10-王子の回想①
俺の前世の名前は井上斗真。総合病院の心臓外科医として勤務していた。
前世を思い出したのは、10歳の時だった。突然の高熱の中、まるで心の奥に埋もれていた記憶が掘り起こされたように、次々とこの世界とは違う記憶の光景が広がった。
あまりにもリアルでしばらくはどちらが現実なのか混乱するほど俺の心にこびりついた記憶だった。
最初は夢だと思ったが、眠りにつく度に何度も蘇る記憶でこれは前世の記憶であることを悟った。その中でも強烈に心を覆っていたのは莉奈の記憶だった。
俺がこうしてこの世界に生まれ変わったのは前世で死んだということは明らかだった。俺は意識を失う直前、腕の中に抱きしめた莉奈の温もりを強く感じていた。きっとあの時が前世での命が尽きた瞬間だったのだろう瞬間だったのだろう。
もしかしたら俺の腕の中に居た莉奈も一緒に命を落としたのではないかと推測した。ならば彼女も一緒にこの世界に生まれ変わっているかも知れない。そんな淡い期待を胸に抱き、俺はそれから莉奈を捜し始めた。
そうしてやっと彼女を見つけた。莉奈、会いたかった。あの時莉奈には誤解されたままだったけど、誤解を解いて今世では絶対に幸せにしたい。俺は、この世界に転生したと知ったときから、あの誤解を晴らしたいと思い続けていたのだから……。
前世の俺は若いながらも腕の良い医師だったと自負していた。家柄も見た目も良く職業もエリートと言われる医者だ。もてないわけがない。
だから俺は少し……いやかなり傲慢だったように思う。そんな俺の目を覚まさせてくれたのが莉奈だった。初めて出会ったときから俺は莉奈に惹き付けられていたように思う。
俺は約5年ものあいだ、日本を離れていた。それは技術習得の為であったのは事実だがもう一つ理由があった。それは俺に干渉しすぎる母親の手から逃れるためだった。
一人息子である俺に母は執拗に世話を焼きたがっていた。特に俺の交際相手には敏感で、どうやって調べるのかいちいち粗を見つけては苦言を呈してきた。母が自分の従姉妹の娘である百合亜と俺を結婚させようと画策していたことに気がついた俺は留学を決意したのだ。
百合亜は樋口家の長女で製薬会社を営んでいることから家柄的にも申し分ないと母が考えていたのだろう。
俺が日本に戻ってきたのは母の容態が悪くなったと連絡が来たからだ。最初はどうせ仮病だろうと思っていたが、病状を知らせる父から連絡が来て、初めてそれが本当のことだと知る事になった。
母は元々からだが弱かった事もあり、俺を出産することさえ命がけだったことをそのとき初めて知った。そのせいで何となく罪悪感が湧いたのかも知れない。俺は結局日本に戻ることにしたのだ。
俺の家は代々医療従事者でそれなりに大きなグループ病院を営む家系だ。その内の一つである父が院長を務める総合病院で俺は勤めることになった。
最初は家とは全く関係のない所にしようと思ったのだが、父と母の強い薦めもあった。特に母の涙ながらの要望には逆らうことが出来なかった。但し、俺が父の息子であることは隠すという条件で。
初めて莉奈を見たのは初出勤で、ナースステーションに挨拶に行ったときだった。殆どの独身女性が媚びるような熱い眼差しを送ってくる中で彼女だけは全く興味が無いように冷めた目で俺を見ていたことが印象深かったのを覚えている。
俺はその時、自分がもてることに自惚れていたせいで彼女はきっと既婚者なんだろうと結論づけていた。しかし、同僚の噂話で独身だということは直ぐに分かった。
莉奈は、独身医師の中でもかなり評判が良かったのだ。莉奈を狙っていたヤツも結構いたと思う。だから少し気になってしまった。そこで一番年の近い同僚に探りを入れることにした。
「ああ、倉橋ちゃんね。あの子は凄くいい子だよ。真面目だしね。嫁にするには絶対に好条件。夫に尽くすタイプだね。俺が独身なら告白するのにな」
「そんなこと言って奥さんに知られたら一揉めするぞ」
「ハハハッ、それは大丈夫さ。今のはタダの世間話。俺は妻一筋だからね。それよりもお前には倉橋ちゃんは合わないと思うぞ。やめとけ」
「ああ? 何で合わないんだよ」
「お前、結構女遊びしているだろ。彼女は絶対に浮気は許さないタイプだ。遊び相手ならたくさんいるだろ? ナースステーションの殆どの女がお前に色目を使っているじゃないか」
「俺、お前が思っているほど遊んでないし、それに遊び相手を捜している訳じゃない」
「まさか本気なのか?」
同僚は何故か驚いた顔をしていたが解せない。何故俺が遊び相手を探していると思ったのか。それに別に莉奈と付き合いたいとか思っていた訳じゃなかった。この時は。
只、沢山の中でも何故か彼女に目が行ってしまう理由が知りたかったのだと思う。俺はそれまで本気で誰かを好きになった事も誰かに恋したこともなかった。
そのせいで、自分の気持ちに気付いた途端余裕がなくなった。まさかあんな手段に出てしまうとは俺はこの時までは微塵も思わなかったのだった。




