバンドが巻かれたのであった。冷静に考えて、20代後半から30台前半の男性の集まりに、制服を来た小柄な少女が混じっているというのは異様な光景だろう。女性店員が去ったあと、天かす氏が先程の質問を繰り返した。
「それでワークちゃん、単刀直入にきくけど、ジョカノ?」
「そうだよん!」
「いやちがうやろw」
悪魔くんがツッコミをいれた。
「いやーこんな可愛い子とお付き合いしていたなら、ワークさん嫉妬しちゃうなぁ~」
ポコゾウが被せてきた。
「あらためて、この子はスペシャルゲストのまゆこだよ。秋葉原でチラシを配っていたら、あまりにも顔がロリ、いや、そうでなく可愛かったので、ボクの目が光ったというわけさ」
「えー、そんなこと言われないから嬉しいです~!ハイタッチしましょ!!」
「いえーい!!」
まゆこが、お店に向かう途中と同じようにハイタッチしてきたので、和久田も右手を天空にかかげ、またハイタッチをおこなった。悪魔くんが笑顔で苦言を呈してきた。
「でたよワークさんの女の子大好きモード、だから岩本にひどいこといわれるんだよ~」
「でも全然、悪い人に見えないですよワークさん。すごく話しやすくて、この場もフレンドリーで居心地がいいです。今度あうときはお散歩じゃなくても普通によんでくだされば、来ますよ」
天かすが嬉しそうな顔をしながら口を挟んできた。
「ワークちゃん完全にニマニマしちゃってるよ~。こんな気持ちよくさせるテクニックがあるなんて、プロってすげ~」
このような調子で、終始まゆこを中心にオフ会が展開していき、約束時間の1時間を過ぎたので、まゆこは退場をした。利用料金の4000円は、和久田が一旦お見送りしに2人でエレベーターに載った際、渡した。
「まゆこちゃん、今日はありがとう。とても盛り上がって、楽しいオフ会になったよ」
「こちらこそ、こんなに楽しかったのは初めてです!今度はお店通さなくてよいので、またオフ会が開催されたら、ぜひ呼んでください!お友達も連れていきます!」
「え、ほまに?まぁとにかく、ありがとう。気を付けて買えるんだよ!さっきの爺さんに捕まらないように!」
「あはは、あのひと、早い時間しか来ないからもう大丈夫ですよ!バイバイ」
またしても二人でハイタッチをしたのち、和久田はサンキューマルに戻った。ここで、岩本なる人物から某匿名掲示板内で「性欲旺盛なミニラ」「歩く生殖器」なぞと散々揶揄されてきたのも仕方が無いと言える状況を小太りな男は創り出してしまった。つまり、先程まゆこがいたときとは打って変わって、一気に無口になってしまったのである。時刻は21時を回っていた。
「では、本日はこのあたりでお開きにしますかぁ。皆さんありがとうございました!お会計は、一人4000円です」
実は3500円程度で済んでいたのに、少しくすねようと、この姑息な男は多めに会費を徴収した。そのあと、替え玉が2杯まで無料の店「風虎」に4人で向かい、ラーメンをすすった。悪魔くん、ポコゾウ、天かすの3名は麺を硬めでオーダーしていたのに対し、和久田一人だけ、麺の硬さを粉落としでオーダーしており、おまけに替え玉も粉落としと叫んだ。はっきりいって、粉落としという麺のゆで方は、麺の打ち粉を落とす程度にしか茹でない方法であり、なにが美味しいのか理解できる人間はそう多くはなく、おそらく和久田についていえば、その言葉を叫び、ツウであることを周囲にアピールしたいだけなのであった。皆が秋葉原中央通りに面し、大きなテーマソングが始終なりつづけているその風虎を出ると、ぞろぞろと秋葉原駅電気街口に向かい、本日のオフ会も終わりに近づいていた。
「それじゃ、悪魔くんさん、ポコゾウさん、天かすさん、本日はありがとうございました!本日か明日には、ブログにオフレポを投稿しておきますね!またお会いしましょう!」
