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01-プロローグ

 重たいまぶたをゆっくりと持ち上げる。カーテンの隙間から差し込む朝の光が、淡く部屋を照らしていた。まどろみの中、ぼんやりとした意識が徐々に現実に引き戻されていく。

 そのとき、横向きに寝ていた私の腰に、妙な重みを感じた。


 なんだろう……?

 恐る恐る正体を探るべく首をひねると、がっしりとした筋肉質の腕が、私の腰に回されているではないか。

 見間違いかと思い何度も瞬きを繰り返す。

 まだ視界ははっきりしない。けれども、顔を正面に向けると私の視界を遮るのは逞しい胸板……たぶん。


 え? なにこの状況。

 事態が飲み込めず、思考が止まる。

 私は誰かと一緒にベッドに寝ていて……しかも、その誰かの腕の中にいる?

 寝起きの頭ではすぐには理解が追いつかない。けれど、心臓が早鐘のように鳴っていた。


 一つの可能性が頭に浮かぶ……

 そこでようやく、自分の身体に意識が向いた。

 もしかして……私、服着てないってことないよね?


 まさかまさか、全裸ってことは――!

 慌てて布団の中でそっと手を動かし、自分の身体を確認する。

 ……シュミーズも着ているし、ドロワーズもちゃんと履いているみたい。

 よかった。少しだけ、心の底から安堵の息が漏れた。


 けれど、だからといって安心はできない。今この状況――見知らぬ男と同じベッドで、しかも彼の腕に抱かれたまま眠っていたという事実は、何かが「なかった」と簡単に断言できるほど軽いものではない。

 記憶をたどろうとするが、昨夜のことはまるで霧がかかったように曖昧だった。

 これは……いわゆる“朝チュン”ってやつ? そんな言葉が脳裏をかすめて、頭を抱えたくなる。

 いやいや、そうじゃなくて! 問題はそこじゃない。


 そもそも――この男、誰?

 ゆっくりと顔を持ち上げ、その人物を確かめる。

 その途端、息がかかるほどの距離に心臓が跳ね上がった。


 顔が近すぎる……

 ドキドキと高鳴る胸の音を無視してなんとかその正体を探る。

 金色の髪が朝日に照らされて煌めいている。

 整った鼻筋、薄い唇。そして、少し焼けた肌には健康的な色気があり、目を閉じていても美形だとわかる顔立ちだ。


 ……あれ、この顔……どこかで見たような――

 見覚えがある。いや、あるどころか、もし私の記憶が正しければ、これは――

「……うそ……第三王子……?」

 思わず声が出そうになり、慌てて口を手で押さえた。

 なんで!? どうして!? なんで私が王子様と一緒にベッドに!?

 心臓が痛いほどに波打つ。汗がにじむ手のひらが冷たく感じるほどだ。


 私は昨夜のことを思い出そうと、必死に記憶を掘り起こした。

 確か、昨日はこの王城で、私と同じ第二王女付きの侍女をしているメリッサと、酒盛り……お酒を少しだけ嗜みながらお喋りしていたはず。

 ほんの少し……いや、たぶん、ちょっと多めに飲んだかもしれないけど……。

 でも、その後の記憶が――すぐに思い出せない。ぽっかりと空白になっている。

 これは……本当にマズい。


 この世界では、前世と違って「処女信仰」が根強い。もし、私が“そういうこと”をしてしまったと知れたら、嫁入りはおろか、社会的信用まで失いかねない。

 ……いや、まだ確定したわけじゃない。落ち着いて、私。


 それにしても、何で第三王子と……?

 彼は貴族の令嬢たちの中でも指折りの人気を誇る人物。そんな人と私が一夜を共にした? 冗談じゃない。

 混乱の中で、ふと頭に浮かんだ。


 ――前世のことである。

 そう、私はこの異世界に生まれる前の記憶がある。

 それは、日本で普通の看護師として生きていたという記憶だった。前世を思い出したのは十歳のとき。 木登りの最中に足を滑らせて落ち、意識が飛んだと同時に膨大な量の記憶が頭に流れ込んできたのだ。


 夢か幻かと思ったが、あまりにもリアルだった。過去の感情まで鮮明に蘇り、特に恋人に裏切られた焦燥感が、心に深く刻まれていた。

 だからこそ、こんな状況が怖いのだ。


 私は、ハーセンロンダ子爵家の長女、リナリア。亜麻色の髪と緑の瞳を持つが、この世界では特別目立つわけでもない。

 ガラティア王国西部、グラティスタ領にあるオイレスの町を統治する家に生まれたものの、都会から見れば田舎貴族だ。幼い頃はよく邸を抜け出して、平民の子どもたちと遊び、木登りを覚えたのもその中の少年からだった。


 あのときから、私は二つの人生を持つ者となった。

 そして今、この状況はその中でも最も危機的状況なのではないかと思えた。


「ん……んん……」

 王子が寝返りを打ちながら小さく唸る。

 寝起きの声も艶かしい……ってそんな場合じゃない!

 彼が起きる前に逃げなきゃ!


 そして、しれっと何事もなかったかのように部屋に戻るのだ。

 それしかない。

 王子も酔っているせいで記憶が曖昧になって私のことを忘れているかもしれない。

 そうだ、そうに違いない。


 私は都合のいい希望に縋ると、急いでベッドの下に脱ぎ捨ててあったドレスを拾い上げた。幸いにもゆったりとした部屋着仕様だったため、一人でも着られる。


 息をひそめながら袖を通し、身支度を整えると、そっと扉の取っ手に手をかける。廊下の様子を確認。

 人影はない――今だ!

 私は靴音を立てないようにそろそろと部屋を出ると、逃げるようにその場を後にした。


 はぁ、はぁ……。

 胸を押さえ、角を曲がった先でようやく足を止める。心臓の音がまだ耳の奥で鳴り響いていた。

 ――昨夜、一体私に何があったのか。


 そして、なぜあの第三王子と……。

 一緒に飲んでいたメリッサに聞いてみる?

 私はその考えを振り払った。


 だめだ、きっと王子に会ったのはメリッサと別れた後だ。

 余計なことを聞いて墓穴を掘るのが落ちだ。

 溜息を一つ吐くと私はドレスの裾を握りしめ、王城の廊下を足早に歩き出したのだった。


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