06-リナリアの回想②
待ち合わせ場所は、病院から歩いて五分ほどのコンビニの駐車場だった。
指定された黒い車のナンバーを確認してそっと近づくと、運転席から斗真が降りてきた。夜の街灯に照らされた彼の姿は、昼間よりもどこか落ち着いて見えた。
「よかった。来てくれた」
ほっとしたように、そして心から嬉しそうに、斗真は微笑んだ。
「……あんなふうに書かれてたら、来ないわけにはいきませんよ」
私は少し目をそらしながら、なるべく素っ気ない口調でそう返した。
「それでも、来てくれて嬉しいよ。君、俺にまったく興味なさそうだったからさ」
「女性が皆さん貴方に興味を持つとでも? もしそう思ってるなら、それは随分と傲慢ですよ」
「まったくもって、その通りだね。でも、そうは思ってないよ」
私の棘のある言い方にも、斗真はまったく動じず、柔らかい笑みを浮かべたままだった。その余裕ある表情に、私は内心戸惑いを覚えていた。
……ああもう、あの笑顔、反則でしょ。
破壊力抜群のイケメンスマイルに、心を持っていかれないようにするのに精一杯で、私は彼の目を正面から見ることすらできなかった。
「さ、乗って」
斗真は紳士的な仕草で助手席のドアを開けた。私はできるだけ平静を装って車内に乗り込んだ。
どうして、こんなにスマートなんだろう。そのひとつひとつが、逆に腹立たしい。
一体、私を誘ってどうするつもりなの? 何が目的?
そんな疑問と緊張が頭の中を渦巻く。
「強引に呼び出して悪かったね。……でも、こうでもしないと君、絶対来てくれない気がしたから。もし予定とかあったなら、本当に申し訳ない」
「……今さらですよ」
つい、素直になれずに冷たく返してしまう。
「お詫びに、今日は美味しいものをご馳走するよ」
それでも斗真は微笑を崩さず、柔らかく言ってくれた。
そうして連れて行かれたのは、和風の高級レストランだった。外観からして凛とした佇まいで、一見さんお断りと言われても不思議じゃないような店構えだ。
私は思わず足を止めた。
こんなところ……私が入っていいの? 本当に?
「どうかした? 和食、苦手だった?」
斗真が私の顔を覗き込む。違う。そうじゃない。
高そうだとか、格式がありそうだとか、それ以上に「私なんかがこんな場所に入っていいのか」という気持ちが強かった。
けれど——ここまで連れてきてくれたこと、きっとわざわざ予約してくれたのだろうということを思えば、今さら断るのも失礼な気がして、私は無言でうなずいて、彼の後について店内へと足を踏み入れた。
店内は黒を基調とした落ち着いた内装に、和紙の照明が柔らかな光を落としていた。凛とした空気の中に、静かな温かみがある。初めて入った空間に戸惑いつつも、私は案内された個室に座った。
「実はさ、俺もこの店、初めてなんだ」
斗真は少し照れたように笑いながら言った。その顔を直視できなくて、私は自然と視線を逸らす。
……ほんと、ズルい。自分の笑顔の破壊力をまるで分かってない。
こんな笑顔を見せられたら、勘違いしちゃいそうになるじゃない。
「……あんなに女性に囲まれてるのに?」
つい、本音が口をついて出た。あ、と気づいたときにはもう遅い。
ああ、やってしまった……。雰囲気が悪くなるかも、と内心身構えて、斗真の反応を伺う。
斗真は一瞬、驚いたように目を丸くしたが——次の瞬間、肩を震わせて笑い出した。
「くっ、くくく……やっぱり君って、面白いね」
……え? なにがそんなに?
私には笑いのツボが分からず、首をかしげるしかなかった。
「さて、飲み物は何にしようか。お酒、飲めるよね? 俺は車だから飲めないけど、君は遠慮しなくていいよ。帰りは送るから」
「じゃあ……遠慮なく」
斗真は気にも留めず、お酒を勧めてくれた。送ってくれるなら、いいよね。
だったら——せっかくだし、しっかり奢ってもらおう。
私の貴重な時間を奪ったのだから、そのくらいのご褒美があっても罰は当たらないはず。そんな軽い気持ちだった。
……けれど、それが間違いのもとだった。
料理は一皿一皿が繊細で美しく、まさに「和の芸術」と言えるものだった。舌の上でほろりとほどける味に、思わずため息が漏れる。お酒もまた、和食に合う上質な日本酒を斗真が勧めてくれた。
私はお酒には強い方だった。仕事終わりの晩酌は、日々の小さな楽しみのひとつ。ビールなら何本飲んでも平気、二日酔いなんて無縁——そう、思っていた。
でも、日本酒は……違った。
グラスの中の透明な液体は、想像以上に静かに、そして確実に私の判断力を奪っていった。
ふわりと頭が軽くなって、体がぽかぽかしてきて、斗真の声が心地よく耳に響くようになって——それ以降の記憶が、ところどころ抜けている。
……気づけば、朝だった。
眩しい朝の光にまぶたを閉じたくなる。違和感のある天井、見慣れない天井。
そして、すぐ横から聞こえてきた、穏やかな寝息。
……えっ。
斗真……なんで?
なんだか頭が痛い。
目の前に斗真の顔が見える……どうしてかしら?
すぐに状況を把握できない私は、まだ夢の中を行ったり来たりしていた。