「ワーク、幹事おつかれさま。あ、そうそう、最近Twitterで気になっていた、大名古屋チンチンビルヂングさんと会うことになったから、ワークも呼ぶよ!」
「大名古屋チンチンビルヂングさんて、あのひとか!フォロワー1万名くらいいますよねたしか。驚異的成長とばかり書いて、顔文字たくさんの人!悪魔くん、よくリプ送ってたよね。自分も会ってみたいから、ぜひよろしく!ポコゾウもありがとう」
「ワークさんありがとうございました。途中でびっくりしてしまいましたよ。また、岩本が来なければいきます。まゆこちゃんもまた会いたいなぁ」
「ワークちゃんまたね!ありがと!」
こうして2013年8月の、4ちゃんねる大学生活板オフ会は終了した。大学生など誰もいないのに、みんな亡霊のように当時のインターネット生活が懐かしんでいたのであった。和久田は一人、上野駅で常磐線に乗り換え、北松戸駅で下車。アパートへの徒歩15分の帰り道、まだまだ自分はやれるぞと、謎の自信に満ちあふれていた。
オフ会あと、しばらく和久田はまた、うだつの上がらない生活を続けていた。オフィスに出社しては、メガネをかけた立ち回りの上手い主任の上司、双葉健三郎から、会社で起こった事務的なトラブルについて大抵は自分のせいにされ、それはつまり、本当に和久田が原因の場合もあるし、そうでない場合もあるのだが、結果的には上司もしくはパート、あるいは関連部署の人間から和久田が怒られるのであった。
朝に出社すると、双葉はたいてい、コンビニで購入したモーニング代わりの菓子パンをクチャクチャと音を立てながら咀嚼し話しかけてくるのであり、なにか重要なことを話している場合もあるように聞こえるのだが、とにかくクチャクチャとしたパンの咀嚼音があまりにも不快で、内容がほぼ頭に入らないという塩梅なのである。彼は和久田のことを「ワッチ」と親しみを込めて呼んでいた。
もう1名、役職のない上司である音谷満もおり、彼が直属の上司で主に仕事を教えてくれていた。音谷はあまりに寡黙であり、ほぼほぼ業務につきっきりというタイプであった。まるでロボットのように作業が正確なため周りからの信頼は厚いが、そのため全ての雑務が彼に集中し毎日残業を繰り返していた。話を総合すると下っ端の和久田は戦力としてカウントされていなかった。そんな職場環境のなか双葉は定時を迎えた瞬間に退社し、一方で寡黙な音谷は定時を迎え、パートの主婦が帰った瞬間、ようやく自分の時間がきたとばかりに、軽快にキーボードの打鍵音を鳴り響かせているのであった。
そして和久田は、思いやりが皆無のため、それも周りの怒りを買う原因には違いなかったが、とにかく音谷に手伝いましょうかの一言もなく、双葉と同じタイミングで会社を定時で出発し、自宅に帰るか、もしくは渋谷や秋葉原のライブハウスへ向かい、お目当ての3人組アイドルユニット「ドー☆ナッツ」のイベントに参加するのであった。しかし和久田は、オタクをするにも実に中途半端でコミュニケーション能力が足りておらず、ライブを観た後、ツーショット写真を撮っている間にだけお話のできるいわゆる「特典会」に参加しては、推しである中学3年生のアンナちゃんと上手に話すことが叶わず、沈黙の時間を過ごすのであった。そして、気まずい雰囲気のまま帰宅し、また職場では双葉の巧妙な立ち回りによってトラブルの原因に仕立て上げられるといったルーティーンの繰り返しなのであった。
それにしても、ライブ自体は楽しいものの、果たしてアンナちゃんと何を話せば、前にならんでいた頭がはげかかったおじさんや、後ろにならんでいたシュッとした大学生風の青年と同様、彼女の笑顔を引き出し、後味のいいまま帰路につくことができるのだろうか。皆目見当がつかなった。端的にいえば和久田は、4ちゃんねる大学生活板のオフ会においてのみ元気に人と話すことができるものの、アイドルの推し活においては、あまりにも無口なのであったし、仕事もうまくいっていないのであった。
「(このままじゃよくないよなぁ。なにか新しいことでもはじめなければ)」
和久田はふと、Twitterで長い間フォローしており、勝手に親近感を抱き人生の先輩と認知しているオタクである「ホイミソ」なるアカウントが最近、メイドカフェにも通い出したという一連の流れを観測したことをハッと思い出し、唐突にそれだとおもった。ホイミソ氏は、2000年代前半に一斉を風靡しゴールデンタイムにテレビを点ければ見ない日はなかったほどのメジャーアイドルユニット「バーニングガールズ」4期生、前田彩花(まえだあやか、通称あやかりん)を神聖視しており、グループ卒業後にソロとして活動を開始したあとも、つまり10年以上、あやかりん一筋のいわゆるガチ恋オタクであり、また、実をいうと和久田も学生時代はバーニングガールズにハマっていた点で同じルートを辿っており、当時の鬱屈とした学生時代をずいぶんと助けられたものであった。そんなことで、特に面識があるわけでもないのだが、ホイミソ氏を人生のロールモデルのように、ひっそりと見守っているという次第なのである。人生の師ホイミソ氏が最近になって通いだしたとなれば、自分もいってみようかと考えるもので、直接アドバイスをされるとむっとして文鎮のように動かない和久田ではあるが。神聖視している人間の行動についていえば、言われなくても真似をしたくなる性質なのであった。
メイドカフェにいってメイドさんとトークの訓練を積めば、特典会でアンナちゃんが笑顔になるようなトークができるのでは無いか、そう考え、次の土曜日に、秋葉原のJK通りに向かうことにしたのである。そう、そこは、オフ会のサプライズゲスト、まゆこが立っていた場所にほかならなかった。
Twitterのタイムラインを眺めると、ホイミソ氏は「彩花ちゃんと結婚したくて我慢できねぇよ!」と心の叫びを文章に昇華させており、また、鍵垢の、フォローしているアカウントもフォロワーも少ない女性アカウントがボソッとこんなことを呟いていた。
「今日も死の街、、、ゴキおじ居なければいいけど」
つまりそれは、オフ会のときにサプライズゲストとして登場したまゆこの裏垢なのであった。こっそり、オフ会のメンバーには秘密のアカウントを教えてくれていたのだ。いまでもJKお散歩の仕事を続けているが、お客さんをいつも引けるわけでなく、外でチラシを配りっぱなしの日もあるらしい。和久田はまゆこが秋葉原を死の街と呼称していることについて、なぜか非常に気に入っていた。
ホイミソ氏の真似をしてメイドカフェにいくという決心をしてから2~3週間がたち、日付は2013年10月19日の土曜日のことである。夕方17時ごろ、和久田は秋葉原駅に到着し、JK通りをウロウロとさまよいだした。無数のメイドさんたちが、その通りではチラシを配っているし、相変わらず女子高生の制服もいる。はて、どうしたものか。彼は片っ端からチラシを貰い出したのである。もう、制服も身長も、胸のサイズも顔も、脚の太さも関係ない。質より量である。とにかくチラシを貰いまくった。
すると、もう少しで外神田三丁目への信号の無い交差点に差し掛かろうかというところで、あまりメイドらしくない、落ち着いた衣装の女性がチラシを配っており、受け取ったと同時に彼女から説明をきいた。
「こんにちは。ミュージックカフェアンドバーですよ!いかがですか?」
「は、はぁ。メイドではないのですか?」
「ちょっと違いますよ。でも、アイドルが好きな方は楽しめると思います!」
「うーむ。。ちょうど迷っていたところなのですが、ここは一つ、あなたに賭けてみましょう」
「え、来てくれるのですか!嬉しい!」
受け取ったチラシには、ミンミンと書かれていた。おそらくそれは彼女の源氏名で、大きく、「ミュージックカフェアンドバー256」と印字されていた。和久田はこの落ち着いた、まるでバー店員のような衣装の店であれば、初心者でも過ごしやすいのではないかと考え、ミンミンについていくことにした。そこは外神田一丁目と三丁目、神田明神側の交差点、黄色い看板のファミレスが対角線上に位置する8階建ての雑居ビル5階に位置しており、1階は居酒屋だが、他のフロアはどうにもリフレ店なる、若い女性がマッサージのサービスをしてくれるお店で埋め尽くされていた。
ミンミンという、落ち着いた雰囲気で身長は160台中盤、膝上10センチ程度の黒と白が交互に混じったようなワンピースを着用し、ニーソックスを履いた女性が店内に案内してくれると、右側がL字型のカウンター、左側と奥がテーブル席となっており、カウンターにインテリそうなお客さんが1名、ビールを飲みながら佇んでいた。
「いらっしゃいませ~もしかしてミンミンのオタク!?」
店内を見回すと、とても大きな声で丸顔の若い女性が、気さくに話しかけるというよりは、むしろ叫んだかのように対応してくれた。
「ありなちゃんちがうよ~。いま外販で来てくれたんだよ。お好きな席へどうぞ~」
「ど、どうも」
「え、コミュ障!?」
「コミュ障って、たしかにそうかもだけど、ちょっと、ずいぶんはっきりいうね、びっくりしてしまったよ」
商売の女性なぞというものはお世辞しか言わないものだという先入観のあった和久田から、なにかが崩れ落ちていくのを感じた。とにかく、左側のテーブル席に和久田は座ることにした。ミンミンはカウンター席に入り、佇んでいるお客さんに何かをささやくと、インテリ風のその男はこくりとうなづき、ボソッと呟いていたがそれはききとれなかった。その様子を観察しているうちに、ありな、なる丸顔で身長156センチの女性がメニュー表を持って、システムの説明をしにきた。
「こんばんは。ところでコンカフェはよくいかれるんですか~?」
「いやぁ、あまり、、よくわかってなくて」
「あ、ウソじゃなくて本当にはじめてみたいだね!お名前はなんていうの?」
「ワークです」
「じゃあ、ワーね!ワーは正直者だから、信用できるね!なにのむの?」
「うーん、それじゃあ、ビールお願いします。あ、まりなさんも一杯どうですか」
「え?いいんですか?あざおの塊です!!!」
インターネットのオフ会とは打って変わって。どうにも歯切れの悪い回答しかできない和久田に対して、まったく気にしないようにハキハキとありなは回答していくのだった。というかあざおの塊とは何なのだ。しかしそれが和久田には小気味良く、この子とは相性がよくて、少し仲良くなればセックスでもできるのではないのかなぞと妄想が膨らんでいくのであった。そしてこの2023年10月19日は、和久田がコンカフェなる形式の店舗にハマり、ようやっと人生に楽しみを見出すことができるようになった、はじまりの日なのである。
その12年後である現在、和久田は新宿歌舞伎町のコンセプトカフェにて、高額なシャンパンをおろすオジサンになっていた。
オフ会に来てくれたまゆこは紆余曲折を経て、裏で猛アタックを仕掛けたポコゾウと結婚をし、絶賛子育て中なのである。また悪魔くんもマッチングアプリで出会った女性と結ばれ幸せな結婚生活を送っていた。天かすは連絡が取れず行方不明だ。
また、最初にハマったコンカフェ店員のありなは、3年後の2016年3月26日にミュージックカフェアンドバー256を卒業したわけだが、その中でも身長が高く、最後の方に突然あらわれた現代風な若い男と結婚した。ということを、別のオタク仲間から知らされた。和久田はなにも変わらなかったが、女性のお店を楽しむことが出来る程度のコミュニケーション能力と、仕事での働きぶりも幾分かはまともになっていた。人のせいにする双葉も、なにかと一人でこなそうとする音谷も当時の会社を退職しており、実質、和久田が事務の社員としては一番上になっていた。
これが東京千代田区における、小規模な男のたいしたことでも無いが、本人にとってはかけがえの無い記憶なのである。




